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第1話
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夜に爪を切るなといわれた。
夜爪から世を詰めるにつながり寿命を縮めることになるから、というのは後で聞いた理由だが、母から聞いた理屈はそうではなかった。
親の死に目に会えないから。
普段親に言われたことを素直に聞いていることの多い私だったが今回ばかりは違和感を覚えた。注意の仕方が尋常ではなかった。
さもそれは、自分の死に目に会ってほしいから自分の子どもには夜に爪を切ってほしくない、といわんばかりに。
実際そうだったのだろう。そうでなければあの怒り方は異常だ。
過程はどうであれ母の試みは成功しているといえる。その日以来私は夜には爪を切ることをやめた。
風呂上りのほうが爪がふやけて上手く切りやすいのだが、爪切りを持っていざ切ろうとした瞬間母の顔を思い出す。顔というよりは存在そのものと言ったほうがいいのかもしれない。呪いのように、強制思考のように。
父といって思い出すのは朝方縁側で足の爪を切っている姿だ。
そもそも父は完全な朝方人間で、暗くなれば眠るし明るくなれば起きていた。どこかの国の大王のようだ。
私が小さいときからまったく同じ位置で胡座をかいてまったく同じ軽やかな音を響かせて、庭に向けて爪を飛ばす。スイカの種ほど飛ばないし縁の下に潜り込んでしまうものも。
母は迷惑していたのだろう。庭に爪が散乱していたら気持ちが悪い。
ひとりだけのときに真似をしたことがある。
その位置で爪を切ってみたかったわけではない。父の真似をしてみたかっただけだ。
しかし特に大したことはなかった。
そこからの眺めがいいとか、そこで感じる風が気持ちいいとか、そういう感覚的な快楽は何もなかった。
私はその場所で爪を切るという光景に含まれるべきではなかったのだ。
縁側で爪を切るのは父であり私ではない。縁側で爪を切るという行為自体に魅せられていたわけではなく、爪を切っている父の姿が好きだっただけなのだ。
それがわかったとき、私は縁側で爪を切る父の姿を見るのをやめた。爪を切っている父に話し掛けるのもやめてその場を立ち去った。
爪は伸びる一方だった。
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