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限界──第95話

 * 「姫宮くん?」  ついつい声をかけたのは、いつもであれば穏やかな青年の顔がいつになく険しく見えたからだ。姫宮はぴたりと止まり、ゆっくりとこちらを振り向いた。 「──やあ来栖さん、こんにちは。久しぶりだね、今から授業?」 (あれ、見間違いだったかな?)  みんなの人気者……姫宮は、いつも通り笑いかけてくれた。 「こんにちは、夏祭り以来だね! ううん違うの。透愛にその、用事があって」 「橘くんに?」 「うん、ちょっと」 「……へえ。もしかして、橘くんから告白の返事でももらうのかな?」 「えっ、ど、どうして?」  図星を突かれて、ぴょこんと跳ねる。 「あはは、来栖さん顔真っ赤だよ。図星かな?」 「や、やだなぁ、からかわないでよ姫宮くん」 「ごめんごめん」  くすくすと面白がって眦を緩める姫宮に、羞恥心が増す。久しぶりだし、少しお話ししない? と誘われたので「いいよ」と快く頷いて壁に並ぶ。  まだ透愛との待ち合わせまで時間があるのだ。 「来栖さんって、橘くんとはどこで出会ったの? ええっと確か……体調を崩して橘くんに助けてもらって、おんぶも、してもらったんだよね?」 「もう、捺実ったらそんなことまで話してたの?」 「ふふ、ごめんね。詳しく聞いちゃって」  捺実とは暫く会えていない。  キャンパスが違うので仕方のないことなのだが、なんとなく避けられているような気がする。特に、透愛に関することを相談しても、歯切れが悪い。  夏祭りに透愛に告白したことを伝えたら、何故だか沈痛な面持ちをされてしまったわけだし。  いつもだったら、「きっとうまくいくって!」なんて励ましてくれるのに。 「透愛とはね、大学近くのコンビニの前で会ったんだ」  あの日は、どうしても出席しなければいけない授業があった。 「具合が悪くて階段がのぼれなかったの。そしたら透愛が、大丈夫か? って声かけてくれて」  思い出すたびに、胸がぽかぽかと温かくなる。 「ふふ、お父さん以外の男の人におんぶしてもらったの初めてだったから、最初は戸惑ったんだけど……透愛の背中、あったかかったなぁ」  じくじくと膿むような生理の痛みに苦しみながら、広い背中に守られている気がして安堵した。  長めの襟足が鼻を掠めて、くすぐったかった。  ふわっと香ってきた男ものの香水は全然気持ち悪い匂いじゃなくて、むしろドキドキして痛みがやわらいだ。  途中でもう大丈夫だと伝えたら、透愛は、「そか。じゃあな、体冷やすなよ?」と笑みだけを残して行ってしまった。連絡先を聞かれることもなかった。  仲良くなれたのは、こちらから彼を探しだして、あの時はありがとうと声をかけたからだ。  透愛と関わっていくにつれ、邪な気持ち無しに、純粋に人に手を差し伸べることが出来る人だということを知った。  さっきだって、「話がある」と連絡をもらったけれど、透愛はメッセージアプリの会話のみで話を終わらせようするような人じゃない。  きちんと向き合ってくれる真摯な彼らしさに、「好き」は募るばかりだった。  ──際限なく膨れ上がり続けていたこの想いにも、今日でやっと、終止符を打てるだろうか。 「透愛ってね、見た目はちょっと遊んでそうなんだけど、笑うと八重歯が見えて可愛いんだよ? 一緒に歩いてると、さりげなく道路側に立ってくれるし」 「そっか。そういうところがあるんだね、彼には」 「そうなの! ああ見えて優しいしカッコいいし、なんか……王子様みたいで」 「あははっ、なるほど、王子さまかぁ」 「あっ、姫宮くんってば思ってないでしょ」 「そんなことないよ……わかるよ、すごく」  あれ、と思い目を擦る。 「どうしたの?」 「え? あっううん、なんでもないの」  不思議だ。  姫宮の笑みは更に深まったはずなのに、陰って見えるのはどうしてだろう。 「あっもちろんね、この大学の一番の王子様は姫宮くんだと思うよ?」 「そんなことないよ。僕、王子さまって柄じゃないし」 「そんなことあるよ! でもね、透愛はね、時々……」 「時々?」 「綺麗、なの」 「──キレイ?」 「うん……なんていうんだろう。ちょっと子どもっぽいところはあるんだけどね。こう……ふっと、透愛から目が離せなくなる時があるんだ。伏せた目が色っぽく見えるっていうか、儚げっていうか、なんていうか……やだ、なに言ってるんだろうね、私」  手でぱたぱたと扇いで、熱い頬を冷ます。  透愛本人に自覚はないだろうが、普段は目尻にシワを作って仔犬のような顔で砕顔するのに、静かに伏せられた色素の薄いまつ毛の奥には、なんともいえない陰……というか、艶やかさを感じるのだ。  物憂な雰囲気というか、儚さがにじみ出ているというか。  普段が明るい透愛なだけに、そのギャップに一番惹かれたと言っても過言じゃない。 「本当に、好きなんだね。橘くんのこと」  手を後ろに回して、頬を染めて下を向く。ラインストーンの入ったレースのパンプスは、前に透愛が「キラキラしてていいな」なんて褒めてくれた靴だ。  気合を入れるために、今日は履いてきた。 「うん、好き……大好きなの」  ──そう熱く言い切った瞬間、隣から小さな舌打ちが聞こえた。 ──────── 由奈、逃げて。超逃げて。

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