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第10話

 姉夫婦が死んだ。失踪のほうが近いかもしれない。いなくなった期間があまりにも長かったため死んだことにされてしまったのだ。  姉には二人の子どもがいた。双子の兄弟だ。彼らの引き取り手を親戚で互いに押し付けあっていた。  それなら腐るほどカネがあり悠々自適に暮らしている私に声を掛けるのが筋なのだが、つい最近まで私の耳に入ってこなかった。姉夫婦が死んだとされたのが二年も前なので、そもそも私は選択肢に入れてもらえていなかった。この年になっても独身であるため、性的嗜好になんらかの異常があると思われていたようだ。  その偏見の割には、私が双子の世話を志願した際には二つ返事で許可が下りた。親戚は双子たちに一切関心がないようだった。私が面倒を看ている間も一度も口出ししてこなかった。むしろ厄介払いできてホッとしていた。親戚一同は双子と上手く馴染めなくて極限までストレスが溜まっていたらしい。  ふたりは一卵性双生児であり本当によく似ていた。後ろを向こうが前を向こうがまったく同じだった。中学校で同じクラスに入れられていた。そんなことをしたら混乱しそうだが彼らの見分けはついた。簡単だった。喋るのが弟、喋らないのが兄。  兄が無口で弟がおしゃべり、ということではない。兄は一切言葉を発しないのだ。会話可能な弟に訊いたところ、意図して発しないということだった。たらい回し先で何遍も病院にも行かされたらしいが構音に障害があるわけでもないし、耳も普通に聞こえている。精神だの心だのの問題ということで、医師の見解は一致していた。喋らなくなった時期が姉夫婦の失踪期と一致しているところからもそう診断されたらしい。どこに行っても判で押したように同じことを言われるため、たらい回し好きな親戚一同はすっぱり諦めたようだった。お手上げとも放置とも無視とも言い換えられる。  兄は相手の話が聞こえないわけではないし、例え兄が喋らなくても弟が通訳してくれたので日常生活ではなんら問題なかった。同じクラスに入れられたのもそういう理由からだった。 「じゃあ君には伝わるんだ。僕にもやってみてよ」 「送ったって」 「駄目だ。わかんないな」  兄は喋らない代わりになんらかの特殊な力を持っているようだった。言いたいことが文字として相手に伝わるという能力だった。相手はあたかも電子メールのように文字列を受信する。しかしそれを受け取れるのは世界中で弟だけだった。私の姉夫婦がいなくなってから開花した力だったので遺伝要因が確かめられない。もちろん親戚は全滅である。  だからこそ私は双子の叔父として、それを受信すべく毎日必死に努力した。兄に何度も送信してもらったのだが結果は同じだった。メールの受信に失敗しました、という嫌味なメッセージが頭の中を占拠する。  弟が兄を見て吹き出す。 「おじさん変わってるって」 「そう? こんな面白いこと体験しない手はないよ」  弟と兄は顔を見合わせる。やっとわかってきたのだが、こうして何らかのメッセージの遣り取りをしているのだ。 「病院にも連れてかないし」 「だって無理に連れてってもね。僕も病院は好きじゃないんだ。ほら、待合室でついてるテレビは再放送しか観せてくれないしさ」  私は週に一回双子の家に顔を出した。泊まっていくことも要望がない限り避けた。私は双子が望んだときにだけ駆けつけ望んだだけの金額や物品を与えた。双子たちにも私にもそれが一番いい付き合い方だった。  そもそも彼らは誰にも懐かず誰の手の世話にもならず二人だけでやっていけていた。唯一の問題は経済面だった。だからこそ親戚一同は嫌がったのだろう。可愛がっても笑顔を返してくれない。ありがとうくらいは言うがそれが心からの感謝だとは思えない。資金援助さえあれば料理も洗濯も掃除も何でも出来る。つまり私にぴったりの役割だった。  そんな感じで過ごすうちに冬が終わって春が来た。海外を転々としながら放浪を続けていた私の両親が帰国するらしい。風の噂で私が双子の面倒を看ていることが知れたようだった。