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透愛と樹李──第180話

 言っただろう? あいつは単純な男だって。  あいつは、君の命を奪おうとする全てに嫉妬したんだ。  対象が無機物であろうが有機物であろうが、樹李にとっては関係ない。  だから君を、自分の腕の中に抱きとめたんだ。取られないように。  きっと君の最期のひと呼吸さえ、誰にも奪われたくなかったんだろうな。  きっと、君が川かどっかで溺れたらね、君が溺死する前に君の首を絞めて殺すよ。水にだって、君の命を奪われてなるものか……なんて、ね。   そんなことを、考えるような奴なのさ。  ──おぞましい男だろう? 我が息子ながら。  どう思う? 透愛くん。  それでも君は、あの子のことを……  *  眠っている姫宮は、本物のお姫様みたいだった。  眠れる森の美女ってか。ここ森じゃなくて病院だけどな……ちょっと頭に包帯巻かれてて、頬の青痣も痛々しいけど。  顎の下に触れてみると、さりっと珍しい感触がした。 (髭、生えてら……こいつって毛ぇ生えるんだ)  そりゃ生えるか。女みてーに綺麗な顔してっけど、姫宮も男だもんな。  でも、いつも毛穴一つ見つからないすべすべな肌をしているから(女子がたまご肌って騒いでた)、かなり薄い方だと思ってた。  夜中か朝方に目が覚めると言われていたが、今か今かと待っていても、この無駄に長いまつ毛は震えもしない。  あと数時間もすれば昼になる。  俺は朝食(無駄に豪華だった)も済ませてしまい、静かな病室で一人、昏々と眠る男を眺めていた。 「早く起きろよ、ばか」  むに、と姫宮の鼻を軽く摘まんでみる。こいつ、鼻高ェな。うんともすんとも言わないけど。  でも時折、眉間にシワが寄る。一体どんな夢みてんだろうな。 「聞きたいことも言いたいことも、山ほどあるんだぞ……?」  あんまりにも美しい顔をしているものだから、昨日血だらけになっていた男であることを忘れそうになる。  この眠り姫、王子さまのキスで目覚めたりして。 (でも俺、王子サマってガラじゃねーしな……)  早く話したい。早く目を合わせたい。俺を見てほしい。何か緩い刺激を与えたらいいのだろうかと、姫宮から離れて備え付けられたこれまた無駄にでかいテレビをつけてみる。  もちろん、病人がいるのでごく小さな音量で、だ。  姫宮にはよく無神経だの察しが悪いだの言いたい放題言われるが、そこらへんは弁えている。 「あっ、これ、例のドラマじゃん」  そこに映ったのは、なにかと最近話題の、隠れΩの地味OLと御曹司αの運命の恋がなんとやらのドラマだった。  確か、略して『地味逃げ』。しかも総集編である。どうやら最終回目前スペシャルらしい。 『四の五の言わず俺のものになれよ、カナコ。じゃねえと、あんたの元カレ……全員ぶっ殺しちまうぞ』  ああそうだったそうだった、こんなんだったわ。  俺のものだなんてセリフ、ありえねぇだろって苦笑いしたんだっけ。  αに心から愛されるΩなんて、存在するわけないって。 『そ、そんな! やめてサクト、他の人に酷いことしないで! タカシはただ、私のことを心配してくれただけなのよぉお!』 『カナコォォオ!』  サクトとやらに壁ドンされたヒロインのカナコが、サクトを豪快に背負い投げした。 『──え? きゃあぁああっやだ! ごめんまた手が勝手に! 私、またやっちゃったかしら!?』  これにはびびった。  華麗なフォームで見事な一本背負いが決まり、おおっと思わず身を乗り出して食い入るように見てしまう。  予想外に筋肉系ドラマだ。つまんなそうだと思っていたけれど、これは案外面白いのかもしれない。  覚えたての喧嘩で沸き踊っていた血が、いや、兄の血が騒ぐ。  ちゃんと1話から観たらハマりそうだ。 『そんな……まさかサクトが、私の運命の番……!? ぅっ』  そして、β性からΩ性に変異したヒロインが、定石の如く突然発情した。  めちゃくちゃスピーディーに、ヒーローの前で、彼女が運命の相手であることがついに判明したのである。  そういえば俺も、こんな風に突然発情したっけな。  ──いや、姫宮が俺が忘れていった靴下でオナったから、だったか。  あれは本当に寝耳に水だった。びっくりした、正直。  だって俺は、姫宮に伸ばした手を嫌悪感丸出しで振り払われたのだから。大嫌いって言われたし、二度と話しかけてくんなって拒否られもしたし。  そんなんだったのに、まさか陰でコソコソとそんないかがわしいことをされていただなんて、知る由もない。  普通、同級生が履き捨てた汚い靴下で自慰するか? しねーよな。単なる嫌がらせだと思っていた数々の私物紛失事件についても、顔突き合わせて一から十まで話さねぇと。  だからさっさと、起きてもらわなきゃいけないのに。  このままじゃ、言いたいことも言えやしない。  ごそりと背後で、何かが動く気配。 「なに、見てるの?」    振り向くことは、しなかった。

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