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エピローグ
「ツネがおらんと淋しいさかいに。たまに電話しよれよ」
「へーきなのと違うん? 俺と似てへん可愛らしにーちゃん入れ違いで来よったやん」
「拗ねとるんか。心配せぇへんでもお前以上に相応しのはおらんて。ああそか、逃亡しよったときに世話んなった先生がにーちゃん贔屓にしてんのが気に障ったんやな。そのうち身請けしたいゆうかもしれへんくらいの可愛がりっぷりやもんな。嫉妬もするわ」
電話を切ろうとしたら、ちょい待ちぃと叫ばれた。
「律儀に答えおってなぁ入試。受験番号書いといたら合格っとったのに」
「暇やったん。昼寝するにも短いし」
事前に理事長的ポストに圧力がかかっていたため、入学試験を受ける必要すらなかった。
入試当日は学校見学、と適当に理由をでっち上げて出掛けた。てっきり門横付け車送迎を覚悟していたのだが、意外にも単体で移動できた。素性を隠して、というか偽装して学校に通うことになるからその配慮、なんて気が利くわけがないから他に用事があったのだ。
レンタル商品の又貸し、延滞料金トンズラ。
よくある話。
「そんでうれしいお報せね。おべんちゃらにしおったら芸がないさかいにねえ。一番やったらしいで? てきとーなモンなんやなぁ、にゅーしゆうんは。それともお前、実はアタマええんか?」
「せやね、遺伝子がええもんねえ」
「憎たらしりっぷさーびすもナマ聞きできへん思うと名残惜しなぁ。なんやゆうときたいことあるか? 気ぃ向いたら伝書バトしといたるぞ」
黙っていたらまた叫ばれた。
もう用はない。
二度と用がなければいい。
「ええ加減にしたってな」車から降りる。
問題はいつまでもつか。在学中に手を回されたらそれでお仕舞いか。この家に生まれたことを精一杯呪う以外に回避方法を知らない。
浮かばない。忘れてしまえ。
電車に乗って目的地へ。駅から延びるメインストリートの両側にみやげ物の店。完全に観光客相手の。
それが途切れるブロックにえらく地味な三階建てのビル。場所が合ってるから間違いないだろうが、支部か。
ビルの外観も確実にボロい路線。お世辞にも最先端とはいえない。入り口は辛うじて自動ドア。
内部も大したことない。L字カウンタとその脇に応接室。従業員は満面笑顔の頼りなさそうなただ青年一人。
ひとり?
アタマが痛くなってきた。いかんいかん。
「いらっしゃいませ」どう見ても二十代半ば。
背丈がさほど低いわけでもないのに妙に小柄に感じられるのは、体格がゴツくないせいか。ライトグレイのパーカに、ベージュのパンツ。インナはチェックのブルー系シャツ。過剰にカジュアルすぎる。
内面も決して余所行きではなく、かといって砕けすぎてもいない。トレーニングの賜物的な営業臭くない柔和な微笑み。これが素だとしたらなかなか侮れない。
「しゃちょーさんおらへんかな」
「はいはい、ちょっとお待ちくださいね」従業員は椅子を勧めて奥に引っ込む。
ガラス張りだと思ったがワンサイドミラだ。すぐそこを通過する人々が丸見え。なんともはや。趣味なのか。それともやはり、建物のボロさを隠れ蓑にして実は相当計算高いことが秘密裏に行われているか。
いやいやそんなまさか。修羅場のくぐりすぎで深読みをしすぎているのかもしれない。曲りなりも公明正大な一般企業なんだから。
衝立に遮られて客からは見えないようになっているが、微かに水の音がするので、この奥は給湯室になっているのだろう。
従業員が戻ってきた。やけに仏頂面の男を連れて。
眼が合った瞬間に酷く厭そうな顔をされた。なんだこのガキは、というよりは、なんでこのガキが、が近いかもしれない。気に入らないのではなく瞬時に根底を探っている。用心深いタイプ。それはこちらとて同じ。
