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第49話

 ヒート明けに、アルバイトに出勤するのは嫌だ。  だって恥ずかしい。オメガが急に一週間もの長期休みをもらうことになったということは、ヒートを起こしていましたとみんなに教えているようなものだ。  高校のときなんて、ヒート明けにクラスのみんなにからかわれた。「アルファと寝たのか」とか「何回オナニーしたの」とか心無い言葉を投げつけられた。  そんな昔の苦い思い出を思い出しながら、重い身体のまま、颯はいつもの駅の改札を抜けてアルバイト先のカナハホテルへ向かう。  アルバイトに行きたくなくても、お金がない。今の大家のおじいさんはいい人だから家賃は滞納したくないし、水道や電気を止められたらたまったものじゃない。 「七瀬さん! 七瀬さんだ!」  嬉々として駆けてきたのは岸屋だ。岸屋は「お久しぶりです!」と気持ちよく挨拶をしてきた。 「おはよう岸屋くん。あの、本当にごめんね、僕のせいで……岸屋くんは巻き込まれただけなのに……」  岸屋の顔を見たら、あのときの卑劣な男たちに襲われたときのことを思い出した。怖くて、悲しくて、なんとかしたくてもヒートの身体は無力だった。 「俺は怪我もないし、大丈夫ですよ。俺こそ、何もできなくてごめんなさい」 「無理だよ、あんなの……」  多勢に無勢、颯はヒートを起こしていたし、岸屋ひとりだけではどうにもならなかったと思う。 「襲われたとき、七瀬さんは俺を庇ってくれましたよね。ありがとうございました。あんな身体で……俺なんかより七瀬さんのほうが何倍も強いですよ」 「違うよ、僕のせいで岸屋くんを巻き込んじゃったことが申し訳なくて」 「なんで、七瀬さんは何も悪くないでしょ? でもあっという間に犯人見つかってよかったですね」 「えっ?」  あのとき、犯人たちは散り散りに逃げていった。その後どうなったか颯は知らないが、もしかして諒大の秘書・猪戸の仕業だろうか。 「七瀬さん! もしかしてニュース見てないんですか? オメガのヒート狩りグループ逮捕って、余罪三十件ですよ? あいつら三十人ものオメガを……!」 「逮捕、されたの……?」 「はい。六人全員。窃盗罪に器物損壊罪で逮捕。それに今回初めてヒートのオメガを襲って強姦罪で起訴されてます。判決によってはオメガ裁判の歴史的な一歩になるかもしれないってメディアは盛り上がってるんですが」 「知らなかった……」  自分の体調のことばかり、諒大のことばかり考えていてろくにニュースを見ていなかった。そんな騒ぎになっているとは夢にも思わない。 「西宮室長かな。室長、あの事件のあと、俺に電話をくれたんです」 「えっ? いつっ? 何のために?」  颯は岸屋を質問攻めだ。諒大がいったい何をしたのか知りたい。 「事件の次の日でした。七瀬さんの件は未遂だったし、他の余罪で捕まえられるから、おおごとにしたくないみたいな話をしていて……」  次の日、ヒート中の颯は疲れ切って眠っていたときがある。そのときに諒大は岸屋に電話をかけたのかもしれない。 「俺に、この件を会社の人たちに面白半分に話すなって釘を刺してきました。この件に関して室長が関わっていることも、話してほしくないって。会話のあいだも颯さん颯さんって、七瀬さんのことばかり……」 「あ、はは……」  他の人の前まで颯を思い遣う気持を表してくれるのは嬉しいが、少し照れてしまう。 「すごくないですか? 俺、室長に番号教えてません。聞くと人事部から情報を手に入れたって言ってました。個人情報漏洩ですよ、普通にアウトでしょ」  岸屋は「別に構いませんけど」と言って笑う。  諒大は公私混同甚だしい。人事部から社員の電話番号を入手して個人的な連絡に使ってはダメだ。人事部も諒大の頼みは断れなかったのだろう。そういうことに社長の息子という権限を使うのはいかがなものか。 「俺、思うんですけど、室長って七瀬さんのこと好き、なんじゃないですかね……?」  おずおずと、颯の反応を伺うように岸屋が視線を向けてきた。 「え! そ、そんなことないよ! 室長は親切なだけ!」  颯は慌てて否定する。 「そうかなぁ。傍目で見てて思うんです。最初、颯さんが転んで救急車で運ばれたのを手伝ったのはただの親切かもしれませんけど、その後、体調を気にしてわざわざ従業員出入り口で待ち伏せします? それに、飲み会でもチラチラチラチラ七瀬さんばかり見てたし、ヒートの七瀬さんを……」 「ぜっ、全部親切だよ! 岸屋くんだって僕がヒートを起こしたって知って、親切で、自分の家を貸してくれようとしたでしょ?」  違う。違う。諒大が好きなのは佐江だ。勘違いしちゃいけない。颯を気にかけてくれるのは運命の番という訳のわからない理由からだ。  そんなの、恋心じゃない。 「家を貸す……?」 「うん。岸屋くん『俺の家に来てください』って僕に言ってくれたでしょ? 僕がヒートだから閉じこもれるようにって」  颯が説明すると、岸屋は「あぁ」と納得してしたように声を出した。 「あれは親切心なんかじゃありません」  少しだけ岸屋の雰囲気が変わった。さっきまで軽い会話を交わしていたのに、急に真面目な顔をする。

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