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狼の群れ──第59話
「そうだよね」
「……」
「そうだよね?」
「はい……」
早乙女が、肩を震わせた。
「復唱して」
「ま、祭りで、ちょうしに、乗って、喧嘩、して、階段から落ちて、腕を、おりました……」
「誰と喧嘩したの」
「みんな、と、です」
「みんなって誰」
「ほ、北条と、金子とさい、さいおんじ、です」
「他には」
「いま、せん」
「うん、その通りだね。ちなみにスマホのバックアップは?」
「と、とって、ません」
「だろうね、よかった」
姫宮はそう言うと、すたすたと歩き始めた。
林の向こう側に広がる、広い池に向かって。
待ってくれと、早乙女が叫ぶ暇もなかった。ひゅん、と大きな放物線を描いたスマホは夜の闇に消え、1、2、3秒ほど置いて、ぼちゃんと寂しい音を立てて暗い池に沈んでいった。
くるりと、姫宮が向き直った。
月が、彼の頭上で妖艶に浮かんでいる。
その下で、彼は腕を組んで佇んでいる。
静寂の中に潜む鋭さ。
それはまるで、月の下に立つ狼の如く。
ここにいる誰もが思っただろう。
姫宮は、支配者なのだと。
「北条くんはあばら骨にヒビが入ってると思うから、あとで病院にでも行った方がいいよ。確か……早乙女くんに蹴られて折れたんだよね。その仕返しとして、北条くんは早乙女くんを階段から突き飛ばした」
「……」
「そうだったよね? お婆様にはちゃんとそう説明するんだよ。できないようであれば僕が君のお婆様に直接説明しに行くから。早乙女くんのスマホの中に入ってたものは……君たちがグループ内で共有していたものも含めて全部僕の方に移しておいたから、それらをお婆様に見せてあげる。君が泣いている男の子に発情を誘発する薬を無理矢理飲ませて蹴ったり殴ったりみんなで押さえ付けて気持ちよさそうに腰を振ってる動画も出てきたからね。首を吊る前に心臓発作とか起こさないといいけど」
「……」
「返事」
「は、い」
「金子くん」
「……はい」
「君の首、誰に絞められたの?」
「……だれ、か、覚えて、ません」
「弱いな。西園寺くんだったんじゃない?」
「……」
「覚えてないのなら僕が教えてあげようか、怒りにまかせて西園寺くんが君の首を絞めて爪を立てて肉を抉ったんだよね」
「はい、そうです……西園寺が、おれの、首しめて、つ、爪たてて、肉を抉って、きました……」
「じゃあ西園寺くんは金子くんに鼻を折られた、そうだったね?」
「……」
「そうだったよね? あれ、僕の勘違いだったかな」
冷たく目を細めた姫宮に、西園寺が涙声で、「ちがいません……」と囁いた。
声が震えていた。
「話はまとまったね。じゃあみんな、西園寺くんのお父様が経営されてるクリニックにでも行っておいで。他は駄目だ。西園寺くん、仲間内で羽目を外してしまったってちゃんとお父様に説明できるね? 難しいようであれば僕も行くけど」
ごくりと、西園寺が息を呑む音。
「ちゃんと、で、でき、ます……大丈夫です」
「よかった。あとは……君たちの喧嘩を止めたのは誰だっけ?」
「姫宮、せんぱいです」
「そう、偶然祭り会場に居合わせた僕だ。君たちは僕に諭されて喧嘩をやめてこれから家に帰る。そうだったね?」
「はい、そうです……」
「何度目だろうね聞き返すの。復唱」
「ぐうぜん、姫宮せんぱいが、夏祭りにきてて……喧嘩の仲裁に、はいってくださいました……だ、だから俺たちは帰り、ます」
「立て。5秒以内だ」
全員が、操り人形のようにふらふらと立ち上がった。
──第二性が、狼の階級の呼び方に由来するとはよく言ったものだ。
大なり小なり、αは本能的な生き物である。だからこそすぐにひれ伏す。
「ここにいる全員が証人だ、忘れるなよ」
埋めることのできない格の違いというやつを、理解しているからこそ。
「馬鹿な真似はもうするな、二度とこの人には近づくな。それが条件だ……いいな?」
圧倒的、だった。
今ここにいるαたちにとって、ヒエラルキーの頂点に立っているのは間違いなく姫宮だ。
ここは僕の縄張りだぞと、姫宮は牽制しているのだ。
「返事」
はい、と全員分の返事が返ってくる。
しかも復唱付きで。
そこにいるだけで、びりびりと伝わってくる姫宮という生き物の存在感。
αもβもΩも関係なく、彼のこの威圧感に充てられたら全員が縮みあがるだろう。
俺、以外は。
「全員しっぽ巻いて逃げ帰れ、今すぐに」
負けが確定した男たちが、「すみませんでした」と姫宮に頭を下げた。
そしてお互いがお互いを支え合いながら、ゾンビのごとくよろよろと退散していった。
半裸のまま座り込んでいる俺には。
誰も、一瞥もくれないで。
──────
姫宮は、勝ちました。
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