さて、いざ勝負。
「どうも忙しいとこすんません。実はこの春そこのガッコに入学決まりまして。せやけど困ったことに、なんやいろいろぐしゃぐしゃ込み入ったじじょーがおうて、一人暮らしせなあかんのですよ。んで」
「回りくどい。用件を言え」
髪の色は従業員以上に明るい茶。むしろ黄色といったほうがいい。トップがこれじゃ従業員がラフなのも頷ける。
人様の髪の長さに文句を付けるつもりはないが、後ろで一つに結わえるならぜんぶ結べ。サイドにばさばさ結わえ損ねが残っていて落ち武者のようだ。
落ち武者。
仮にそう呼ぶことにする。
コットンの白シャツに黒のインナ。ダークブラックのジーンズ。痩せぎす。単に筋肉を育てる意志がないのだろう。
「三階建てみたいやけど、上に住んどるんかな」
「主語は誰だ?」
「そんなん本人がいっちゃんわかっとるのと違うん? しゃちょーさん」
高圧的に態度がデカいのは育った環境か、はたまた対有象無象用プログラムか。
落ち武者が凄まじいオーラをもって従業員を睨むが、当の本人はモニタに向かってキーボードをぱこぱこ叩いていてまったく気づいていない。気づいているかもしれないが、トップの意向をここまで完全無視できるツワモノもそうそういない。
やはりこの従業員はタダモノじゃない。うっかり笑いが込み上げる。
支部とはいえ、ほぼひとりで業務をこなしてるのだ。その時点で察するべきだった。こちらも本気で対峙したほうがいい。用心するに越したことはないし、これから長い付き合いになるであろう最初の一手で臆したら敗北は濃厚。
まあ端から負ける気なんて更々ないが、可能な限り完封勝利でこのビルを後にしたい。負けず嫌いは心得ている。
「部屋、ええかな」
「どういう意図だ」
「そらもうごじゆーに」
従業員に呼ばれて窓口に顔を見せてしまったときすでに、逆戻り出来ない位置にいたということに早くも気づいたらしい。
我ながら慧眼。読みは当たっていた。
名に実が伴っているトップは珍しい。少なくともこの企業は彼の代で潰れることはまずあり得ない。
それで充分。それが狙い。
落ち武者は従業員に聞こえるように大きく舌打ちする。
フツー客の前でこの態度は、とクレームで然るべきだろうが、この態度こそが敗北宣言。スタッフオンリの区域に踏み入ることを許された。所要時間僅か五分。
これなら天下も取れるかもしれない。と天狗になってみる。
水道とガスのさらに先は、コンクリートの階段。たった一枚ドアを隔てただけなのに、突如として無機質でひんやりとした空間に化ける。
迷うことなく三階に案内された。おそらく二階はスタッフ用の休憩室。根拠はある。自分だったらそうする。
そして三階は、プライヴェイトルームに充てる。
「靴脱げ。いい、棚なんか入れなくて」
照明をつけない。来るならこのタイミング。
正直にいうなら階段の段階で準備万端だったのだが、まったくその気配がない。後ろすら振り向かなかった。だから部屋に入った瞬間を予測していた。
どうだ。
落ち武者は照明をつける。
「何してる。そんなとこじゃ話できないだろ」
ハズレ? いやそんなはずは。
そうか、ソファに座ってから。部屋の中央にキングサイズのベッドがあった。あからさま過ぎて力が抜ける。
しかし落ち武者はそこをスルー。窓際のソファに腰掛ける。
ん? おかしい。
表情も素振りもこれといって。
「融資の話だろ」
「あーまあ、せやね。大筋は間違うてないな」
「俺の噂か?」
まずい。会話が向こうのペースになってる。手を出してきた場合のシミュレイトなら実体験として腐るほど手の内があるのだが、いやいや例外に対応できなくてどうする。
出来る。一瞬で立て直せる。
落ち武者の視線を感じる。
は? このタイミング?
