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第6章 代々御世いち早き群に咲き

ダイダイみヨイチはやきムラにサキ       1  〉〉ノリウキ大丈夫かなあ。 「ツグちゃが信じてやらんで誰が信じるん?」  〉〉でも。  邪魔になっちゃいけないから当日に来た。ノリウキは前日から泊まりだけど。電車遅れたりしたらアウトだもんね。  なんでヨシツネさんが一緒なのか。バレたから。  入試がお昼すぎに終わるから、その足で行っちゃおうと思った。  おじさんの家に。  ヨシツネさんには、僕らの考えることなんか百年先までお見通しなんだろうな。  おじさんの家は、もうそこにはなくて。マンションが建ってた。そんなに高層じゃないけど高いえ、とヨシツネさんがゆってた。何が高いんだろう。土地?  だから僕は泣く泣く退散することにして。ヨシツネさんと一緒にうろうろ。詳しいらしくて。僕も昔はこの辺住んでたのになあ。 「話したん?」  僕は頷く。おじさんのことをノリウキに話したかってこと。 「そか」  〉〉一緒に来る予定がなあ。ヨシツネさんのせいだよ。ないなんてゆうから。 「すまんね。せやけど二人でるんるん出掛けてってあらへん、ゆうことになったほうが切ない思うて」  それもそうだ。だから先に見てきちゃったわけだけど。  疲れたのでお店に入る。外からじゃわからなかった。中もフツーの家。入り口で突っ立ってたら、奥からおじいさんが出てきて案内してくれた。座敷。 「ちょお高いけどな。美味いえ」  そうゆうことは、お店の人の前でゆわないほうがいいと思うけどなあ。おじいさんも苦笑してる。あれ、もしかして。  〉〉お得意さん? 「まあな」  久しぶりだねえ、とか。大きくなったねえ、とか。へえ、それでここにしたんだ。お品書き見てびっくりした。あのケチなヨシツネさんが、これを払うの? 「なに、ツグちゃその顔。奢ってやらへんよ」  〉〉あーごめん。僕これ。  ヨシツネさんはいつもの、てゆってた。なんだろう。いつもヨシツネさんが食べてたもの。気になるかも。  抹茶のお店みたいで。抹茶のパウンドケーキとか、抹茶のお団子とか。それにお抹茶が付いて。あの値段だもんなあ。絶対ぼったくりだよ。ゆわないけど。 「いまごろアタマ真っ白やったりしてな」  〉〉応援しようよ。なんか楽しんでるでしょ。 「せやない」  急に真面目な顔になった。  あったかいお茶が運ばれてくる。さっきのおじいさんじゃなかった。ヨシツネさんを見て、あららあ、と驚く。おじいさんの奥さんかな。 「データどないした。すまへんね」  そうだ。あれ、訊こう。  ノリウキのところに送らずに。  〉〉なんで僕のトコに送ったの?  眼。  逸らす。誤魔化そうとするときによく使う手。  そうはさせない。  〉〉僕のところに送れば、絶対ノリウキに相談するから。二度手間だったてこと?  湯飲みの淵。  ヨシツネさんがなぞる。指の先。 「ツグちゃのとこだけやないよ。ケイちゃんのとこも、よいっちのとこも」  〉〉送られてない人と、送られた人の違いはなに?  黙ってないでなんかゆって。なんかゆってくれないと。  僕はどうしていいか。  運ばれてきたから食べる。ヨシツネさんは手を付けない。僕とは違うメニュ。抹茶プリン。抹茶ちまき。プリンとパウンドケーキと迷ったんだよね、実は。いいなあ。 「食べてええよ」  〉〉いいの? じゃあ一口だけ。  おいしい。  渋くなくて。程よい甘さ。黒蜜がまた。 「ノト君にはゆわんといてな」  僕は頷く。反射的に頷いちゃっただけだけど。  こっそり二人だけでおいしいもの食べたってことを内緒にしろ、てこと?  ヨシツネさんが抹茶に手を付ける。一気に飲んじゃった。え、これって大事にちびちび飲むんじゃ。