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第2話
◆◆◆
颯は幼いころから身体が弱かった。体格も小さくて、運動が苦手。体育のドッヂボールではいつも逃げ回ってばかりだった。
性格も暗いから、あまり友達はできなかった。引っ込み思案で人と話すのは苦手。高校生になったころには、会話をして変なことを言って余計に嫌われるのが怖くて、ひとりきりになることを望むようにすらなっていた。
卒業後、颯は日雇いバイトやアルバイトなどを転々としながら生きている。
オメガには三ヶ月に一度、ヒートと呼ばれる発情期がある。発情期は一週間程度続き、その間は仕事などできない。
ポンコツオメガの颯は、抑制剤の効きも悪くてヒートを管理できなかった。
ヒートが来るタイミングも乱れていて、いつヒートが起こるか自分でも把握できない。突然ヒートになってアルバイトを欠勤することもあり、急に一週間も休まれたら迷惑だとクビになったことも何度もある。ヒート休暇なんてものは底辺の颯には許されなかったからだ。
両親の離婚後、どちらの親からも要らないと言われてしまった颯は施設で育った。
施設の大人たちは、なんでも連帯責任にするから、出来の悪い颯のせいで他の子どもたちまで叩かれる。そのため施設の子どもたちからも、颯は避けられていた。
成人して施設を出てからは安アパートでひとりきり。まともに働けないから生活は苦しくて、ろくに食べられない日もあって、初めて諒大に会った日も、空腹と疲労で眩暈を起こして階段から落ちたのだ。
◆◆◆
颯は意識を取り戻す。
自分の身体がどうなったのかわからない。あちこちにぶつかって、頭を強打し一時的に気を失ったみたいだ。
気がついたら階段の下に倒れていて、頭をぶつけたせいか、ガンガンとひどい頭痛がする。
「——いじょうぶですかっ?」
誰かが颯の身体に触れ、具合を確かめている。
「大丈夫ですかっ? 意識は……怪我は……っ」
うっすらと目を開けると、目の前には美麗なダークブラウンの瞳を曇らせた諒大の心配そうな顔がある。
そして差し伸べられた諒大の大きな手。
空は澄み切った青空で、頭上からは眩しいくらいの陽の光が注がれる。
この場面には既視感 がある。
初めて諒大と出会った瞬間に酷似している。
(あれ……?)
さっきまでは夜だったはずだ。それが今は昼間になっている。
それに、諒大の髪型が違う。諒大は、最近は襟足のすっきりした短い前髪のソフトツーブロックにしていたのに、目の前にいる諒大は付き合う以前のセンター分けの髪型をしている。
「俺が見えますかっ? 言葉を発することはできますかっ? ご自身の名前は?」
諒大の言っていることが、記憶の中にある初めて諒大に会った時のセリフとまったく同じだ。
「な、なせ、はや……と……」
「七瀬颯さんですね! よかった、意識はあるみたいで……」
これはいったいどういうことなのだろう。このやり取りを、三ヶ月ほど前、ちょうどこの場所で諒大と交わしたことがある。
「俺は西宮諒大です。七瀬さんは頭を強くぶつけていました。ですから病院で診てもらったほうがいい。救急車、呼びましょう!」
「えっ……! だ、大丈夫ですっ」
階段から転げ落ちたくらいで救急車だなんて大袈裟だ。
「いいえ、よくありませんっ」
やっぱり同じだ。
諒大に出会ったときと何もかもが同じ。
颯は確認のために目の前に落ちていたスマホを拾う。その日付は三月二十五日となっていて、カレンダーアプリが指し示している年を見ても間違いなく三ヶ月前だ。
諒大に出会ったのがまさに三月二十五日。やっと見つけたアルバイトの初日だったのに、眩暈を起こして階段で転げ落ち、諒大に助けてもらったのがきっかけだ。
つまりこれは、三ヶ月もの時を巻き戻っていることになる。
(信じられない! こんなことが起きるなんて!)
諒大にプロポーズをなかったことにしてほしいと言われたとき、諒大と付き合う前に時を巻き戻すことができたなら、最初から好きになんてならないと思っていた。運命の番の諒大と決別しようと思っていた。
その思いが、時の神様にでも通じたのだろうか。
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