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第1話
プロローグ
石造りの城郭都市に花吹雪が舞う。城門が開くと北方遠征軍の将軍を先頭に、騎士や戦士たちが続々と入城した。石畳の道の両端を埋め尽くすように人々が待ち受け、大歓声で彼らを迎える。
その歓声がひときわ大きくなったのは、鉄兜を被った長身の英雄が黒馬に乗って姿を現したときだ。一斉に「セオドアさま!」「サウスモーランド公子バンザーイ!」などと歓声が上がる。まるで国王の生誕祭と建国記念日が一緒にやってきたかのような賑わいだ。
それもそのはず、少なくとも五年はかかると言われていた国境での戦争を、弱冠二十歳のセオドア・ラムリーが、わずか三年でこのウィズナー王国を勝利に導いたのだから。
セオドア、と呼ばれた英雄は、頬まで覆う鉄兜を脱いで暑苦しそうに頭を左右に振った。短く切りそろえたプラチナブロンドが陽光を浴びて絹糸のように輝く。宝石のような碧眼も、通った鼻筋も、顔にバランスよく配置されているせいで、英雄どころか一国の王子のようにも見える。
そんな美貌に見とれたのか、民衆が一瞬しん……と静まりかえる。
なんだ、と異変を感じたセオドアが彼らに目を向けると、セオドアをたたえる歓声が何倍にも大きくなった。「すごい、なんて美しい英雄だ」「さすがサウスモーランド公爵の跡取りアルファね」「結婚して!」などと賞賛以外も交じる歓声でも、英雄の黒馬は気にせず石畳を闊歩していた。人口五万人の王都が、歓喜に沸いた。
王宮に到着したセオドアは、北方遠征軍の将軍とともに謁見の間に姿を現した。
「よくぞ国境を守ってくれた」
数段高い場所から、豪奢な椅子に腰かけた国王が二人をねぎらった。片膝をついたまま頭を下げる将軍たちに、国王が顔を上げるよう指示する。
セオドアも顔を上げると、国王の横に立っていた王太子エセルバートが視線をそらした。長い銀髪がさらりと揺れる。
「セオドア……立派になって帰ってきてくれたな」
国王の言葉に、セオドアは「ええ、まあ」と生返事をする。将軍に咎められたが国王がそれを許した。
「いいではないか、わずか十七歳で出征し、たった三年で救国の英雄になって帰ってきたのだから」
将軍がゆっくりとうなずく。
「セオドアがいなければ、我々はいまだ国境で一進一退を続けていたでしょう。戦の神が憑依でもしたように敵陣を蹴散らしてくれました。セオドアこそ、この戦の最大の功労者です」
満足そうに笑って、国王が手を叩いた。
「素晴らしいな! お前の父、サウスモーランド公爵もさぞ鼻が高いだろう。褒美をやらねばな……その前に、そなたに会わせたい人物がおるのだ。彼を連れてきなさい」
国王の指示で姿を現したのは、白装束に白いヴェールを被った青年だった。ヴェールの中でこぼれる微笑みに、周囲の男たちが頬を染めて見とれている。
「リオだ。〝聖なるオメガ〟を知っているだろう? 彼は治癒や天候操作ができる特別なオメガで、現在神殿で正式な神子として務めている……英雄であるアルファのそなたとは、きっとよい番に――」
「聖なるオメガ? 知りませんね」
国王の説明を遮って、セオドアはつまらなさそうに言った。ヴェール姿の青年が手に持っていたロザリオをカタンと取り落とす。
「そんなことより、褒美をくださるとおっしゃいましたね。望めばなんでも叶えてくださいますか?」
「ああ……もちろんだ。功労者の願いを退けるわけにはいかないさ」
詰め寄るセオドアに気圧された国王は、苦笑いをしながらうなずいた。
セオドアは「では」と咳払いをした。