「本物みたいだな。まさかさっきの」
どうやら制服を見ていたらしい。いちいち紛らわしい。
踊らされてどうする。向こうに踊ってもらわないといけない。相手がボケだと拍子抜け。
「ウソやないよホンマの話。おんなじガッコやね、どーぞよろしゅうセンパイ」
「名前は?」
「ヨシツネ」
「名字?」
「どっちやと思う?」
落ち武者は眉をひそめる。腕まで組んでうーんとか唸ってる。本気で悩んでる。
なんだこいつは。
「まあいい。乗っ取りが目的じゃないなら受けてもいい」
「乗っ取りやとしたら?」
「乗っ取るほどの魅力があるとも思えないがな」
「そら内部の意見やん。企業研究ばっちりやさかいに、誤魔化せへんよ」
「乗っ取りなのか?」
肩を竦めとく。イエスともノオとも言えない。現段階では、という但し書きつきで。上手くいく見込みがあるなら続行するし、そうでないなら早々に手を切る。
落ち武者がケータイを見つめる。
「話を戻すが、企業研究とやらがばっちりなら俺の噂は」
「まあ、いちおな。ホンマなん?」
眼が合う。
強いてこちらから合わせた。テストみたいなもの。反応を確かめる。
参考までに、逸らさず凝視してきた人間は二人しか知らない。
「俺は童貞じゃあない」
「答えになってへんけど」
落ち武者が息を吐く。笑ったのかもしれない。顔画仏頂面すぎてわからなかった。
「ひとつ訂正する。俺はまだ社長じゃない。次期、社長だ。保証はないぞ。それでもいいなら寄生しろ。ここだろうが、こっちだろうが」
前者は床、後者は額。
下半身を指さなかった点に疑問符を投げかけてもいいが、すぐに明らかになりそうだ。予想もつく。
「まず住居か。何か要望あるなら」
「俺、朝苦手なん。せやからガッコと眼と鼻の先がええな。それと日本家屋。多少ボロっちくても構へん。コンクリート打ち放しとか安っぽい集合住宅的アパートは堪忍な」
「同居でもいいぞ」
「あーそらもっと堪忍やわ」
てっきり冗談かと思ったが、そのショックそうな顔を見ると本気だったか。
なるほど。予想は当たってる。
「あっち行こか?」
「溜まってるのか?」
「俺やないよ。いちお出資元に気ィ遣うてるんやけど」
部屋の中央にでかでかとベッドなんか置いてるくせに、やたら慎重だ。たまたまゴムが切れてるだけか。
「媚売るくらいなら一緒に暮らせ。生憎性欲処理は間に合ってる」
厄介な相手に眼を付けたかもしれない。
心が手に入らないなら身体だけ、てゆう思考のほうが操りやすいのだ。ただの一度でも激しく抱かせておけばその時の快感を追い求める脳奴隷。
しかし落ち武者は真逆。定期的に愛なんてゆう非定型の物体を与えないといけない。
いろいろ不満はあるが、溜息をついておく。
「わーった。ちゅーだけしとこか」
身を乗り出したら仰け反られた。
拒否か。この百戦練魔に恥かかせるつもりか。
手も振り払われる。ソファをバリケードにされる。それでも嫌がってるわけじゃなさそうだ。軽々しく、という一点のみに抵抗があるらしい。
きっと自分の中に揺るがない順序があってその通りに進展させたいのだ。童貞じゃないくせに身持ちが固い。もしやいかがわしいブラフ作戦。
「先にゆうとくけどな、身体接触以外に返せるもんないえ? こーゆーとき流れにのっといたほうがええ思うなあ」
「おい、何人相手にした奴のセリフだ」
「さあなあ、そーぞーに任せるわ」
本当に想像してる。落ち武者は面白いくらいに顔に出るから退屈しない。
