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第2話

     2  一日一食にして三ヶ月が経つ。  別段調子が悪いところもない。空腹感がないから食べないだけのことだ。  私は子どものときから少食だった。むしろあまりにも食べる量が少なくて親が心配したほどだ。  だから身体は大きくならない。身長も体重も平均よりずっと下。小学校は身長順に並ばされることが多いのだが、学年が上がっても常に前から三番目以内にはいた。  特に気にしていない。  身長の高い低いで比べられるものは身長以外にない。身長が高いからといって得することは何もない。チビ、と呼ばれないことくらいだ。  もちろん弟にも妹にも早々に追い抜かれた。中学の頃には、彼らと並んで歩くと私がきょうだいで一番下に見えたかもしれない。  朝から雨だったのでつい出掛けたくなる。  変わった奴だと思われるかもしれないがそう思ってもらって構わない。  頭痛持ちなので気圧の関係か雨の日は頭が痛くなる。当たるも八卦当たらぬも八卦的な天気予報より、私の頭の痛さで傘を持っていくか判断したほうがいい。  そのくらいよく当たる。  実際昨日からずきずき痛かった。よく効く頭痛薬があるのでそれを飲んで大人しくしていたが朝起きたら案の定しとしと降っていた。  朝食は食べない。傘をさして外に出た。  雨の空気が好きだ。降ってくれる量は多ければ多いほどいい。理想的なのは夏の夕立。大粒の土砂降りもいい。  しかし風が合わさると気分のいいものではなくなる。傘で雨が受けられないからだ。傘で雨の重みを感じたいのに、風が余計な流れを作る。その理由から台風は嫌いだ。風がなければいいのに。  ほんの十分歩いて、昨夜の頭痛がぶり返してきたため帰宅する。予防的に頭痛薬を飲んでおくべきだったのだ。そうしないと手遅れになって効かない。  急いで錠剤を口に入れたがもう遅い。こうなるとあとは寝ているしかない。寝ていても治らないのだが他に出来ることがない。頭が締め付けられて何もする気がなくなる。  雨の音が近い。窓を閉めるのを忘れてしまったのかもしれない。しかしもう一度布団から出て閉めるべき窓を探しに行くだけの元気は残されていない。眠ってしまえば気にならないだろう。  起きたのはそれから三時間後だった。  少しは楽になった。頭蓋骨がずっと遠くで軋んでいる感じだ。もう一眠りすれば治るだろう。腹が減ったような気がするがどうでもよかった。一日一食のその一食は昼と夜の合間に食べる。その合間ならどこでもいい。  変な夢を見た。だが起きた瞬間に忘れてしまったので、もしかしたら変な夢ではなかったのかもしれない。変な夢、というタイトルなだけで中身はちっとも変ではない夢だったのかもしれない。なんとも紛らわしい。  夕刻まで眠ってまた外に出る。雨がすっかりあがってしまっていたのが残念だ。ざあざあ降ればよかったのに。しとしとだからもたなかったのだ。  名残惜しいので雨の足跡ともいえる水溜りを探す。それは干上がる寸前の深海魚を思わせる。珍しいが故に物悲しい。適当に買い物を済ませて家に戻る。  玄関に辿り着くには、松や柿や棗などが植えられている比較的広い前庭の石畳を進まなければいけない。郵便は門柱に設置した箱に投げ入れることになっているが、訪問客はまさか箱の中に入って待っているわけにはいかないから、玄関を探しておそるおそる池の付近まで進入する。  だが観察上、大方その辺りで足を止めてしまう。  果たして自分はここから進むべきか進まざるべきか。  頼みの綱であるチャイムも玄関に設置してある。嫌味な鯉は水の中から頭を出して餌をねだるが如く口をパクパクするだけ。  要するに私の家は訪問しにくいことに関しては並ぶものがないと思われる。さしずめ池から先は迷宮の入り口に見えるらしい。  迷宮の出口が玄関になっている。  庇の下に人が立っていた。彼は私が帰ってきたことに気づくと口の両端のみを上げるという独特の笑い方で笑ってみせる。 「遅いよ」 「また、なくなったの?」 「カネ欲しいなあ」  私がカギを開けると彼は真っ先に家に中に上がりこんでしまう。荷物を持ってくれる、という気はいつもながら持ち合わせていないようだ。 「どうして君は僕が留守のときに訪ねてくるんだろうね」 「タイミング悪いのと違う?」  彼はいつものように冷蔵庫を開けて、勝手に麦茶を取り出して、これまた勝手にグラスを出して勝手に飲んでいる。そもそも麦茶は彼のために作っておいたものだから文句はない。私は買い物袋を空にしてから縁側に腰掛ける。  頭痛は程よく引いてきた。まったく痛くないのも物足りないが頭蓋骨が割れるほどにずきずき痛むのも厭である。本当は夕刻のほうが痛むのだが、今日は朝から昼にかけて雨が降っていたせいでそうはならなかったらしい。  窓を開けて風を通す。  彼が隣に座る。グラスの中の氷がカランと音を立てる。 「ここ、涼しいね」 「外で待ってるの苦痛だろうに。合鍵作ろうか?」 「あかんあかん。そうゆうんは認められへんね」  私はグラスの中身が氷だけになったのを確認して縁側に横になる。以前は脚の短い絨毯が引いてあったのだがどうも気に入らなくて剥いでしまった。  板の上だから背中が痛い。しかしひんやりとして気持ちがいい。後頭部と腕だけ温度が下がる。古びて雨漏りのような模様が描かれた天井を見ていたつもりだったが、いつの間にか彼の顔しか見えなくなっていた。  そうやって、私はまた彼と寝る。

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