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キレイな人──第166話*
運命の番などという非科学的な事象、信じちゃいない。
そんなものあるわけがない。馬鹿馬鹿しい。
「運命の番」なんて、都合よく愛し愛されたがる人間の妄想だ。
だって僕らは出会った瞬間に運命的に恋に落ち、惹かれ合ったわけでもないのだから。
よくあるセオリー通りに、顔を見た瞬間に発情しあったわけでもない。
むしろ僕は最初、橘のことなど気にも留めやしなかった。
橘透愛なんて名前、覚えてすらいなかった。
僕にとって橘は、どうでもいい生き物の一匹にしかすぎなかった。
そしてそれは、橘だって同じだろう。
橘は知らない。
その気になればセックスなんてありふれた行為、人は誰ともできるということを。
君だってたった今それを実践しているじゃないか。心と体が伴っていなくたって、君は僕の愛撫に反応する。
淫らによがる、高い声で鳴く、喘ぐ。
痙攣しながら、せり上がった精を吐き捨てる。
互いの想いが重ならなくたってできる行為を、僕らは今している。
そんな僕らの関係が、運命だなんてありえない。だって橘は僕に、好きで抱かれているわけじゃないのだから。
橘は僕を……愛しているわけじゃないのだから。
僕を微塵も愛していない橘の運命の相手が、僕であるはずがない。
こんな痛みに満ちた先の見えないような関係が、運命なんかであるはずがない。
橘にだってそんな相手は絶対にいない……いないはずだ。
──けれどももしも橘に、いつか「運命の相手」とやらが現れたら?
ありえない、ことではない。
あの女はβだが、彼女以外で、橘が身も心も奪われてしまうような相手が出てきてしまったら。
そうなったら僕は、一体どうなってしまうのだろう。
想像するだけで身震いする──そんなおぞましいことが、あってたまるか。
「捺実、とかいったっけ。あんな女、好きなわけがないだろう。だって好きな人はもういるもの」
『誰、それ』
「さぁね」
『俺の知ってるやつ?』
「君には死んでも教えたくないな」
僕以外見るな、喋るな、関わるなと、いっそのことここでぶちまけることができたら。
「もうそろそろ、限界なんだよ……橘」
僕は君の目に映る生き物全てを、嬲り殺しにしてやりたいくらいなんだよ。
『おれ、さ。由奈に告られたんだ』
「……へえ、付き合うの?」
本日二度目の「最悪」は、一度目を軽く飛び越え、最高で最低の「最悪」を更新した。
予感は的中だ。やはりそうだったか。
こうやって僕に身を委ねている理由も、異性に告白された自身の男性性を、一度しっかり確かめたかったからなのだろう。
──そうか。運命ではないことを心身ともに確かめて、安心したかったのか。
好いた女に告白されて舞い上がっていた時に、当然同性に犯されかけて、さぞや傷付いたことだろうな。
『付き合えるわけ、ねーじゃん……おまえと結婚、してんだぞ。ふせーじつだろ、そんなの』
ほら、やっぱり。
不誠実な関係でなければ、この手はあの女の手を取っていたのだろう。
いや、今すぐにでも取りにいきたいに違いない。
橘はどこか遠くを見ている。
逃れられない自分の第二性に、絶望してるのか、橘。男に抱かれてよがる、俺なんかがって。
君は今、そんなことを考えているのか。
「好きにするといいよ。君だって男だ。ヒートの時さえ誤魔化せれば、君も女性とお付き合いをすることぐらいはできるだろうからな」
『おまえは、それでいいの?』
「決めるのは君だ……僕は好きにする。君も好きにするといい。まあでも、僕以外の相手と身体の関係を持つのは難しいかもね。そこは諦めてくれ」
『わかってるっつーの、そんなの……想像した時、気持ち悪くなったし』
へえ、そう、ふうん……想像したことあるんだ。まぁあるかと、不思議と凪いだ心で橘を見下す。
冷え切っていく頭とは裏腹に、僕の思考は意外と冷静だった。
橘の首にかけられているチェーンが汗でしゃらりと揺れ、指輪がころんと、浴衣の上に滑り落ちた。
僕と橘を繋ぐ唯一のカケラ。
こんなものに、一体何を浮かれていたんだろうな、僕は。
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