追及すれば答えてもいいのに、名前だってどうせ偽名。同じ学校なんだからすぐバレるだろうし。それに次期社長の出所不明のあの噂だって情報ソースが限りなく怪しかったから、鎌掛けに使おうかどうかすら迷ってたのに、自分から振ってきた挙句自滅する始末。
誰かに告げたかったのかもしれない。下の従業員は知ってるだろう。身体の周りに極厚の膜張って他者の一切を拒絶してる落ち武者が対応に苦慮してるほどだ。
「ええな? 処理間に合うてるんなら、もう誘わへんよ二度と」
なんで惜しそうな顔をする。
落ち武者が要らないって言ったからこっちは。
「誰にでもそうゆうのか」
「尻軽ゆうこと? 相手は選ぶよ。俺にとって得がありそやったら」
「ネコ?」
「どっちもいけるえ」
落ち武者の脳内で葛藤が起こってるのが手に取るようにわかる。
オモロい宿主みっけ。
***
今年初めての積雪。四十センチは積もっている。
雪かきをするつもりが、もたもたしている内にまた降ってきてしまった。降りしきる落ち葉の中を必死で掃き集めるのとどちらが楽しいだろう。手がかじかんで感覚がなくなるまで続ける。真っ赤。
食事を作ってお部屋に運ぶ。手が赤いことを気にしてもらえた。握ってほしい、と思ったらそうしてくれた。暗い中雪かきした甲斐があったかも。
食事の片付けをしてから庵の掃除。特に念入りに。
だって明日から、新しい子が来る。
「ちょお浮かれすぎなのと違う?」
「お帰りだったんですか」
食事の用意をしようとしたら要らないと言われる。哀しそうな顔をしても無駄だった。たぶんどこかで食べているのだ。僕が作るよりも数段美味しいものを。
「確認しよ思うてな。訊いたらトンズラ」
鼻の頭が赤い。微かに息も切れている。
僕はどうしても彼の視界に入りたくてその眼をじいっと見つめていた。
彼は無視して雪を投げる。
「また、にーちゃんか?」
「そういうことになります。何か、引っ掛かることがおありになるんでしょう?」
雪玉は池に落ちる。
「今度こそホンマのにーちゃんやないかな、て」
「お得意の勘ですか?」
「俺の読みやと、二人。一匹はてーはんぱつのとこ。もう一個は」
落ちる。
「こーけーしゃ」
肯く必要はない。代返してくれる人が現れた。
奥さまと呼ばれている人。
僕は頭を下げて退場する。
あの人は僕を好いていない。実際に言われたことはないけどわかる。
銃声。彼が投げた雪玉を打ち抜いた。
賭けに負けた彼はしぶしぶ迎えの車に乗る。
「なんや、ツネいてたんか」ちょうど檀那さまが帰ってきた。
この二人がばったり遭遇するのは珍しくない。あの人には檀那さまの行動が手に取るようにわかる。
「おやかまっさんどす。せえだい気張りおし」奥さまが言う。
檀那さまはそれの一切を無視して僕を抱き締めてくれる。
車のエンジン音。遠ざかる。あの車のウィンドウが曇ってなければよかったのに。
そうすれば僕は、彼と眼を合わせることができた。
そうゆう幻の覚書 。
「ただいま」
「おかえり。次の子はもうちょっとかいらしといいな」
降雪の勢いが強くなってくる。
檀那さまは相当お疲れみたいで、僕の膝の上で眠ってしまった。布団を敷いてそちらに寝かせようと思ったけど、寝顔が素敵なのでもう少しこのままでいようと思う。
僕のためにひねもす線香まみれになってくれているのだ。せめて仏教じゃなければよかったのに。
僕はすでに、明日来る子の名前を考えてある。
名前ストックくらい幾らでも。
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