お前に孫の面倒を看させるくらいなら、と電話口で怒鳴られた。あの二人は私のことをまったくもって信用していない。私だって信用していないのだからお互い様だ。  彼らの新居、つまり私の実家へ引っ越すため双子と共に新幹線に乗った。長距離だったためか二人ともぐったりしており、家に着くなりすやすやと眠り込んでしまった。  仕方がないので私ひとりで先に送っておいた荷物をあるべき場所に運んだ。と言っても双子の私物だけなので大したことはない。双子はあらかじめじゃんけんをしていたようで、私がいた部屋に兄が、私の姉がいた部屋に弟が暮らすことになった。  懐かしさはなかった。むしろあまり長居をしたくなかった。ふと縁側が視界に入る。父が爪を切っていたのを思い出す。母が夜に爪を切るなと言っていたのを思い出す。頭痛がしてきた。案の定予想通り。  私はわざと頭痛薬を飲まずに散歩に出掛ける。双子には書置きをしておいたから平気だろう。気持ち良さそうに眠っているので起こすのも可哀相だ。  桜は満開だった。小学校まで歩いてみた。私の母校だ。校庭の周りをぐるりと桜の木が取り囲んでいる。花見をしている人たちが花を見ずに桜に群がっている。そこから一キロほど先に中学校がある。私が通ったのもその男子中である。  ここにはいい思い出がない。小学校もそうだ。何も思い出したくない。やけに学ランを来た男子の親子連れとすれ違う、と思ったら今日は中学の入学式だったらしい。笑顔が多くて安心する。せめて彼らには楽しい中学校生活を送ってほしい。もちろん甥の双子も。  学ランの親子連れを見ていたら中学に辿り着いてしまった。学ランを見ると思い出してしまう。自動的に再生される。あれ以来音沙汰がない。着物女が君臨するダークスーツ組織も、和服男が支配するあの屋敷も何も情報をくれない。私はすでに通過された人間なのだ。用がなくなれば捨てるだけ。  ただ、あの少年には会いたいと思うこともあって和服男の言うご贔屓、にしている。近々名前をもらえることになったらしい。私は連絡待ちの状態だ。  息子とはぐれた父兄のふりをして中学の敷地内に侵入する。一応断っておくが元臨時秘書のような不純な動機は含まれていない。  彼女は先日もう一度解雇したが特に不服そうではなかった。いつの間にかどこぞの大学院に合格していたらしく、彼女のほうから辞表を出された。あんな気の利かない素っ頓狂でもいなくなると少し寂しい。何を究めるのか知らないが、教授になるとか意気込んでいたから頑張ってほしいと思う。あくまでほどほどにだが。  私を知っている教員はさすがにもう残っていないだろう。いたとしても教頭か校長クラスだ。頭が遠くのほうでずきずきする。雨が降る前兆だ。花見の群集はパニックに陥るだろう。いまは雲ひとつない快晴なのだから。  帰る前に裏庭をのぞいていくことにした。特に何か思い入れがあったわけではない。お気に入りの場所だったわけでもない。心臓の鼓動と一致しない脈が告げる。 「遅いよ」 「また、なくなったの?」 「カネ、くれへんかな」  お決まりになっていた流れは在りし日のように淀みなかった。時間の経過などまったく感じさせない。見間違えるはずはない。頭痛が眼も前の光景に呼応してひどくなってくるから額が熱い。  彼は桜の木に寄りかかって笑う。私の顔があまりにも間抜けで面白かったのだろう。例のあの笑い方だ。口の両端だけ上げる笑い方。 「今度はコスプレじゃないんだ」 「さっき入学式終わってん。俺もめでたく中坊ゆうわけ」 「ちょっと待って。中一?」 「老けとるからね。よう勘違いされるわ」  彼は生徒証を見せてくれた。確かに生年月日では彼は今年中学一年生で然るべきだった。おかげで名前も確認できた。ヨシツネというのは正真正銘の本名。 「でも珍しい名前だね」 「おっさんほどやないよ。せやった。すまへんけど俺、あの仕事辞めたったから」 「たまに会いに来てくれるだけでいいよ。ちょっと遠いけど」 「一回分前払いがあったな。その分払わな」 「辞めたんじゃないの?」 「借りは厭なん。どこ行こか」 「いいや。とっとく。それを使っちゃったら君に縁を切られる気がする。