望むのは財宝か、領地か、それとも名誉か――王族や高官、遠征軍幹部らが息を呑んでセオドアの返答を待つ。
「義兄のサミュエルと結婚させてください」
今度は王太子が勲章を床に取り落とした。この後、セオドアに授ける予定のものだった。
国王も同時に狼狽える。
「お前の兄サミュエル・ラムリーは、お前と血のつながりはなくオメガだ。確かに条件だけ見れば結婚はできるが……そうかセオドアは知らなんだな、彼は我が長子エセルバートとの縁談が進んでいて、君には〝聖なるオメガ〟と番に――」
「だから、帰ってきたんですよ」
セオドアが無礼にも国王の言葉を遮った。
「サミュエルと王太子が婚約発表の準備を始めたと連絡を受けたから、戦争を三年で終わらせて帰ってきたんだ。国益にはなりましたよね? 褒美はサミュエルとの結婚、それ以外は受け取らない。なんだっていいと陛下、今言いましたよね」
プラチナブロンドの間から、ブルートパーズのような瞳がぎらりと光る。その視線の先にはエセルバートが青ざめてたたずんでいた。
「先に約束を破ったのはそっちだからな、エセルバート」
お祝いムードだった謁見の間が一気に凍りついたのだった。
【1】
「ドリー急いで。セオが帰ってきてしまうよ!」
王都内にあるサウスモーランド公爵邸で、公爵の長男サミュエル・ラムリーは侍女の名を叫びながらエントランスの階段を駆け下りた。
「お待ちください、サミュエルさま! お召し物をちゃんと整えてから……!」
ドリーがサミュエルの胸ポケット用ハンカチーフを手に追いかけてくる。そんなことをしている暇はない。
家の前で、一番に笑顔で迎えてあげたいのだ。
十七で出征し、奮闘して英雄となって帰ってくる最愛のセオこと弟セオドアのために。
(怖い思いもしただろうな、いっぱい抱きしめてやろう)
出征するとき、自分より少し高いくらいの背丈だったセオドアは、オメガの自分と違って体格も良くなっているだろうが、やはり二十歳ではまだ自分にとっては子どもだ。つい最近まで雷を怖がって自分のベッドに潜り込んでいた可愛い弟なのだ。
ドリーが手鏡を持ってきて「お髪(ぐし)だけでも!」とサミュエルに持たせた。
鏡の中では、サラサラの黒髪を梳かれる自分が頬を紅潮させて笑っていた。紫色の瞳がチカチカと光を反射する。かつてはこの瞳の色とひねくれた性格で、使用人たちから「アメジストの悪魔」と呼ばれていたこともあったが、今ではすっかり仲が良い。
サミュエルは〝この世界のシナリオ〟を思い出して、気まずそうに鼻をかいた。
(セオとだって本来なら犬猿の仲で、今回の帰還でも『なんで生きて帰ってきたんだ』と忌ま忌ましそうに吐き捨てるのが僕の役目だったんだけどな)
++++
ウィズナー王国屈指の貴族であるサウスモーランド公爵家の、長男サミュエル・ラムリーが前世の記憶を取り戻したのは十歳の誕生日だった。
前世では日本という文明の発達した国で、祖父とアルバイトの少年と三人で力を合わせて農業を営む二十四歳の青年・児玉(こだま)敬人(けいと)だった。増水した川に流された祖父を助け、溺れてしまったのがその人生の最後だった。
サミュエルが十歳の誕生日を迎え、親からテディベアをもらった際、「もう十歳なのにぬいぐるみなんて」と口にした瞬間、思い出したのだ。
全く同じ台詞を前世で、自分が亡き両親に放って後悔したことを――。
農業一家で育った敬人は、十歳の誕生日に恐竜のぬいぐるみを両親からもらった。本当は嬉しかったくせに、大人ぶって「こんな赤ちゃんみたいなぬいぐるみなんて」とケチをつけてしまったのだ。
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