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透愛と樹李──第181話
「……おまえこれ知らねーの? 地味逃げってドラマだよ。最近流行ってんだ」
「知らないな。正式なタイトルは?」
「ええっと……ちょい待てな。確か……結婚式一週間前で婚約者に裏切られて人生ドン底まで落ちた地味OLかっこアラサーの私が、ワガママ生意気ドSな御曹司かっこ高校生に一目惚れされて骨の髄まで溺愛されるなんて聞いてません。平凡に生きたいので全力で逃げます……だってさ」
随分前に一度確認はしたがばっちり覚えていなかったので、スマホでちゃちゃっと調べた文字列を口にする。
「略して地味逃げな。あ、待て、続きが……えっ、『~前世は両親と聖女の妹から虐げられ続けた不遇の筋肉令嬢だった私が!?~』ってサブテーマも付いてる。なるほど、だからかぁ!」
大いに頷く。それならあの背負い投げも納得だ。
「あの素早い身のこなしは筋肉故か……ってことは、サクトも実は前世系か……?」
瀬戸、前世系とか異世界転生系のアニメ、好きだった気が。こんなん見ねーよとか言ってたけど、見たらハマるのでは?
なんかいろいろとぶっ飛んでて面白そうだし。
「……情報量が多いな」
渋い顔になってそうな声に、笑ってしまった。
俺も前に、おんなじことを思ったっけ。
「……だからいいんだって。何が起こるか最初からわかってねぇと、見るのも怖いだろ?」
怖くて怖くて背を向けてしまう。ずっとずっとすれ違ってしまう、俺らみたいに。
だから最初から、相手の感情が全て手に取るようにわかっていればストレスも少ないのだ。話の流れや結末や、前世なども始まる前からわかっていれば、ある程度自分の未来に予想も立てられる。
この、苦しい社会から弾き出されてしまった弱い自分は、仮の姿なんだって。
本当の自分はもっとすごいんだって、自分自身を慰められる。
でも、どう足掻いても自分は自分以外にはなれない。この世界に存在している、今ここで生きている自分として生きていくしかない。
だからこそ、ここは現実でしかないのだ。
──社会的弱者として嘲笑の的になる自分が、嫌だった。
薬を飲まなければ、普通の生活すらままならなくなるこの身が、嫌いだった。
Ω性の人間としてしか生きられないこの身が、この7年間、辛かった。
「ちなみにこいつら、運命の番らしーぜ……あとヒロインが、隠れΩなんだって」
これを言うには、少し勇気がいった。
「俺みたい、だよな」
「全然違う」
姫宮は、きっぱりと吐き捨てた。
「君を、こんなくだらないドラマの主人公と一緒にしないでくれないか」
リモコンを持つ手が、下がる。
沈黙も、下りた。
「──タンクローリー、食堂に突っ込んできたんだぞ」
「覚えてるよ」
「怪我した人はけっこーいたけどさ、死んだ人とかは、いなかったんだ」
「へえ、そう。よかったね」
すこぶる、どうでもよさそうな声に笑ってしまった。
「……おまえ、このまま流行りの異世界転生とかしちまうのかと思った……」
「するわけがないだろう。君がここにいるのに」
ぐっと、唇を噛んで力を入れる。
そうでもしないと、声が震えてしまいそうな気がした。
「にしては、けっこー寝扱けてたじゃねぇか。もう昼になんぞ?」
「夢を、みていたんだ」
「なんの」
「君を手に入れられたと錯覚できていた夢」
「……なんだよ、そりゃ」
「嬉しかったな。でも君はずっとおかしくて、泣いてばかりいて、身体中をかき毟って、いつも傷だらけで……僕を全然見てくれなくなって……笑っても、くれなくなった。苦しかったよ」
姫宮から助け出され、治療を受け、おかしくなっていたころの自分は自分じゃなかった。思い出そうとすると、今でも頭が痛くなる。あの時間はきっと、永遠に封印していていい記憶だ。
俺の代わりに、姫宮が全て覚えている。
「──おまえ、なんで俺のこと庇った」
「庇ったつもりはない」
姫宮の口調は、きっぱりとしていた。
「あの鉄の塊に君を奪われたくなかった。ただそれだけだ」
朝、義隆が病室に来た。
ちなみに透貴は、ここしばらく身体が緊張していたのかフラついていたので、睡眠薬で強制的に、姫宮邸のベッドに落としてくれたらしい。
それでいい、透貴の目の下の隈だって酷かった。
そしてその時に義隆に言われたのだ。
姫宮樹李という男の、異常さを。
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どうでもいい今後情報ですが、透愛もそのうち『地味逃げ』にドハマりします。
やはり話し合いなんて乱暴なことはせず穏便に筋肉ですね。
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