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5 どっちが好き?

 仕事から帰って夕飯を作り、風呂から上がったタイミングで月森が帰宅した。 「ただいま、先輩っ」  付いてもいないしっぽが振り振りしてるのが見えそうなほど、元気な月森に苦笑する。 「……おかえり。ほんと月森って、疲れててもさわやかな笑顔だね」 「だって嬉しくて。先輩がちゃんとここにいてくれることが」 「ん?」 「……先輩が目を覚ますまで、本当に不安で死にそうだったから」 「そ……っか。ごめんね心配かけて」 「無事に帰ってきてくれただけで、すごく嬉しいです。それに……」  通勤バッグをリビングの所定位置に置き、コートを脱ぎながら月森が言いよどむ。   「それに、なに?」 「……いえ。なんでもないです」 「なんだよ、気になる」 「本当に、なんでもないです。……先輩、ずっとここにいてくださいね」 「いるよ、ずっと。出ていく理由なんてないよ。月森に彼女ができたら、さすがに出ていくけどさ」 「彼女なんてできませんって。大丈夫です」    ニコッと微笑まれて、それ以上何も言えなくなった。   「あ、今日は肉じゃがですか?」 「ああ、うん。月森は肉じゃが好き?」 「大好きです! というか、最近毎日俺の好きな物ばっかり。……もしかして……何か思い出しました?」 「いや、残念ながら全然」 「……そう、ですか」  そうつぶやいてうつむく月森は、気落ちしているようでいて、どこかホッとしてるようにも見える。  ……なんて、そんなわけないか。俺の記憶が戻るよう色々考えて親身になってくれてるのに、気のせいだよな。 「月森の好きな物ばっかでよかったよ」  俺はどうやら料理が好きらしい。月森は料理がダメで、同居の条件に「手料理食わしてやる」と俺が猛アピールをしたという。  同居を再スタートしてすぐ、試しに作ってみれば手が覚えていた。レシピさえあればなんでも作れそうだと自慢した俺に、月森が笑った。 「俺、すごい腹ぺこです。すぐ食べたい。着替えてきますねっ」 「じゃあ、あっためておくよ」 「はいっ」    月森はいつも元気だな。残業で疲れていても常に笑顔を絶やさない。  無理をしてるようにも見えないが、俺に気を使っていなければいいなと思う。  着替えて席につき、笑顔で「いただきます」と手を合わせる月森に、今日も俺は癒された。  記憶もないのになぜ月森の好物ばかり作れるかというと、それには秘密があった。  スマホに入っていた料理アプリ。開いてみると、保存したレシピがフォルダ分けされていた。  肉、魚、副菜、麺、丼。その中にあった『月森』というフォルダ。  料理のレシピフォルダなのに月森ってなんだ? と不思議に思い、もしかして……と毎日作ってみたが、やっぱり月森の好物だった。  俺は必死で月森の胃袋をつかみにいっていたようだ。よっぽど家を追い出されたくなかったんだろう。   「あのさ」 「なんですか?」 「今の俺って、前と違う?」 「え?」 「性格とか、色々とさ」  職場での皆の反応や女性社員の会話で、まあ違うんだろうとは思うが、今の俺は何も偽ってはいない。これが自然だ。  それでも違うのはどうしてなのか不思議だった。  記憶をなくすと人格が変わるんだろうか。   「先輩は、たぶん前も今も同じだと思います」 「たぶん?」  前と違うかどうかを聞いたのに、たぶんって何? 「前の先輩は、なんかこう……常に完璧じゃないとダメだって思ってるみたいな、ずっと気を張り詰めてるような、そんな感じだったんです」 「……そうなんだ」 「でも、俺と二人のときは、ちょっとだけ気を許してくれていたような気がします。えっと……たぶん、ですけど」  と月森が指で頬をかく。  気を許していたのは当たり前だろう。そうじゃなきゃ一緒になんて住まない。毎日のように入り浸るわけがない。 「今の先輩は、その張り詰めた感じがなくてすごく自然だなって思います。これが素だったのかなって」  前の俺が常に完璧を目指していた理由が何かはわからないが、そうなるきっかけでもあったんだろうか。 「月森は……どっちの俺が好き?」  ……あ、俺は何を言ってるんだろう。   バカなことを聞いてしまった。  どっちの俺だって俺自身なのに、今の俺を好きだと言ってほしくなった。  こんな質問、月森が困ることくらいわかってるのに……聞きたくなった。 「どっちが好きって、え、どっちも先輩じゃないですか。どっちも好きですよ?」  困った風でもなく、普通に笑顔で月森が答える。 「……うん。わかってはいたけどね。その答えはずるいよ」  拗ねる俺に、月森は「だって」と反論する。 「俺は先輩のこと、高校の時から見てますから。ちゃんとどういう人なのかわかってます。見た目や口調が違っても先輩は変わらないし、俺は先輩が好きですよ?」  優しく微笑まれてドキッとした。  そんな真っ直ぐに見つめられたら、変な気分に……なるだろう。 「あっ、ち、違います! 深い意味はないです! 全然! 本当に! 本当です!」  月森が慌てたように手と首を同時に振って否定する。 「……そんな、力強く否定しなくても大丈夫だって」  笑ったつもりだったのに、どうしてか顔が引きつった。 「す、すみません」  胸がズキズキと痛い。  月森に否定されて苦しくなった理由がわからない。  もしかして俺は、深い意味を期待したんだろうか。  なんだそれ……意味がわからない……。  

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