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橘 透愛──第6話

 参考書をリュックに詰め込んでいると、「透愛」と階段を上がってきた小柄な女子に声をかけられた。 「あれ、由奈(ゆな)?」 「おはよっ」 「はよ。どした、次ここの教室か?」  にこにこと明るく笑う少女は、来栖(くるす)由奈。  ほんのり栗色の髪は肩に届くぐらいで、全体的にふわっとした見た目の女の子である。話しやすくて趣味も合うので、異性の中では一番仲がいいと言っても過言ではない相手だ。 「ううん、違うの。あのね……ちょっと透愛に、用があって」  もじもじと珍しく言い淀む姿に嫌な予感がした。 「きょ、今日のお昼一緒に食べない? ふ、二人で。作り過ぎちゃったんだ、お弁当」  嫌な予感は的中だ。  くるんと上がったまつ毛の奥で、期待に満ちた眼差しを向けられた。  へらりと、笑みを浮かべるのが数秒遅れる。 「……それ、全部炭なんじゃねぇ?」 「す、炭じゃないもんっ」  くすんだピンク色のネイルがきらめく指が、ぎゅっとベージュのバッグを握る。きっと早起きして作ってきたに違いない。そう思うとずんと胸が重くなった。  こういう時はいつも最悪な気分になる。自分が嫌で。 「あー、俺、今日弁当持ってきててさぁ」  どうしたものかと、断る口実を必死に探していると。 「弁当同士テラスで食ってくれば? 昼の学食は席の取り合いになるし。なぁ綾瀬」 「同じく。別行動推奨」  助け舟という名のお節介をかましてきた瀬戸と綾瀬。  窓の外を眺めながら、「いい天気だなぁ、これならテラスもぽかぽかだろうなぁ」なんて呟いているあからさまな風間。  全員に先手を打たれ、逃げ道を塞がれた。 「あー……うん。じゃあ食うか、一緒に」 「ほ、ホントに? よかったぁ」  ぱぁっと嬉しそうな由奈に、苦いものがこみあげてくる。 「とりあえず、教室出よーぜ」 「あ、うん。そうだねっ」  ここであからさまに彼女を拒めば、後々面倒なことになるだろう。どうしてと説明を求められても、適当にはぐらかせる自信はなかった。  保身のために利用してしまった罪悪感が膨れ上がり、由奈の重そうなバッグをひょいと持ってやる。 「いいよ、参考書とかもいっぱい入ってるし」 「いいから貸せ。ただでさえおまえ生っ白いし細せーんだから、こんなもん持ってたら転ぶぞ……うわ重っ、おまえよくこれ持ってきたな!」  兄からも、女性というのは繊細なんだから乱暴には扱ってはいけません、優しく接しましょうねと口酸っぱく言われているのだ。  それに、自分の方が筋力はある。 「もぉ、そういうとこ……」 「ん?」 「なんでもない。ありがとっ」  由奈と階段を降りていく。  群がる女子、そして男たちの中心で、例の青年は相変わらず誰もが見惚れる微笑を浮かべたまま、周囲に相槌を打っていた。  一歩一歩、階段を降りていく。奴を視界に入れないよう、あえて段差だけを見つめ続けた。しかし、会話は嫌でも耳に入ってくる。 「姫宮くん、今日の授業って3限までだよね。なら、午後からうちらと遊ばない?」 「ごめんね、今日はちょっと予定があるんだ。授業が終わったらすぐに家に帰らなきゃいけなくて……また誘ってくれる?」 「じゃあ今週の土曜は? クラブで飲むんだけど来ねえ?」 「僕、あまりお酒は強くないんだけど、それでもいいのかな?」 「なぁに言ってんだよ、姫宮がいなきゃ始まんねえって。なぁ」 「そうそう、姫宮くんが来たらみんな喜ぶよ?」 「そんなことないよ。買いかぶりすぎだって」  キラキラとしたスマイル攻撃を受けた女子が、うぐ、と胸を抑えた。死屍累々だ。 「姫宮~、今度のバスケの練習試合なんだけどさ」 「ああ、もちろんお手伝いするよ、僕なんかでいいのなら喜んで」 「助かる~! 神様仏様姫宮王子さま!」 「あはは、大げさだなぁ」 「ちょっと浅海ぃ、あんた煙草臭いんだけど。姫宮くんに近寄らないで」 「臭いが移っちゃうでしょ。姫宮くんはそんなの吸わないんだからね?」 「そ、そっか、悪い姫宮」 「ううん、全然気付かなかったから気にしないで」  姫宮の朗らかな笑みに、女子たちがきゃーっと頬を染める。 「ねぇ、姫宮くんってなんでそんなに優しいの?」 「ちょっと、抜け駆け禁止!」 「そうそう、姫宮くんはみんなの王子さまなんだから! あっそうだ、パーティーに来ない? 来週、大学生限定の集まりがあるの。ライブもあってね……」  きゃっきゃ、わいわい、盛り上がる彼の横を通り過ぎた瞬間、視線が重なりかけた気がした。  咄嗟に横を向いて由奈に話しかける。 「なぁ由奈、弁当にハンバーグ入ってる?」 「うん、入ってるよ! 透愛の好物ばっかり」 「よっしゃ」 「ほんとに好きだよねー」 「うまいじゃん、肉」 「男の子だなー」  そのまま何事もなく前を通り過ぎようとしたら、ころんと転がってきた何かが靴先にぶつかった。 「──ああ、ごめんね、拾ってくれないかな? それ僕のペンなんだ」  そんなの、言われなくてもわかってる。俺は、相手の顔も見ずに吐き捨てた。 「知るかよ。てめぇが拾え」  我ながら随分と低い声が出たなと思った。思っていたより教室に俺の声が響いてしまい、ざわりと背後の空気が不穏気に揺れたが、どうでもよかった。 「えっ……ちょっと透愛?」 「いいから行くぞ、ほっとけそんなの」 「ほ、ほっとけって……ごっごめんね姫宮くん、はいこれっ」  結局由奈が拾って渡したようだが、振り返る気なんぞさらさらないので足早にその場を後にする。 「……ヤバ、うける。僻み?」 「うっぜ、なにあの金髪、誰?」 「気にすんなよ、姫宮」 「そうだよ、あの人たぶん姫宮くんに嫉妬して……」  言いたい放題言われていたが、決して振り返らなかった。

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