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最終話 みんなで

◇◆◇ 「なんですって? ……結城様が? お、お父様に何をしたの!」  お母さんの顔から血の気が失せていく様を見ていると、僕はまるで何か悪いことをしているかのように感じた。それが伝わったのか、綾人さんが僕の肩を抱き寄せてくれる。 「お前は何も悪く無いよ。相手は、お前にそう言うふうに感じさせるのが得意なんだ。勘違いするな」  耳元でそう囁いてくれるから、僕は素直にこくりと頷いた。綾人さんは僕のその様子を見ると、ふわりと微笑んでからそっと手を繋いでくれた。 「頼子、お前が結城様と蓮のことで私に嘘をついていたことくらいわかっていたよ。それでも、蓮も私に本当のことを話そうとしなかったから、何も出来なかっただけだ。ずっとこれを終わらせる機会を窺っていた。ようやく、ここで終えられるんだ。もう、素直に認めてくれ」  お父さんがお母さんにそう言って頭を下げているのを見て、僕は少し胸が痛んだ。どうしてお父さんが頭を下げなくてはならないのだろう。鬼畜のような結城様を野放しにしていたお母さんが悪いに決まっている。  でも、僕がおかしな状況を疑いもせずに受け入れてしまって、そのまま流されていたことが一番いけなかったのはわかっている。だから、今だけははっきりと言葉にしようと思っていた。 「お母さん、僕はこの十年のことは忘れようと思います。結城様と僕はもう二度と近づくことはありません。GPSで確認させてもらっているので、あちらから僕に近づくことはできなくなりました。それに、咲耶荘の運営も後藤さんの会社に委託することになりました。そうなると、もうあなたにはここの経営についてものを言えるだけの力がありません。あるのは、市木幸彦の妻という立場だけです」 「でも、それならオーナー夫人ということでしょう? 私にだって株が……」  そこで同席している後藤さんが、ある書類を見せてくれた。それには、ダクレイズの顧客名簿が載っている。 「あっ、あなたそれをどこで……!」  後藤さんはニヤリと笑うと、とても恐ろしい表情になった。そして、その顔に似つかわしいドスの聞いた声で、お母さんへと最後通牒を突きつけた。 「向井なんかと組むからですよ……あなた、娼年買いましたよね? バレると大変ですよー。この情報、いくらで買いますか? 全ての権利を放棄して、黙って奥さんしてなさい。あんたみたいなやつでも、幸彦さんは捨てないでいてくれるらしいですから」 「え……あなた、離婚しないでいてくれるのですか?」  驚いて目を丸くしているお母さんに、お父さんは優しく微笑んでいた。それを見たお母さんは、思わず涙を流した。 「あなた……そんなに私のことを?」  それを見ていた僕たちはというと、もちろん騙されたりなどしていない。彼女が泣くのはお父さんからの愛に対する感動などではなく、自分の立場が守られたことへの安堵であって、どこまで行っても自分のことしか考えていないということは分かりきっていた。  そして、実はお父さんはお母さんと離婚しない代わりに、ある復讐を企んでいる。僕を救えなかったことで自己嫌悪に陥っていたところを、これもまた後藤さんからの提案があり、それを実行することにした。  ここで重要なのは、本人の意思を確認することだ。その後正規の契約をしてもらって、誰も悪人にならない準備をしないといけない。 「頼子、私は君とは離婚しない。だが、それには条件がある。これを君が受け入れるなら、私たちはこれからも夫婦でいることにしよう。さあ、受け取ってくれ」  お父さんの手には、一組のダイヤのピアスがあった。それは、睡蓮のプログラムが施された、あのピンク色のピアス。  お母さんがこれをつけて、お父さんの支配下に収まることを良しとするなら婚姻関係は継続、しないならばそこで終了ということらしい。  そして、ここでお母さんがこのピアスを使い、そのために契約書を作成すれば、綾人さんの咎は減る。とてもいい思いつきだと思った。さすがは後藤さんだ。 「これはもしかして……向井さんの……」  狼狽えるお母さんに、お父さんはゾッとするほど悪意に満ちた笑顔を向けていた。向井の客だったのであれば、あのピアスの威力は知っているはずだ。しかも、お母さんはあのピアスに組まれているプログラムが何なのかを知らない。  自分がどんな目に遭わされるか全くわからないのに、これを受け取るには、かなりの勇気が必要になるだろう。 「さあ、どうだろうね? これがどういうものであっても、受け取る選択しか無いように思うが。君はどうするかな?」  その問いになかなか答えることが出来ないお母さんを尻目に、僕らはお父さんに目配せをして、その場を辞した。 ◇◆◇ 「かんぱーい!」 「あー面白かったな、あの頼子さんの顔! でも、蓮さん。本当にあの程度の復讐で良かったのか? あのピアス、睡蓮よりかなり弱めの設定なんだろう? 被虐っていうより、むしろ甘々で喜ぶんじゃないかっていうくらいのものしか経験しなくて済むぞ」  綾人さんと僕と後藤さんは、三人でバーへと移動して飲んでいた。お母さんの追い込まれた顔を見て、流石の僕も胸がスッとした。十年分の痛みがそれで全て飛ぶわけでは無いけれど、もう十分だと思った。 「いいんですよ。お母さんだって結城様が怖かったんだと思います。だって、正親さんは殺されてるわけですもんね。言うことを聞かないと自分も殺されるって思ってたんだと思います。それに、あのプログラムでお母さんがお父さんに迫ってくれれば、お父さんは喜びますよ。