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喧嘩──第131話

 ぱきぱきと、窓ガラスにひびが入る音が確かに聞こえた。きっと、1秒にも満たない瞬間だった。  膨れ上がるようにガラス張りの窓が砕け散り、テーブルが玩具のように弾き飛ばされていく。天井の照明までもが割れ、破片がざばっと降りかかってきた。  全ての光景が、ゆっくりと動いた。  目の前に迫りくる赤。  トラッ、ク……トラック?  ──は? いやなんで? ここ食堂だぞ、室内になんでトラックが? あれ、運転席の人項垂れてね? ああそっか意識ねぇのか、だから突っ込んでくんのか。  今、簡単にスリップしそうなくらい道路も水浸しだもんな。そりゃスピードも出るかぁ。てか大丈夫かなあのおっさん、もしかして心臓発作? ブレーキ踏んで止めてやんねぇとおっさんもどっかにぶつかって頭潰れちまうだろ。  ヤダな、目の前で人が死ぬとこ見たくない。  あ、と視線が流れる。  視界の端に、腰を抜かした瀬戸たちが見えた。  ああよかった、あそこなら巻き込まれなさそうだ。あれ、じゃあトラックの目の前にいる俺は?  あれ、もしかして死ぬ?  は? ──いやいやウソだろ、透貴とあんな別れ方したままなのに?  透貴の後ろ姿が最期に見た姿だなんて絶対に嫌だ。俺が死ぬのはまぁいいけど……いやよくないけど、一番怖いのは俺が死んだら透貴が狂ってしまうことだ。  俺の遺体に追い縋って憔悴していく透貴なんて想像したくない。  義隆さんが、なんとか透貴を支えて持ち直してくれるといいけど。してくれなかったらぜって~化けて出る自信がある。 『透貴、ダメだって! しっかりしろよ、俺のぶんまで生きてくれよ……』  って、俺泣くかもな。  それに、姫宮はどうなるんだろ。  Ωである俺は番を失ったら狂うけど、αである姫宮は番を失っても狂わない……はずなんだけど。  うーん、なんとなくヤバい気、すんだよな。  あいつ、大丈夫かな。  俺の後を追っかけてきたりしないよな。してほしくないな。透貴もだけど、姫宮にも生きててもらいたい。  生きてたら、いいことだって絶対あるし。  昔、俺みたいな番の男がいたなって、時折思い出してくれればそれでいい。思い出すと同時にあったかい気持ちになってくれたら、万々歳だ。  ──もちろん、さ。本当のことを言うと離れたくはないけど。  こいつが俺以外の誰かを抱きしめている光景なんて想像もしたくないけど。  でも、だからこそだ。俺のこととなると思考回路がぶっ飛んでしまう姫宮を生かすためにも、もう少し姫宮と話し合わなきゃいけないんだけど、あいつどこだろ──って、そうだ。  姫宮、目の前にいんじゃん。  俺ら、そろって座り込んだままだったわ。 「ひめっ……」  よけきれない。だから姫宮に覆いかぶさろうとした。俺の身体がぐちゃぐちゃになってクッションにでもなれば、姫宮一人くらいは助かるんじゃないかと思って。  ずっと、俺なんかって思ってたんだ。  Ω性の人間のくせにそう在れない、在りたくないと願ってしまう自分のことが嫌いだった。こいつの隣に堂々と立っていられない自分が、心底嫌だった。  でもこんなままならない身体でも、こういう使い道だったらありなんじゃねぇかって。  好きで好きでたまんねぇ男のことぐらい、この身一つで、守れるようになりたいなって。 「──透愛」  でも、勢いよく後ろへ押し上げられたのは俺の方だった。  唇に、あたたかな何かが押し当てられる感覚。  キスを、されている。そのまますっと息を吸われ、俺がはずみで吐き出した息を姫宮に奪われた。  輪郭が捉えきれないほど至近距離にいる姫宮の背後で、通り過ぎるトラック。  車体の側面に触れた指先が、間一髪のところでじゅっと熱く弾かれる。  どこかに引っ掛かった姫宮の金のネックレスが、ぶつんと切れた。

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