それにさっき飲んでみたけど、だいぶ渋い。 「食い方は自由。それにな、俺のは」  お代わり付。なるほど。ヨシツネさんがおじいさんを呼ぶ。すぐに新しいのが。ついでにおまけ、てゆって。おばあさんが抹茶アイスをくれた。まだ試作品だってさ。へえ、ヨシツネさんの意見次第でお店に並ぶか決まるんだ。すごいな。  僕ももらっちゃった。やったね。 「俺のな、好きやったやつに似とるの」  え、いまなんて。  お団子が変なトコに入りそうだった。急いでお茶を飲む。  〉〉好き、て? 「せやからね、ノト君が。ああもうゆわんといてねこれ。黙っとこ思うとったのに」  だれが。  だれに。  〉〉似てるって? 「外が」  〉〉顔ってこと? 「顔やのうたらなに? メガネ?」  それはひどい。メガネかけてる人は仕方なくかけてる人だっているのに。ノリウキは似合うけど。  え、ちょっと待って。  〉〉好きな人?だれ? 「往ななった」  〉〉あ、ごめん。 「ええよ。俺が殺したようなもんやさかいに」  返答しづらいよ。誰か助けて。  〉〉いつの話? 「一ヶ月くらい前やな」  ヨシツネさんがいなくなっちゃったときだ。それのせいで。実家の不幸。  〉〉へえ。僕、てっきり社長さんかむーくんだと思ったのに。 「なにが」  〉〉好きな人。てゆうか、こっち来て好きになった人。  睨まれた。怖いよ。助けて。 「ツグちゃやから怒らへんゆうこと、みっちり憶えといてね。こう、胸に」  〉〉ホントのトコロは?  やばい。あんまり調子に乗らないほうがいいや。僕は頭を下げる。 「中身はぜんぜん似てへんよ。真面目やないしアタマ悪いし融通利かへんし」  ノリウキも割と融通利かないと思うけど。  おいしい。抹茶アイスは決まりだね。帰りにゆおっと。 「ケイちゃんは断ったよ」  〉〉へえ。  としかゆえないよ。なんかヨシツネさんの裏話っぽいし。 「好きなんやけどね、ああゆう真っ直ぐなん。俺がぐぎぐぎに曲がっとるから羨ましのかもしれへんな」  〉〉社長さんは?  素晴らしい相槌だと思ったのに。余計な一手だったかも。 「ツグちゃは? 俺にゆうことあらへん?」  〉〉カッコいい。僕の憧れ。 「そらおおきにな」  ヨシツネさんには僕の声が届いた。てのをゆおうと思ったけど。  長くなるしつまんないから。奇跡って理由とか考えると奇跡じゃなくなっちゃうしさ。 「ノーコメントでええか」  〉〉何かあったね? 「ないない。なんも」  〉〉あやしいなあ。いいよ、僕口堅いし。ゆっちゃえゆっちゃえ。  わくわくしながら待ってたけど。何もゆってくれなかった。さっさと食べろ、とかゆわれるし。もっとゆっくり味わって食べたいのに。やっぱりせっかちだなあ。  ああ、そっか。ノリウキの試験。もう終わるじゃん。  間に合うかな。新幹線乗らないと。  〉〉おカネ払ってなかったけど。 「付けやわ。何遍も来るさかいに」  でもちゃっかり値切ってたよね。一応高い、てゆう認識はあったんだ。お店入ったときに大きい声でゆってたな、そうゆえば。  メール。僕らがあんまりにも遅いから駅で待っててくれるみたい。まずいことしちゃったなあ。ヨシツネさんと一緒だってこと、ノリウキにゆってないのに。 「俺も付いてってええ?」  〉〉喜ぶよ。まずは驚くと思うけど。  ヨシツネさんが笑う。  僕はこの顔がいちばん好き。真面目な顔も怖い顔も嫌だ。 「え、ちょっとなんで」ノリウキが僕とヨシツネさんの顔を交互に見て言う。  二の句が告げてない。うん、それでいいよ。  ノリウキはそうゆう感じで。  ヨシツネさんもさ、ノリウキに会いたかったんならそうゆえばいいのに、ねえ。一緒に応援に行きたいって。別に断らないよ。僕はそんなに心狭くないし。 「首尾はどない?」ヨシツネさんが聞く。 「あーぼちぼち」  思わず笑っちゃった。ヨシツネさんも笑う。  