実はそういうつもりだよね?」 「残念あたり」 「まったくだよ。せっかく当たったのにさ」  渡り廊下に男子生徒が立っており、じいと私たちを見つめている。どうやら友だちらしく、彼はニヤリと笑って片手を上げた。先に行ってろ、と伝えたようだ。男子はしぶしぶといったふうに踵を返す。 「大事な用があったんじゃないの?」 「あれな、俺の雇用主」 「え、だって中学生だよね?」 「ああ見えて次期社長なん。ええもん拾うたよ」 「僕じゃ駄目なんだ」 「駄目やわ。駄目ね」  私はあの男子生徒に嫉妬して気が狂いそうだった。どうしてあんな俄か出没少年に彼を取られなければいけないのだ。私から離れるのは仕方がないが誰かに取られるのは厭だ。それもあんなわけのわからない次期社長なんかに。私は出来るだけ気取られないように平常心を保つ。ゆっくり息を吸ってゆっくり吐き出す。 「理由を聞かせてほしいな」 「おっさんは俺の本名知っとるから。あれは知らへんの。せやから利用できるん。おまけに俺に惚れとる」 「あの屋敷のことだったら誰にも言わないよ。君がどんな仕事をしてたのかだって誰にも言いたくない。第一本名なんかすぐバレるよ。同じ学校に通ってるんだよね? それに僕だって君が」  彼は生徒証の最初のページを開いて私に突きつける。 「これ偽称なん。せやから無理ね」  混乱してきた。頭がずきずき脈打って気持ちが悪くなってくる。ぐらぐらと眩暈もする。彼は生徒証を上着のポケットにしまって桜の木から離れる。 「兄らしきによろしゅう」 「また会いに来ていい?」 「貸しの分だけね」  彼はすたすたと歩いていってしまう。私は彼の背中に念を送っていた。甥の双子のように。でも不可能だった。あの能力は私にはない。それがわかっただけだった。  実家に帰ってもぼうっとしていた。どうやって家に帰ってきたのか全然思い出せない。中学校から実家に帰るために小学校経路を通らずに反対方向から遠回りして帰ったのかもしれない。双子がまったく同じタイミングでのそのそと起きだし、私の様子が変だと指摘してくれた。私も同感だ。大いに変だろう。  最後だと知っていても彼と寝るべきだったのか。わからない。久し振りに彼に会えたからカッコつけすぎたのか。わからない。どうすべきだったのだ。あの男子生徒を殺したくて仕方がない。双子が快適に暮らせるよう荷物の運搬やらを手伝っているいまも、どうすれば彼に気づかれずにあの男子を殺せるのかを必死で考えている。ずきずき痛む頭で完全犯罪について思考している。  両親が帰ってくる前にお暇することにした。双子は初めて寂しいと言ってくれたが、私はそれどころではなかった。適当に別れのあいさつをしてその辺りをぶらぶらする。双子は私がいなくてもやっていける。そんなことは私が介入させてもらう遥か昔から自明だった。私は最初からお役ご免の存在なのだ。  彼のいる場所を探り当てたかった。次期社長が中学生、に相当しそうな企業。思いつくはずがない。私は故郷を捨てて迷宮付きの家に住んでいるのだ。次のステージに移るためには、それまでの歴史や記憶をその都度葬り続けなければならなかった。そうしなければ私は先に進めなかった。先? 先とは何だろう。  もうそんな場所にいるわけがないのに再び中学まで来てしまう。裏庭で座り込んでしまう。不審人物極まりない。逮捕されても文句は言えない。いくら卒業生とはいえ完全に不法侵入だ。  背中が人の気配を察知する。早くも発見された。 「おっさん覚悟しい。ストーカ現行犯で逮捕するえ」 「どこに住んでるの?」 「始業ベル鳴っても間に合うん。ええとこやろ」  私は落ちていた木の枝で地面を掘る。地球に傷を付けてやる。血を流してみろ。 「借り、返そか」  彼は正面に立っている。私は彼の足を囲むように円を描いた。 「捕まえた」 「捕まったな」 「諦めるしかないのかな」 「せやな。俺、おっさんのこと嫌いやないから」 「正直に好きだって言ってよ」 「勘違いせんといて。嫌いやないだけ」  彼は私の描いた円の外に出た。あっという間だった。彼を捕えられた時間はほんの数秒に満たない。