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橘 透愛──第10話

 * 「で、今日の小テストはどうだったんだ」 「いきなりそれかよ」  リュックをベッドに放り投げて、座卓の前にどすんと腰を下ろす。 「君のことだ。全く見当違いのところを頭に詰め込んでやらかしたんじゃないかと思ってね」  ぐうの音も出ない。大当たりだった。  姫宮が俺の斜め前に座った。お行儀よく座った男からぷいっと目を逸らす。  こうなったら意地でも見てやるもんか。  俺は胡坐をかいていたため、姫宮の足に膝がぶつかりそうになって慌てて体育座りに直した。 「うっせ、おまえが急に教室に入って来なきゃもっと集中できたっつの……」 「自分の実力を棚上げして人のせいにするな」  スパっとした物言いにはもう慣れた。  この男は人前ではお得意のお愛想だって崩さないクセに、俺の前では終始こんな態度なのだ。 「その発言、おまえの取り巻き共に聞かせてやりてー、みんなの王子サマが聞いて呆れるぜ」 「どうぞ、誰も信じないと思うけどね」 「この猫かぶり野郎」 「お褒めに預かり光栄だ」  礼儀正しく人当たりの良い好青年設定が台無しである。  本気で、こいつの素を見たら全員卒倒すんじゃねーのかな。持ってるハンカチだってシワ一つ無さそうな清楚系な見た目に反して、姫宮の性格は最悪である。  顔面偏差値は100オーバー、性格はマイナスだ。  何が煙草は吸わない、酒に弱いだ。俺の前ではガンガン吸うし、酒……はわからないけどたぶん酒豪だ。だってαの男なんだから。  この非の打ち所がありまくりの外面人間め。  自分以外の人間なんてカスぐらいにしか思ってねぇんじゃねぇのかな。  そう、細い眉毛は凛々しく。  薄い唇は赤く艶があり。  その横にある小さなホクロも色っぽい。  黙っていればどこぞの韓流アイドルだって顔負けなのに……じゃなくて。 「なに?」 「なっ、なんでもねぇよ」  じっと顔を盗み見ていたことに気付かれ、慌てて顔を背ける。 「あまり人の顔を不躾に見ないでくれないかな。君に見られていると思うと落ち着かない。君は自分がされたら嫌なことを人にするの?」  ……礼儀正しく嫌味を言うこの男に夢を抱いている奴らの頭をぶっ叩いて、目を覚ませと言ってやりたい。  マジで撮影してネットに流してやろうかな、と本気で思った。 「で、急にきた理由は? そろそろ吐けよ」  綺麗な指先が、鞄から何かを取り出して机に置いた。几帳面な彼らしく、ぴしっとファイリングされている。  ぺらりとめくってみれば、それは様々な授業の小テストのコピーだった。  しかも、回収されて手元にないものまである。 「なにこれ」 「見てわからない? 教授の研究室に直接伺ってもらってきたんだ」 「いや、藤岡先生そういうの絶対しない人じゃん。なんでおまえにだけ」 「まぁ、僕の人徳だろうね」 「うっわ」  そんなしれっと、しかも百パーセントの本音で。尊大極まりない男にドン引きだ。  なんでこいつってこうなんだろうな。  姫宮は頬を引き攣らせる俺なんてどうでもいいのか、粛々とことを進めた。 「時間はあるね。今日のを含めて一緒に解いていこう」 「え? おまえまさか……今日授業に来たのも、これが理由?」  姫宮の沈黙は、肯定である。  別に受けなくとも本試で満点取れるであろうテストをわざわざ受けたのも、こうして俺に教えるためだったというのか。  いろんな意味で唖然として、あんぐりと口が開いた。 「いっ──いいよ、そこまでしてもらわなくても!」  ぐっとファイルを押しのける。 「でも君、前期も酷い有様だったらしいじゃないか」 「そ、それはそうだけど、明日教えてもらうし」  そこまで世話になるつもりはない。彼にだって、彼の生活があるのだから。 「誰に教えてもらうの」 「え? 誰って綾瀬、とか?」 「誰それ」 「……いっつもつるんでる俺の友達だよ」 「へえ、来栖さんじゃないんだ」  面食らった。どうしてその名前が出てくるのかと。 「来栖由奈さん、だよね、授業終わりに教室に入ってきた子」 「よく覚えてんな。人の名前、覚えようとしないくせに」 「流石に覚えるさ。あそこまで君と一緒にいるところを見ればね」  ひんやりとした空気に、姫宮の機嫌が悪いことが手に取るようにわかる。こいつはこんな爽やか好青年みたいな見た目をしているが、だいぶ短気なのだ。 「……言っとくけど、由奈とはそんなんじゃねーからな」  膝に口元を埋めて、ぼそぼそと言う。 「ふうん。それにしては随分と親しそうだったけど」  冷たいのに、夏の蒸し暑さのようにじとりとした視線。疑ってますと顔には描いてある。僕はこうして我慢に我慢を重ねて君の相手をしてやっているというのに、君は好き勝手に女といちゃついてるんだね。  そんな嫌味ったらしい声が聞こえてくるようだった。 「ただの友達だ。それ以外の感情はねえよ」 「お弁当の中身だって全部君の好物だったんだろう? 健気じゃないか」 「盗み聞きかよ趣味悪ィな。別にあんなんふつーだし……」 「普通? へえ、君の普通って随分とお安いんだね」 「……っ」  突然伸びて来た手にぎゅっと首を竦める。綺麗な指は、頬に触れるか触れないかのところで止まった。  数秒、息が詰まる。  固まっていた姫宮の手が、ゆるりと下がっていった。  つう、と爪に引っかけられたそれを、ずるりと引き抜かれる。 「ぁ」  緩い刺激に喉が震えた。見せつけるようにネックレスのチェーンを引っ張られ、ちゃり、と金の輪を目の前に掲げられた。 「なん、だよ」  そういう時以外で、こいつに触れられるのは落ち着かない。 「もうそろそろ、周囲に話してもいいと思うのだけれど……普通に」 「……は?」 「僕は別に、君との関係を知られたとしても」 「や──やめろよ!」  恐ろしい言葉を遮り、すかさず指環を奪い返す。 「おまえと結婚してるだなんてバレたら大学通えなくなるだろ、絶対に言うな!」 「もしも、言ったら?」 「言ったら……、て……い、芋づる式に俺がΩだってバレるだろ!」 「僕は別にかまわないけど?」 「俺がかまうんだよっ」    ──俺は、Ωだ。しかもうなじには小さな姫宮が刻みつけた小さな歯型がある。襟足を伸ばし、普段はなるべくうなじが隠れるような服を着ていて、時にはファンデーションを塗って誤魔化すこともある。  そう。つまるところ、俺と姫宮は「番」という関係だった。

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