ノリウキはヨシツネさんの真似をした。  〉〉余裕じゃん。 「ううん、もうアタマ真っ白で。全然駄目。これから後期の勉強するよ」  とかゆってたくせに。できてないって思ったときのほうが案外できてるもんで。  ノリウキは。  やっとこさ運命の女神さまに見直してもらえたみたい。よかったね。       2 「あのさあ、よっしー」 「なに?」  ここまで来て帰りたいとかゆったら殺されるかも。だいたいよっしーは来なくてもよかったわけで。俺がメインなわけで。なんで付いてきたんだろう。誘ってないはず。  うーん、思い出せない。これだから物覚えが悪いってゆわれるんだけど。 「気ぃ張らんと。いつものとーりやったら当たるよ」よっしーが励ましてくれる。 「いつも当たってないんだよ」 「そうなん? 知らんわ。よいっちならひょいっと当たりそやけどな」  そんな簡単に。泣きたくなってきた。お腹痛いし。 「ほな、あっちで見てるわ」よっしーが手を振る。 「やみゅによろしく」  妹も来てる。暇だから。お年頃なんだしデートでもしてればいいのに。  緊張してきた。汗が。滑る。  集合かかったあたりからあんまりよく憶えない。部のみんなが喜んでるのはわかるんだけど。部長に肩叩かれた。駄目だったからだ。あーあ、あとで反省会だな。  顧問の先生に呼び止められた。なんだろう。え、ウソ。  ウソだよね。耳が詰まってる?  俺が。  いちばん。  幻かなんかだ、きっと。まだ夢の中にいるんだよ。ほら、痛いし。  痛い?  これからお祝い会。団体戦でもいちばん。俺のおかげ?  そんなまさか。  いくらなんでもそれは都合がよすぎるってゆうか。 「当たるやないの。こう、ひゅうと」  よっしーもそんな。  みんなで俺を騙してるんじゃ。 「うれしないの?」よっしーが言う。 「あのさあ」 「なに?」 「いま、なに?」 「主語と述語が滅茶苦茶やけど」 「何が起こったのかな、て」  本当だったみたい。部長が力説して教えてくれたけど、俺は集中すればかなりの力があるらしくて。練習のときはやる気なかったり、気恥ずかしかったりで、手抜いてる。  抜いてない、と反論したけど、当たってないだろ、とゆわれて。ああそんなかも。て思った。  集中。できてたんだ。手がじんじんする。当たったんだ。  うれしい。 「うれしいよ」 「せやから俺がゆうたのに」よっしーが言う。 「こっそり見てた?」 「たまーにな。もったないな、て」  帰宅部てゆうか、しゃちょーさんのところでバイトしてるから。ガッコ終わるとだれよりも早くいなくなる。朝はだれよりも遅く来るし。授業と休み時間とお昼しか、俺は話せない。クラス違ったら話せなかった。顔見知りにもなれなかった。  おんなじ高校受けてよかったな。すごい勢いで反対されたけど、よっしーがいなきゃ高校なんか行ったってしょうがないもんね。でもよっしーならもっと高いとこ狙えたのに。テストなんかちょちょいのちょいで一位だし。それこそもったないよ。  なんでここにしたんだろ。なんだっけ。  近いから。あ、そーだった。よっしーは朝が苦手で起きれないから。中学なんか眼と鼻の先に住んでた。近いから。面白いな、よっしーは。  せっかくだけど、てお祝い会を途中で抜ける。部長に哀しそうな顔されたけど、仕方ないな、て。主役がいないのは変だけど。さっすが部長、話がわかる。俺の才能をいち早く見抜いて熱心に勧誘してくれただけのことは。  妹はよっしーと話してたけど、俺を来たのを見てすっと立ち上がる。丁寧にお辞儀なんかしてさ。それでは失礼します。誰の妹かと思ったね。俺だけど。  本日のヒーローだったお兄ちゃんにおめでとう、の一言でもくれればいいのに。よっしーに釘付けで。 「なに話してたの」妹と。 「友だちがな、おもろいペット飼っとるらしうて。見た目はうさぎのぬいぐるみなんやけど動いたり喋ったりするんやて。