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第3話
「救急車呼びましたから! 安全な場所で安静にしていてくださいとのことですっ」
「えっ? 呼んじゃったんですかっ?」
要らないと言ったのに!
「……はい、はい。頭部強打でさっきまで意識を失ってました。今は会話ができますが、全身を激しく打ってますっ、とてもじゃないがこのまま放置はできません!」
諒大は電話の向こうの相手にめちゃくちゃ大袈裟に病状を伝えている。あちこち鈍い痛みがあるが、颯は少し休めば、なんとか立ち上がれそうなのに。
「職場に、連絡しなきゃ……」
「俺がやります。七瀬さんは休んでいてください」
救急への連絡が済んだあと、諒大は颯のスマホを使って颯の代わりに話し始める。
「……はい。はい。そうです。事故で……はい。よろしくお願いします」
どうやら諒大は颯の代わりにアルバイト先に事情をうまく説明してくれたようだ。
それにしても事故、ではない。颯が自ら階段を踏み外したのだから自己責任だ。それをうまく事故ということにしてくれたのたのだろう。颯が少しでも善処されるように。
「すみません……」
「いいですよ、このくらい。気になさらずに」
そう言ったあと、諒大は今度は自分のスマホで電話をかけ始めた。「ごめん、今日の予定は大幅に遅れる」「先方に謝っておいて」と聞こえた。おそらく仕事の話で、会話の相手はのちに出会うことになる諒大の秘書の猪戸 だろう。
「あの……放っておいて……ひとりで、大丈夫……」
そうだ。思い出した。このあと諒大が自分の仕事の予定をキャンセルしてまで颯に付き添ってくれたのだった。それを、どうにかして断らなくてはいけない。
「起き上がれますか? 寝たままのほうが楽ですか?」
「あっ……お、起きれますっ」
颯はゆっくりと上半身を起こす。するとクラクラと眩暈がして倒れそうになり、その身体を諒大に支えられた。
「すっ、すみません……」
「大丈夫です。救急車が来るまで俺に寄りかかっていて」
諒大に抱かれたとき、ふわっといい匂いがした。匂いというより全身で感じるもの。これはアルファ特有のフェロモンだ。
こんなに甘くて心が安らぐフェロモンを感じたことがない。今まで出会ったどんなアルファにも惹かれなかった。やはり、この人だけは特別だ。
「可愛い……俺の……やっと会えた……」
諒大が颯の頬に手を伸ばす。そうだ。このとき初めて諒大と触れ合った。それだけでドキドキが止まらなかった。
ダメだ。このまま流されたら、同じ運命を辿ることになる。諒大はこのときから佐江と仲良し恋人関係にあったかもしれないのに。
巻き戻っても、諒大との出会いは回避できなかった。だとしてもここから諒大から離れなければならない。
「さ、わらないでっ」
颯は諒大の手を振り払おうとする。
何が運命の番だ。そんなもの、跳ね除けてみせる。
振り払ったつもりなのに、タイミング悪くクラッと眩暈がして、颯の指が諒大の鼻の穴にぶっ刺さる。
「すっ、すみませんっ……」
ちゃんと謝ったのに、諒大の顔が怖い。それもそのはず。鼻に指をぶっ込んだらせっかくのイケメンが台無しだ。
「許さない。俺がこの日をどれだけ待ち望んでいたかわかりますか。目の前にいるのに触れてもいけないなんて耐えられない……」
「は……?」
鼻に指を突っ込まれながらも、まったく動じず、真面目な姿勢を崩さない諒大の態度に、颯の血の気が引いたとき、救急隊員が到着した。
救急隊員たちは、颯と諒大の身体を引き剥がし、あれよあれよと手際よく颯の容体をトリアージしていく。
「骨折などは無いようですが、怪我の治療と、一時意識を失うほど頭部外傷が激しかったようですのでCT撮ったほうがいいですね。とりあえず救急車に運びます」
今度は担架に乗せられて、ご丁寧に運ばれていく。そしてなぜかもれなく諒大がついてくる。
諒大がごくごく自然に救急車に乗り込もうとして救急隊員に止められる。
「ご家族のかたですか?」
救急隊員の言葉に、颯が「その人は——」と説明しようとしたときだ。
「はい。そうです」
真顔でしれっと嘘をつく諒大。その堂々たる姿に尊敬すら覚える。颯の心の中は、いや、この人はさっき出会ったばかりの他人なんですけどとザワザワしている。
「颯っ、安心しろ俺がついてる。吐き気はないか? どこか変に痛むところは?」
諒大は救急車のベッドに横たわる颯のそばから離れない。
あの、救急隊員さんの邪魔です。お願いだからそばにべったり張りつかないで。
「うう……っ」
急に胸が苦しくなって颯は身体を丸くしてうずくまる。
「颯、大丈夫か! これ、人工呼吸、必要ですかっ?」
「要りません。大丈夫ですよ。ご主人、慌てすぎです」
ちょっと待て。具合が悪いからあんまりよく考えられないが、ツッコミどころが多すぎる。
いつの間にか名前呼びされているし、どう考えてもこの状況で人工呼吸なんていらない。
それに、いつから諒大が颯のご主人になったのだろう。
それから病院に到着するまで、救急車の中では、「喉は乾いてないか」「背中さすろうか」などと散々甘やかされた。側から見ていた救急隊員たちも諒大の態度に迷惑だとも言えなかったのか、「ご主人にとても愛されてますね」と引き攣った笑顔を浮かべていた。
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