なんだかんだ言って、お母さんのことを愛してますからね。だから、あまり色んな決定に強く進めなかったんですよ。全てが悪循環だったんです。でも、それももう終わりました」  すっきりした面持ちになった自分を、グラスに映しながら僕は微笑んだ。こんなに心が晴れて笑える日がまた来るなんて、思ってもいなかった。 「蓮がいいならいいんだけどな」  綾人さんはそう言って、僕の頬に触れるだけのキスをした。それを見ていた後藤さんがニヤニヤしている。 「蓮さん、あの話は有木にしたのか? 俺、資料揃えたぞ」 「本当ですか? さすが後藤さん、準備が早いですね」  二人でタブレットを覗き込みながら、画像やデータをチェックしていると、綾人さんがほんの少しだけ不満そうな顔をしていた。 「やっと問題が片付いたのに、俺だけ除け者にして何か話すのやめてよー」  そう言ってカウンターに突っ伏した。後藤さんはそんな綾人さんを見て笑っている。 「蓮さん、話してやれよ。もうここからは一緒にやった方がいいぞ」  後藤さんはそう言って僕の肩をポンと叩くと、「じゃ、俺は帰るからな。あとは二人でごゆっくり」と言って席を立った。  僕はスツールから降りると、後藤さんの背中に向かって頭を下げた。 「後藤さん、色々とありがとうございました。この件、また連絡させていただきますね。紗枝姉さんと葵にも、ありがとうとお伝えください」  後藤さんは半身だけ振り返ると、スッと手を上げて「おう!」といい、満面の笑みを浮かべて帰って行った。僕は、後藤さんの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。  彼がいなければ、こんなに早く解決させることは出来なかった。仕事上の付き合いだけでは、ここまで関わってくれなかったかも知れない。彼のような出来た彼氏と付き合ってくれている紗枝姉さんと葵には、感謝しかなかった。  後藤さんを見送って振り返ると、まだ不貞腐れている綾人さんが僕をじっと見ていた。こちらを向くと他の人にも表情を知られてしまうため、必死に冷静を装っていた。 「で、二人で何をコソコソしてたわけ?」  カウンターへと戻った僕に体を預け、キツく腕を絡ませながら綾人さんは口を尖らせていた。僕はその姿がとても愛おしくなって、思わず笑みを零してしまう。そして、綾人さんの肩に頭を乗せながらタブレットのデータを見せた。 「綾人さん、研究所を辞めるんですよね? 次の仕事先はまだ決めて無いでしょう?」 「あー、うん。まだ決めてない」  バツが悪そうにしている綾人さんに、後藤さんが用意してくれたデータの中から、一つの届を見せた。  そこには、診療所開設届の文字がある。ある程度記入を済ませているその内容の一つに、住所があった。それは、咲耶荘のものと同じになっている。 「これ……咲耶荘に診療所を作るのか? しかも……小児科?」  その届の内容を見て、僕の意図が伝わったようだった。綾人さんは目を潤ませると、信じられないという面持ちで、僕の目をじっと見つめた。 「もしかして、俺をここで雇ってくれるのか?」  だんだんと潤んでいく瞳の中には、カウンターの間接照明の光を拾って揺らめく輝きが集まっていた。初めてオールソーツで会った時も、暗いところでお互いの目を見つめあった。    パッと見ていいなと思っていた人から、身代わりとはいえ愛してもらった。それからたくさん一緒に過ごして、今となってはその頃とは存在の大きさがまるで変わってしまった。  僕はポケットから二つのリングを取り出すと、綾人さんの手を取って、一生に一度のお願いをした。 「そうです。僕のために失ったものを、僕があなたにお返しします。そうやって、これから先も、お互いに与え合って生きていきたいんです。だから……僕とパートナーになってください。お願いします」  綾人さんは、イエローゴールドの光の中で、柔らかい笑みを浮かべた。頬に流れ落ちる涙にもライトの輝きが加わって、キラキラと輝いていた。それを見ていると、僕は胸がギュッと詰まって思いが溢れて止まらなくなった。 ——ああ、なんてキレイなんだろう。大好きだ。  そう思える人に出会えたことが、その人と未来を描けることが、僕はとても嬉しかった。 「すごいな、永久就職だ。……よろしくお願いします、蓮」  綾人さんはそう言って、恥ずかしそうに笑った。そして、リングを一つ受け取ると、僕の薬指にそれを通してくれた。そして、自分の手を広げて僕の前に差し出すと、「ん、お願い」と言ってくれた。  僕は綾人さんの薬指に、滑らかな輝きを放ったリングを通した。それが付け根にたどり着いた時、体温がわずかに上がるのを感じた。自分で用意したお揃いのリングを身につけただけなのに、嬉しすぎて震えてしまった。 「こちらこそ、よろしくお願いします。僕にこんな未来を描かせてくれて、ありがとうございます」  カウンターには、今誰もいなかった。綾人さんは僕を引き寄せると、溢れるような光の中で、そっと唇を重ねてくれた。 「みんな幸せにしてくれたお前の優しさが、俺は本当に好きだよ」  そう言って抱きしめてくれた優しい温もりに、体の奥の方からじわじわと幸せを感じた。  ずっと上書きするためだけにあった喜びを、僕はようやく純粋に受け取る日々を手に入れた。    体も心も傷だらけだけれど、綾人さんとなら一緒に歩いていける。支え合って生きていける。  その確固たる思いを胸に、僕たちはこれからの日々に、改めて祝杯をあげた。(終)

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