51 / 227
狼の群れ──第51話
*
ぶぶっと、巾着の中でスマホが震えた。見ればメッセージが何通か届いていて、慌てて画面に表示されたアイコンをタップする。
「ご、ごめん瀬戸っ、気付かなくて……え? うん、今姫宮くんと一緒にいるけど──えっ」
耳を疑う話に、指先から一気に血の気が引いた。
「ちょっと待ってて! ひ、姫宮くん!」
「どうしたの?」
姫宮の表情は元に戻っていた。見慣れた友好的な笑みに、今はホッとする。
「あ、あのね、落ち着いて聞いてね」
「うん」
「ゆ、由奈が、暴漢に襲われたんだって……!」
「へえ、そうなんだ」
ぽかんとする。決死の思いで告げたセリフを、へぇそうなんだの一言で済まされるとは思っていなかった。
確かに落ち着いて聞いて欲しいとは言ったけれども、あんなに根ほり葉ほり由奈と橘の仲を聞いてきたくせに。
「──ああ、大丈夫かな来栖さん。心配だね?」
いや、今更そんな「心配してます」みたいな顔をされましても。
たぶん唖然とする捺実に気付いて取り繕ったのだろうが……露骨すぎる。
瀬戸の『おい!』という声に、はっと通話中だったことを思い出した。
「ごめん、取り乱しちゃって、え、本当!? そか、由奈は大丈夫なのね……で、橘はどういう状況なの? うん、うん──きゃっ」
ガチャンと、手からスマホが滑り落ちた。
ぎりぎりと軋む手首の向こうに、大きく見開かれた切れ長の黒目があった。
「橘がなに」
「え」
「橘がどうした」
「姫宮、くん?」
「橘がどうしたって聞いてるんだ」
姫宮の表情からは、肌がひりつくような切迫感を感じる。容赦なく腕を掴まれてかかとが浮いた。
鼻緒が指の間に食い込んで、痛い。
「い、痛いよっ、姫──」
「うるさい。さっさと答えろ、橘は」
おまえの痛みなんぞどうでもいいとばかりに吐き捨てられ、愕然とする。
なんだ、急に。
「く、わしくはわかんない、んだけど……橘が連れていかれたって、言」
「──会場のどこで!」
「っ……じ、神社の反対側でもめてるみたい!」
ばっと腕を振り払われて、よろめく。
浴衣の裾を乱して、嵐のように走り去っていった背中を呆然と見送る。『大丈夫か!?』と下から心配してくる瀬戸に、「な、なんでもない、今行く」とだけ伝え、震えながら通話を切る。
へなへなと、今になって腰が抜けた。
「なん……なの、あれ」
どうしてあんなに急に、人が変わったみたいに焦りだしたのか。
しかも、由奈が想いを寄せる橘を呼び捨てにするほど。
(あ、れ?)
はたと、止まる。
『橘くんは彼女のことが好きなのかなぁ。ねえ、君はどう思う?』
(……普通、逆じゃない?)
そうだ、感じていた違和感はこれだ。
普通、彼が由奈を好きなのであれば、由奈が橘に好意を抱いているのかを気にするはずだ。
もしも、もしも彼が想いを寄せている相手がそうではないのだとしたら……ぶるりと、体の芯まで震えた。
なら、姫宮が敵意を向けている相手は。
彼が苛烈なまでの殺意を、抱いている相手は。
「由奈……」
呆然とへたり込んだまま、捺実はただただ親友を憐れんだ。
────────────────
短い更新ですみません。夜の更新は3話の予定です。
ともだちにシェアしよう!