兄やんに似てぶっ飛んどるな」  どうゆう意味だろ。あとで問い詰めよ。主に妹を。 「きょうだいおってええな」よっしーが言う。 「よっしーはいないの?」 「いてるよ。せやけど、ようわからへんの」 「会ったことないの?」 「ちっさい頃にな、一遍。あるよーなないよーな」 「生き別れ?」 「せやね。妹なんやけど」 「え、似てる?」 「いま生き別れ、て」  そうだった。駄目だなあ。すぐ忘れちゃって。 「寒いな。行こか」  よっしーは買い物に行くらしくて。俺はその荷物持ち。お祝い会よりこっちのほうが断然面白そう。  まずは本屋さん。よっしーはいつも本を読んでる。ちょっと見せてもらったことあるけど一行で脱落。現代文とおんなじ。眠くなる。 「今日新しいのが出てな」  また難しそうなタイトルの。見たことない漢字が。 「面白い?」 「おもろないなら読まへんな」 「読む前からわかるの?」 「作者買いしとるさかいに。この人書いたんならおもろいやろ、て」 「お気に入りってこと?」 「まあせやな」  てゆって、よっしーはレジにどっさり本を積んだ。あんなにたくさん買って読みきれるのかな。それに重いだろうし、て、あ。それを俺が運ぶわけか。  いきなり両手が痛いんだけども。大会終わってすぐなんだよ、こっちは。 「次は」  また本屋さん。え、さっき行ったじゃん。 「あらへんのよ。探さな」  見つかったみたいでよかったけど、次もまた本屋さんに。そんなに好きなの? さっきのお店と違いがわかんないけど。  そんなこんなで本屋さん六つ、はしごした。疲れた。暗くなってきちゃったし。重いし面白くないし。よっしーと一緒だから面白いと思ったのにな。思ってたよりびみょーな。  そのあとまっすぐ帰るし。えー、なにそれ。お祝い会のほうがよかったかも。いまさら後悔。戻るわけに行かないしな。 「それ、こっちね」よっしーが指示する。 「はいはい」  収納に付き合ってふう、と一息。お腹すいた。いいにおい。もしかして。 「ごはん!」 「ちょお待っといてね」  よっしーはすっごく料理がうまい。早いしうまいし。  ほら、もうできた。 「いただきまっす!!」 「どーぞ」 「よっしー、いいお嫁さんになれるよ」 「褒められてる気ぃせえへんけど」 「だってしゃちょーさんのとこに」  よっしーの箸が止まる。あれ、俺なんかまずった? 「え、そうじゃないの? やっしーから聞いて」  あ、まずい。いまのなし。内緒だってゆわれてたような。 「どこまで聞いた」よっしーが言う。眼が怖い。 「どこまでって」  どうしよう。正直に答えたらよっしー怒るだろうし。ウソついてもよっしー怒るだろうし。 「せやけどよいっち、ツグちゃの聞こえる?」 「ううん、メール」  あ、ついうっかり。ケータイ。  寄越せって。よっしーが手の平を出す。すごい形相で。  だよね。忘れっぽい俺に聞くよりそっちのほうが確かだもん。 「はよしぃ。飯下げるえ」  それは困る。  だからあっさりケータイ渡しちゃった。どっちにしろ怒られるんだったら、正直にゆったほうがいいよね。よっしーの気が変わる前にご飯食べちゃおう、と。  おいしいなあ。やっぱお祝い会抜けてきて。よーかった。        3  合格ったのはいいけど。  一人暮らしか。気が重い。  ツグはちゃっかり自宅圏内だからいい。俺だって通えるところを狙ってたんだけど兄に反対されて。院に兄の知り合いがいるから。どのレベルの知り合いか知る由もない。知らないほうがいいこともある。  その典型例が傍にいる。情報量が多すぎてどれを信じていいかわからない。保留。判断の限界を超えてる。自分がわからないからっていう言い訳じゃなくて。  あの人なら、何か参考になるかもしれない。中学入学時から一人暮らし。  関わると碌なことがないからあまり顔を合わせたくなかった。