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23 ただいま
キスの余韻で頭がぼうっとしている中、月森が落ちた二人分の鞄を拾い、俺の手を引いて会議室を出た。
俺の鞄は自分で持つよ、そう伝えても月森はただ微笑んでくる。
誰もいない静かな廊下に響く俺たちの足音は速かった。
エレベーターを降りると、月森は名残惜しそうに俺の手をそっと離した。その瞬間寂しさが込み上げ、俺は外気で冷える手を握りしめた。月森の手の温もりがもう恋しい……。
月森の家までの距離がこんなに長く感じたのは初めてだった。いつもなら賑やかに聞こえる車の音や人々のざわめきが、今は何も聞こえない。うるさいくらいの自分の鼓動以外、何も聞こえない。
一分一秒でも早く家に帰って、この気持ちを確かめ合いたい。俺たちの気持ちは、たぶん同じだ。
すぐ近くに月森のアパートが見えてきて、俺たちはさらに急ぎ足になった。
アパートの入口をくぐると再び月森が俺の手を握り、やばいくらいに胸が高鳴る。
心臓が痛い。もう本当に……重症だ。
やっとドアの前にたどり着いた。
月森が鍵を開けようとして手間取り、鍵が手から滑り落ちる。「あぁもう……っ」と慌てて拾うその姿を見て、月森も緊張してるんだな、と思わず笑い声が漏れた。
そんな俺を見て、月森がどこか力が抜けたように表情を崩す。
たぶん俺も月森も、ものすごく緊張してた。まだ心に混乱が残っていて、今にも夢から目覚めてしまいそうな、どこかもろく崩れそうな不安があった。
二人で目を見合わせて笑った。月森とこんなに穏やかに笑い合うのは久しぶりだ。
今度は落ち着いて鍵を開けた月森が、優しく俺を家の中に引き入れた。
「おかえりなさい、先輩」
「……ただいま、月森」
もうこの家に戻ってくることはないと思ってた。
たった一週間ぶりなのに、懐かしくて嬉しくて胸が温かくなる。
「先輩……」
月森が優しく俺を抱きしめた。
「月森……」
まだ夢の中にいるような気分。
月森に抱きしめられるなんて想像もしてなかった。
月森の腕の中は温かくて、優しく包まれる感じに酔いしれる。
本当に夢だったらどうしよう。もうこのまま時間が止まってしまえばいいのにな。
そんな幸せを感じていると、月森が言いづらそうにおずおずと口を開いた。
「あの……先輩、……林さんに連絡は……」
そうだった。林さんと約束があると伝えたままだった。
「ごめん。あれ、嘘」
月森の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめながら伝える。
「嘘……?」
「林さんには、はっきりと断ったんだ」
「……えっと、今日の食事を……ってことですか?」
「ううん。先週のも」
「え……っ? じゃああの日は……」
「まっすぐ家に帰ったよ」
「な……んだ……そうだったんだ。なんだ……よかった……っ」
はぁっと深く息をついて、痛いくらいに抱きしめられる。
「月森こそ……一目惚れの子は?」
「何もないですよ。ただ一緒に飲んだだけです。あの日は……もう先輩のことで頭がいっぱいで……俺飲みすぎてつぶれちゃったし」
そっか。あの泥酔は俺のせいだったのか。
月森は本当に俺が好きなんだと、じわじわと実感がわいてくる。
「月森」
「はい」
「キスしていい……?」
「それ、俺のセリフです」
月森の腕が少しだけ緩み、俺たちは見つめ合う。
気持ちを確かめ合うのに、もう言葉は必要なかった。
お互いに目を見ればわかる。俺たちは同じ気持ちだ。
幸せで心が震える。
どうしよう……すごい嬉しい。本当に幸せすぎる……。
俺は月森のうなじを引き寄せ、すぐに深く舌を絡めにいった。
「せ……んぱ……」
全身がビリビリとしびれる。舌を絡める濡れた音、熱い吐息、苦しいくらいの心臓の音、何もかもが俺の脳をドロドロに溶かしていく。
「……は……ぁっ、つきも……り……」
月森の瞳に熱がこもり、何度も何度も角度を変えながら激しいキスを繰り返した。
ゆっくりと唇を離して息を整えながら、俺は言葉をつむぐ。
「好きだよ、月森……」
「俺も……俺も好きです、大好きです……っ」
今にも泣きそうな表情で好きだと繰り返す月森が、愛おしくてたまらない。
もう離れた唇が寂しい。俺たちはどちらからともなく、また唇を合わせた。
思い出した記憶の食い違いなんて今はもうどうでもいい。
この夢みたいな時間を思う存分に味わいたい。後悔なんてしたくなかった。
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