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橘 透愛──第11話*

 また俺たちは、去年、法的な婚姻関係を結んだ夫婦でもある。  俺の手の中にあるのは、姫宮の首から提げられているチェーンに通されているのと同じものだ。18歳の誕生日、籍を入れたと同時に、姫宮本人から手渡された結婚指輪。  そんなもんいらねーよと突っぱねていたというのに、姫宮は強引だった。しかも、寸分違わぬサイズときたものだ。シンプルな形状だが、かなり値打ちのあるものなのだろう。  怖すぎて、未だにブランド名は調べられていない。  αとΩの結婚において、指輪は大きな意味を持つ。  指輪の裏面には結婚証明番号と番関係証明番号の二つが彫られているので、何かあった時にすぐにお互いの関係を証明できるのだ。  Ωとしての素質が強い人間は、たとえ番がいたとしても発情フェロモンで他者を誘惑しかねない。  ……俺のことだ。  ヒート時に指一本すら動かせなくなって、見知らぬαたちに「自分が番だ」と群がられても抗えない。  でもこの指輪さえあれば、良識のある第三者が間に入ってくれた時、相手を確認してからΩを引き渡すことができる。 『橘。この指輪は肌身離さず持ち歩いていてくれ。何かあった時のために』  真剣な顔でをした姫宮にも、そう言われて渡された。肌身離さず持ち歩いているのはそのためだ。また、大学に提出しているのも含めて俺の表向きの名字は旧性だが、実際の苗字は「姫宮」だ。  でも結婚なんて、番関係から派生したおまけみたいなものだ。 「Ωでも大学に通っている人はいるよ。それに、第二性を隠したまま在学し続けるというのはやはり厳しい。僕らのことを公表しておけば、君だってもう少し生活しやすくなるだろ?」 「いらねえっつってんだろ。ダメだ、絶対」  今朝の、友人たちの会話を思い出す。 『姫宮家の御曹司がΩと? 洒落になんね』  そう、洒落にならない。俺たちの関係は公にすべきじゃない。 「いつかは必ずバレる。君の良くないところは、その場限りの感情で動くところだな」  呆れた、とばかりに一瞥されてカチンときた。  ふつふつと、怒りが再沸騰してくる。  キモ、悲惨。今朝の女子たちの会話が頭から離れない。生きているだけで心ない悪意に晒されている俺の気持ちなんて、わからないくせに。生まれた瞬間から人の上に立つことが約束されている、姫宮には。  そんな姫宮に選ばれたら生涯安泰、人生勝ち組──これのどこが。 「おまえこそ、そーやってすぐに毒吐くクセ直せよな」  随分と親しそう? おまえだって女侍らせてるくせに。  俺以外の奴らには、簡単に笑いかけるくせに。  俺には笑って、くれないくせに。 「どうせ……どうせ俺はおまえ以外とはできねぇよっ、そういう身体に、なっちまったんだから……!」  言ってしまってからはっとした。  俯いた姫宮の横顔が、見えなくて。  昔のことに結び付くような会話は、俺たちの中では御法度だ。 「い、いや違う。俺はただ……そういう意味で言ったんじゃなくて、その」  もごもごと、言い訳じみた言葉が萎んでいく。  辛うじて繋げられていた会話が、ぷつりと途切れてしまった。切ったのは俺だ。 「……ごめん」 (あーくそ、失敗した)  道路を横切ったトラックの走行音が救いに思えるような、気まずい沈黙が続く。  もともと、和気藹々と世間話に花を咲かせるような間柄ではない。趣味だってこれっぽっちも合わないし、仲良く肩を並べて出かけたこともない。  顔を突き合わせればぴりぴりとした応酬ばかり。  姫宮と一緒にいるのは、疲れる。 「飲み物、いれてくるな……」  逃げるように立ち上がり、扉へと向かった。かちゃりとドアノブを回す。しかし半開きの扉がゆっくりと押し返され──ぱたんと閉ざされてしまった。  次いで伸びて来た左腕に、とん、と完全に囲われる。 「……っ、んだよ……あぶねーな。でこぶつけるとこだったぞ」 「ねぇ、橘。今朝から思ってたんだけど」 「ぁ……っ」  くん、と首裏付近を嗅がれて、ひくんとのけ反った。 「だいぶ香ってきてるよね。まだ一カ月以上あるのにやっぱり不安定だ──苦しい?」  今朝、βである友人にもフェロモンの匂いがバレて、そろそろヤバいかなとは思っていた。環境が変わってまだ間もないため、色々と不安定なのだろう。 「く、るしく、ねえよ。薬、飲むから……ほっとけ」 「抑制剤は飲めばいいってもんじゃない。前みたいに副作用で倒れてしまえば本末転倒だぞ」 「だから、へーき、だって。もうそんなヘマしねぇし」 「最後に飲んだの、何時?」 「……ひるまえ」 「相変わらず嘘が下手だな。来る途中で飲んだだろう」 「な、なんで知って」 「意地っ張りだな。辛そうに壁に寄りかかっていたのが見えていたよ」 「なっ……見てたの、かよ」 「偶然通りかかったんだ。それにしてもモテるな、君は」 「あっ」  長めの襟足を鼻先でかき分けられ、濡れた柔らかい唇を押し当てられた。 「──あの女の子たちも、まさか声をかけた男がΩだとは思わなかっただろうね」  ぼそぼそと、首裏に直接落とされる声の粒に思考がくらりとしかけて、首を振る。 「嫌味、かよ。おまえほどじゃねぇ、し……つか助けろよな!」 「だから今から、助けてあげるんじゃないか」 「ばっばか、押し付けたまましゃべんな──……ッぁっ」  流れるように顎を掬い上げられ、ぐっと後ろを向かされた。 「は……ん──んぅ」  覆い被さるように唇を重ねられ、鼻から抜けるような声が漏れた。

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