ツグは変な憧れを抱いてるみたいだけど絶対に幻想だ。壊されたじゃないか。あの件で。  それでも全然めげてない。みんなそれだけ想ってるてことなんだろうけど。俺は。  どう接していいかわからなくなった。ツグに相談してもいままでの通り、て軽く答えるし。いままでがどう接してたかわからない。避けてた。できる限り巻き込まれないようにこっそり。あの人は俺の邪魔しかしない。あの人さえいなければたぶん、高校だって。  いや、それは当てこすりだ。受けたのは俺だし、落ちたのも俺。だったら俺の責任。俺が点数を取れなかったから不合格になっただけのこと。  入試の日だって、絶対にからかいに来たに決まってる。たまたま合格ったからよかったものの。これ以上、不合格の通知を受け取りたくない。帰りの新幹線も大して口を利かなかった。疲れた、と免罪符を突きつけて寝たふりをしてた。気づかれてたと思う。気づいてたうえで何も言ってこなかった。  優しいんだろうな。それはすごくよくわかる。  でも、あのとき見せてもらったり聞かせてもらったものがちらついて。まともに顔を合わせられない。思い出してしまって。そりゃエロ本もAVも見たことあるけど、出ているのが他人だから、見ていられるだけのことで。もしあれがよく知っている人なら。  着いた。どうかいませんように。寝てますように。寝てるに決まってますように。  ベルはないんだった。うるさいから、て取り付けてないとか。ケータイ。  出ない。やっぱり眠ってる。まだ午前中だし。帰ろう。何しに来たんだっけ。一人暮らしするに当たっての指南。やっぱり聞いておきたいな。 「ごめんくださーい」  開いてる。じゃあ、いるかもしれない。 「お邪魔しまーす」 「なんや、珍しな」 「ヨシツネさんこそ」  起きてる。ついさっき起きたって感じじゃない。何時間も前から。 「押し入りせんといてね。俺、ええてゆうてへんよ」 「あ、ごめん。やり直します」 「ええよもう。面倒やさかいに」  いま気づく。  部屋が。 「ああ、引越ししよ思うて」 「どこにですか」 「実家」  帰るんだ。やっぱり。 「みんなにはゆうたんやけど」 「俺だけ知らないです」 「ああ、せやった? おかしいな。ツグちゃに」 「伝言じゃなくて直接言えばいいでしょう」 「せやね。すまんな」  そんなにあっさり言われると。どっちが悪いのかわからなくなってきた。  たぶん俺じゃない。 「いつですか」 「明日」 「え?」  急すぎる。もし今日俺が訪ねていかなかったらどうするつもりだったんだ。  どうもしないか。  俺だけ仲間外れ。 「ああ、せやった。なに? 用事」 「もういいです。帰ります」 「ちょお待ってよ。なんで? 来たばっかやん。な?」  座布団を勧められる。それは置いていくらしい。  要らないか。そんなのわざわざ持っていかなくても。 「じゃあ、少しだけ」 「いま茶ぁもってくるさかいにな」  なんかあの人と関わると、すっかりペースに巻き込まれて。流れに流される俺がいけないんだろうけど。しっかりした自我が持ちたい。 「なあ、怒っとる?」ヨシツネさんが俺の顔をのぞき込む。 「怒りますよ。なんで俺だけ」 「だってノト君、新居探しに行ってはって」 「それはそうですけど、メールの一つくらいくれたって」  腹が立ってきた。やっぱり悪いのは俺じゃない。 「ごめんな。そないなつもりは」 「悪気がなければいいってもんじゃないでしょう。曲がりなりにも付き合いがあったんですし」  非常識だ。そうやっていつも自分勝手に。決定事項だけさらりと。決定する最中に話を持ちかけられたことなんか一度もない。異を唱えようにも顛末がわからない。従わないと哀しそうな顔を浮かべて。同情を誘う。  この人は、カネを儲けたいだけ。  カネを儲けるという唯一絶対の目標のために、なんでも利用する。