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2. 幻実*
都心から電車で数十分。
郊外に建つマンションに帰宅する。
夜景がよく見える15階。
オートロックキーを使ってドアを開ける。
「…疲れた」
部屋は真っ暗。
暖房もついていない。
服は朝から脱ぎっぱなし。
料理の匂いもしない。
空虚で、無機質な部屋。
ここには何も無い。
優しさも、幸せも、
愛も。
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スーツのまま、ベッドに身を投げ出す。
時刻はもう23時を過ぎている。
ずっと使っていなかったシングルベッド。
もうシーツを汚すこともなくなって、いつも乱れることなく綺麗ままだ。
だけど、それがどうしようもなく物足りない。
洗ったシーツをベランダに干して、しばらく二人で風に吹かれたあの時間。
特に何かする訳でもない。
ただコーヒーを飲みながらダラダラ喋るだけの時間だった。
端から見れば何気ない休日の1コマだろう。
俺は、その何気ない時間が好きだった。
マグカップを持つ長くて綺麗な指も、
空を眺める瞳も、
乱れた髪が風になびくのも、
全部好きだった。
今でも、時々思い出す。
そよ風の吹く、よく晴れた冬の日のこと。
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「横向いてればいいんですか」
「うん、いつも通りの感じでいいよ」
「で、どうしたんですか急に」
「特に意味はないよ、ただ描きたくなっただけ」
「そうですか」
「結構好きなんだよねー、人の横顔」
「…へー」
「あ~、また妬いてら~」
「悪いですか」
「いーや、まんざらでもないね」
「…幸せな人ですね」
「ふふっ、優陽もそうでしょ?」
「……まぁ…」
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「ほら、できた」
「…盛りました?」
「まさかぁ」
「…どうするんですかこれ」
「アトリエに飾るよー」
「あぁ、一人で寂しいんですね」
「…ふっ…ほら、優陽もおんなじだ」
「何がです?」
「今、嬉しそうな顔したよ?」
「…そうですか」
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…そうだ。
自分だけを見てくれるのが嬉しかった。
俺も、貴方も。
でも、いつからでしょうね。
貴方は、俺だけを見てはくれなくなった。
二人きりの時も、ときどき他の誰かのことを考えるようになった。
貴方の心の中には、ずっと俺じゃない誰かがいた。
だけど行為中は、変わらず俺だけを見てくれた。
俺の気持ちに応えようと、頑張ってくれた。
だから、何度も欲情した。
ずっと貴方だけを考えて。
また貴方に求めてほしくて、頑張った。
一人で開発するたびに、もっと貴方が欲しくなっていって、もどかしかった。
気持ちよくなって、
また俺が欲しくなって、
他の誰かのことなんかどうでもよくなって、
一生俺だけを想ってくれる。
そうなるって、思ってた。
「…あーぁ……」
そんなことで、何も変わる訳がなかった。
‘‘気持ちよかったから’’
そう求められても、そこにあるのは愛じゃない。
ただの欲だ。
愛されたかったのは、身体じゃない。
俺自身だった。
そうだよ。
互いを欲してなんかなかった。
ただ、‘‘愛してた’’。
でも、それだけじゃ足りなかった。
俺が求めてたのは、
‘‘一途な愛’’だった。
自分だけを、愛して欲しかった。
だから、また俺だけを見てくれるように、
ずっと側にいたいって、思ってくれるように___
『…っ、はぁっ…んっ……』
何度も、
『…あっ、んんっ……』
何度も、
『あっ、あっ…そこ…っ』
何度も、
『っ…あ、あ、っ…おくっ…もっ、と……んっ…!』
何度も、
『あぁっ、あ、あ、あっ…!やッ、あっ、あっ…!』
何度でも。
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「…ん……」
アラームが鳴っている。
寒い。
部屋は、薄明るい。
「…ん~……」
手探りでスマホを探し、アラームを止める。
画面を見ると、時刻は5時半を回っていた。
外は晴れているのか、カーテンの隙間から白い光が漏れている。
毛布も掛けず、暖房も付けていなかったため、体はすっかり冷えきっている。
スーツのまま寝てしまったせいで、Yシャツにはあちこちにシワが出来ていた。
「…はぁ……」
脳に焼き付けられた思い出。
突然現れては、散々心を掻き乱していく。
貴方がいたら、
‘‘そんなこともあったね’’って、
笑ってくれるんでしょうね。
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