私は彼を見上げる。眼の前にいるのに、とても遠くにいるように感じる。 「付いてきぃ」  裏庭に裏門がある。そこから出て本当にすぐだった。眼と鼻の先という言葉はこの距離感のことを言うのだ。古びて打ち捨てられた廃屋を改造して住んでいるらしい。一階建てで浴室と洗面所が母屋から切り離されている。庭が雑草やらわけのわからない外来種で荒れ放題だが、手入れする気はなさそうだった。  彼と一緒に縁側に座る。俄かに日が翳って灰色の雲が出てきたように思う。私の頭痛天気予報は百発百中だ。 「夕方に雇用主が来るん。早うしよ」 「いいの?」 「ずっとストーカされるよりマシやね」  雨音が聞こえる。縁側にいるので音が直に耳に届く。  彼が洗濯物を取り込みたいと言ったが許さなかった。もう一度洗えばいい。面倒なら代わりに洗ってもいい。そう言ったら彼は牡蠣のように黙った。 「檀那様とやらにも?」 「さあ、憶えてへんねえ」 「奥様の側近とやらも?」 「わからへん」 「いまの雇用主は?」 「ないない。それはない」  雨音が激しくなってくる。風が吹いているらしく、足先に水滴が当たる。生ぬるかった。  何もかもが生ぬるい。唾液も体液も、私の思考や意識、行動のすべてにわたって、生ぬるくないものは存在しない。もし私が生ぬるくなかったら彼を幽閉できたかもしれない。彼を誘拐できたかもしれない。私のものに出来たかもしれない。出来ないのだ。そんなことは出来ない。思いつかないのだから。 「期限付き休暇もろうたん。高校出るまでここにおるよ」 「試験を突破したってこと?」 「ちょお難関やったよ。受かったの俺だけ」 「どんなことしたんだろう」  彼は口の片端だけを上げて笑う。この顔を至近距離で見ることが出来てうれしい。私は彼の額を覆っている前髪を除ける。 「雨已んだら帰ってね」 「雇用主に見つかると大変だもんね」 「おっさん、何の仕事しとったん?」 「最低だよ。人と人の隙間を引き裂くだけ。絡み合って自他の区別が付かなくなった人間を切断するんだ。ここまでがあなた、ここからが君ってね。これをすると人間は崩れていく。規模はまちまちだけど結局がたがたになる。その最初の一撃を打ち込むのが僕。あとは自然崩壊だから高みの見物と決め込む」 「オモロそうやね。俺も依頼しよかな。ああ、せやけどおっさんもう辞めたゆうてたね。あかんわ。早う知りたかった」 「君の依頼だったら受けてもいいよ。壊す相手はあのふたり?」 「壊すも何も、あれはもう崩壊しとるからなあ」 「そうじゃなくて、檀那様とやらが支配している屋敷と、奥様とやらが君臨してるダークスーツ組織を崩壊させるんだ。それでいいかな」 「そないなこと出来るん?」 「それが可能だったから僕は莫大な富を築けたんだよ」 「莫大な富なあ。ええ響き」  彼と私とを遮る空間がなくなる。 「ただで頼むわ」 「ゆうと思ったよ」  夜になっても雨はざあざあ降っていた。地球上に棲む全人類の水分を吸い上げて降っているみたいな神話的な雨だった。  私は彼から傘をもらった。どこにでも売ってそうな透明なビニール傘だが、私が手に入れることが出来た彼の有形物はこれが最初で最後だった。私はそれを差して、靴やズボンがずぶ濡れになろうが両脚が棒になろうが黙々と歩き続けた。  線路に沿って歩くと、運命的に混雑している電車と競争しているみたいで面白かった。スタートする前から勝負を投げている私のことに眼もくれず電車たちは行ったり来たりを繰り返す。公共交通機関においては個を喪失していたほうが都合がいい。  人間はどうだろうか。  駄目やわ。駄目ね。  個を認識させると滅んでしまう。人間には個がないから。覚醒と同時に滅亡が待っている。  これから仕事をすることになる。何年ぶりなのか見当も付かない。だがブランクは感じていない。頭痛がみるみるうちに緩和してくる。脳ではもう滅びのシミュレイトが完了している。  私は彼と共に高みの見物と決め込むことにする。  月を愛でる縁側で爪を切りながら。

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