友だちでさえも平気で裏切る。裏切られた。そうか、俺はそう思って。  また、哀しそうな顔。いい加減にしてくれ。 「ノト君」 「やっぱり帰ります。いままでありがとうございました。向こうでもお元気で」  手。摑もうとして。  やめた。俺が睨んだからかもしれない。もしくは。  引き止める価値のないような存在。  廊下を戻っても、靴を履いても。追ってこない。わざとゆっくり履いたりして。追いかけてほしいのは。なんだよそれ。俺一人が莫迦みたいじゃ。  ぺたん。ぺたんぺたん。  ヨシツネさんは家の中では靴下を履かない。裸足。 「ごめんな。迷惑やったのにいままで無理して付き合うてくれて」  迷惑だったのにいままで無理して付き合った?  誰がそんな。 「もう会われへんかもしれんな。合格おめでとうな。楽しうやれるよ、ノト君なら」  もう会えない。楽しくやれる。 「ばいばいね」 「またあなたはそうやって勝手に」  もう駄目だ。いろいろが限界値で。 「明日いなくなるならそう言ってください。そんな急に」  言われたって心の準備も何も。  できてない。何も返せない。いろんなものをもらったのに。なにも。  ツグだって教えてくれればいいのに。確かに俺は忙しかったけど、メールくらい毎日してるじゃないか。そのときに、あ、そういえば。みたいな切り口でいいから一言。  ヨシツネさんが実家に帰る、て。送ってくれればよかったのに。  なんで。俺だけこんな。 「言えへんかった。渋ってたら今日になってもうて」  わかってる。そのくらい。優しいヨシツネさんのことだから。  寝れなかったのかもしれない。俺に教えようと思って。でもなんて伝えたらいいかわからなくて。悩んでくれたんだろう。だから午前のこんな早い時間にもかかわらず。起きて活動していた。  そうだったんだ。なんだ。 「京都ですか」 「ノト君は名古屋? 新幹線やと案外近いよ。40分もかからへん」 「近いですね。充分日帰りできる」 「会いにいってもええかな」  そうやって、哀しそうな顔をすれば同情を買えると。 「イヤだって言うと思いますか」  釣られてるなあ。意図も簡単に。  そんなに嬉しそうな顔をしなくたって。 「ただし、講義がないときですよ。きちんと俺の予定を考慮してくださいね」  手。摑まなかったのは。  優しかったから。なんでそんなこと気づけなかったんだろう。莫迦だなあ。 「頼み、あるんやけど。ええかな」  手。摑みたそうに。 「どうぞ」  手。摑む。  別に変なことじゃないし。特別なことでもないと思うんだけど。  そんなに嬉しそうな顔をされると。 「汚い手でごめんな」  そうやって哀しそうな顔を。  なんで。  泣いてる? 「え、あ」  何か悪いことをしただろうか。必死に記憶を逆戻しして。あれか。これか。それか。思い当たることがありすぎて凹む。 「あの、大丈夫ですか」  ヨシツネさんは手を摑んだまま頷く。  両手で。俺の手を。  何かの教祖様じゃないんだから。そんなに有り難がらなくとも。  手に。水滴が。  なんで。  泣いてる。  わからない。俺には。だれなら。  わかるだろう。だれにも。  わからなければいい。  俺にわからないんだから。だれにも。  もらい泣きしそうになって、ぐっと堪える。泣いてるのは俺じゃない。俺のせいじゃない。俺が悪いんじゃない。とか、呪文を唱えて。  こうゆうときって。ドラマなんかだと。  あくまでそうゆうケースが多いだけのことで。統計上。お約束。違う違う。俺は全然そんな気なんかないない。ない。ないに決まって。ないよ。ないんだったら。  いいか。  あっても。  服は洗えばいい。誰もいないんだ。  俺のが背が高くて。  よかった。

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