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ふたつの嵐──第207話

「おまえさァ……昼はちゃんと食べたとか先生言ってたけど、俺がシャワー浴びてる間に捨ててただろ」 「……野菜なんて食べても食べなくても傷の治りにはさほど関係ないよ」 「汁物もシンクに流しただろ? だからそんなに細せーんだよ、そのうちバッタみたいになんぞ」 「スタイルがいいと言え。君だって僕より細いじゃないか。僕がバッタなら君はナナフシだ」 「話逸らそうとすんな。捨、て、た、よ、な?」 「……」  何度でも言おう。眉間にシワを寄せた姫宮の沈黙は肯定であると。しかも今、あからさまに目ぇ逸らしやがった。  今だから言える。こいつは結構わかりやすい男だ。 「……ったく、食べ物粗末にすんなよな、バチあたんぞ」 「食えたものじゃないだろう、病院食なんて」 「美味しかったじゃん、わかめの汁物とかさァ」  しかもなんか、料亭で出てくるような綺麗なお椀に入ってたし。 「美味しい? 海産物が生臭すぎだ。それにどうしてあんな庶民的な料理なんかを僕が」 「黙れお坊ちゃん、ド庶民なんだよこっちは」  あんな豪華な食事をマズいとか、マジでこいつの味覚ってどうなってんだ? 小さい頃からいいもんばっか食い過ぎて舌が新鮮なものしか受け付けなくなってんのか? 俺なんかうめーって騒ぎながら秒で完食したってのに。  いやまぁ……確かに姫宮ン家の料理人たちが作る料理に比べたらそりゃ劣るけどさ。 「義隆さんにも言われてんだよ、おまえ偏食気味だからちゃんと食わせてやってくれって」  今思えば、学食でビーフシチューに入っていた野菜もこそこそ横に避けていた気がする……オレンジ色の、あれを。 「αでも人参、食えねぇもんなんだなァ……」  しみじみとしてしまう。姫宮の眉間に、いつものシワが寄った。 「偏見だよそれは。食品の好き嫌いは第二性関係なく個人の嗜好の問題だ」 「ふーん。お、人参スティックもあった。これもいれよ~」 「……戻してくれ」 「からしマヨ付きだぞ」 「戻せ」 「いーから食って元気になれ」 「橘」 「俺、はやく完全復活したおまえとヒート、迎えたいんだけど?」 「……………………食べよう」 「ふはっ」  それでも苦手なモノと俺、天秤にかけて俺を選んでくれた姫宮に声を出して笑ってしまった。 「おまえってホント、わかりやすい男だったんだな」 「うるさい」 「なぁなぁ、おまえってスーパーとか行ったことある?」 「何が目的で?」 「いや、目的って」 「別に、僕が行かずとも家政婦が行くだろう? 定期便がそもそも届くし足りないものがあればネットから」 「あーうん、おまえに聞いた俺がバカだったわ」  家政婦の芳さんも義隆さんもこいつのこと甘やかしすぎだろ。18歳の大学生がスーパーで買い物もしたことがないとかヤバくねぇか?  俺も今は透貴に丸投げしちまってるけど。  いや、人様のご家庭にも諸々の事情とかがあるんだろうけどさ。 「おい、先に言っとくぞ」 「なに?」 「2人で暮らすようになっても、家政婦さんとか料理人とかは雇わねぇからな?」 「……え?」 「え、じゃねえよ! 自分でできること全部他人にやらせてどーすんだ! あと、おまえにも普通にスーパーに買い出しとか行かせるからな、家でダラダラしてたらケツ引っぱたくぞ」  でもこいつ、チラシでこれを買うんだからなって赤ペンで丸つけてやっても、普通に高いものとか買ってきそうだな。「どのメーカーも同じだろう」とか言って。同じじゃねぇわ。  それで俺とぎゃあぎゃあ喧嘩になるんだ、絶対。ああ……先の未来が見える。  というか、先ほどのプライベートジェット事件などなど、金銭感覚が俺とはあまりにも違いすぎる。  生活力が皆無そうなこの男とやっていくためにも、一から教育してやらなければ。  と、ド庶民代表の俺は使命に燃えたのであった。 「違う。驚いたのはそこではなくて、その……君は、僕と」 「ん~?」 「同棲、する気はあるのか……?」  その質問に、商品を選んでいた俺は「え」と姫宮を振り仰いだ。 「そのつもりだったけど? いつになるかはわかんねぇけどさ」 「そう、か……そうか」  姫宮は何やら物を言いたげな雰囲気だった。  すっと、冷たい嫌な予感が胸をよぎり、足元を見ながらぽつりと、言う。 「おまえ……俺と住むの、イヤ……なの?」 「──違うっ」  店員さんが半目でこちらを覗いてきたので、慌てて姫宮の身体に肩を当てる。 「ばかっ、声でかい!」 「だって君がわけのわからないことを言うから。なにをどうしたらそういう結論になるんだ」  姫宮は本気で憤慨している様子だった。 「……嫌なわけがないだろう。君との同棲生活は、小さい頃からの僕の夢だったんだ」  それは、初耳だ。 「そ、そーかよ」 「当たり前だろう。君とご飯を食べたり休日にどこかへ出かけたり、一緒にテレビを見たり掃除をしたり洗濯をしたり一緒にお風呂に入って体を洗い合ったりしたかったんだ」 「いや多いな」  出るわ出るわ。つーかこいつが喚いてた背中の流し合いっこってこれか。 「豪勢な一軒家でなくてもいいんだ、それこそ小さなマンションの一室でも。ただ……大きなベッドはひとつ、欲しいな」  突然、姫宮の声が柔らかすぎるぐらいに柔らかくなった。  そろそろと見上げて、すぐに見なければよかったと後悔した。少なくとも、それなりに人がいるこの空間では。    だって姫宮の顔が……顔、が。

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