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29 何もかもが愛おしい▶月森side ※

 俺がゴムを付け替えると、先輩は待ちきれないとでも言うように俺を抱きしめた。 「月森……来て」 「……っ、先輩っ」  言われるがまま、すぐに身体を繋げた。 「ぅ……あ……っ」  先輩の中はさっきよりうねっていて、吸い付くように俺を締め付けてきた。 「はぁ……っ、あっ、つき……もり……っ、すき……っ」 「俺も、好きですっ、大好きです、先輩っ」  何もかもが愛おしくて可愛くて、抱きながら何度も涙があふれた。 「あっ、ぁっ、うぅ……んっ……」  先輩は聞いたこともない高い声で鳴いてよがり、すがりつくように抱きついてくる。  キスをねだり、甘えるように頬を寄せ、耳元で「好き」とささやき、見つめ合うと幸せそうにはにかむ。  俺にこんな幸せがやってくるなんて想像もしていなかった。  好きです、先輩……大好きです。  前の厳しい先輩も、今の穏やかな先輩も、変わらず大好きです。  でも……もし記憶が戻ったら、きっとまた俺は振られるんだろう。そう考えると怖い。『考えないで』と言われたけれど、やっぱり怖い。  もう俺は、先輩を手放したくない。失いたくない。  記憶が戻ってしまったら……どうすればいいんだろう。 「つきもり……っ、んっ、あぁ……ッ!」 「くぅ……っ!」  いや、考えない。考えちゃだめだ。  俺は先輩を抱きしめて幸せの余韻に浸りながら、不安を胸の中に閉じ込めた。 「つきもり……すき……」  耳元でささやく先輩の『好き』が、どこか切なげに響く。  顔を上げると、先輩の瞳が優しく俺を見つめていて、気のせいかなとホッとした。 「先輩、大好きです」 「ん……大好き……つきもり……」 「ほんとにほんとに、大好きです」 「うん……俺もほんとに大好き……」  とろけた顔で微笑む先輩に安心しきって、俺は先輩の気持ちが見えていなかった。 「先輩……もうずっとそばにいてくださいね」  俺のその言葉に、先輩は、くしゃっと顔をゆがめて瞳いっぱいに涙をためた。 「……ずっと……そばにいたい……な……」  ハッとした。 『そばにいたい』でも『そばにいる』でもなく、先輩の『そばにいたいな』という言葉には深い意味が込められている。  その言葉の重みに胸が切なさで締め付けられた。 「先輩……」 「ん……つきもり……」  痛いくらいに、ぎゅっときつく抱きしめた。 「ずっとそばにいます。もう先輩は……俺のものですよ」 「……つきもり……あり、がと……」  先輩の記憶について考えるのは、もうやめよう。  今はこの幸せだけを考えていたい。  二人で見つめ合い、俺たちは求め合うようにまた唇を重ねた――――……           ◇     翌朝目覚めると、腕枕で抱きしめて眠ったはずの先輩の姿がなかった。  トイレかな、それとも朝食の準備?  昨夜は先輩のベッドで抱き合い、お風呂のあとは俺のベッドで一緒に眠った。そうだ、ここは俺のベッドだ。  そう思い出し、起き上がって部屋を見渡したけれど、キッチンに先輩はいなかった。  昨夜、立ち上がるのも困難な先輩を抱き上げてお風呂に入った。  夜食と言ってもいい時間に作り置きの夕飯をレンジで温めて食べ、まだおぼつかない足取りの先輩を支えてベッドに移動した。  あんな状態だったのに、一人で大丈夫かな。  心配になって、ベッドから降りて先輩を探す。  トイレ、洗面所、風呂場、どこにもいない。   先輩の部屋かなと足を向けた時、ちょうど先輩が部屋から出てきてホッと息をついた。  なんとなく不安がよぎり、こんなに狭い家の中を探してしまった。   「おはようございます、先輩。あの、ちゃんと歩けますか? 大丈夫?」  先輩はジャージの上下にランニングバッグを斜め掛けし、キャップを被っている。 「走り込みですか? 昨日は立つのもやっとだったのに。あんまり無理しないほうが……」  そこで違和感に気がついた。  先輩と目が合わない。ずっと俯いて顔を上げない先輩に、再び不安が襲う。 「せ、先輩」  完全に俺を無視して玄関に向かう先輩の腕を慌ててつかむと、力いっぱい振り払われた。 「離せ」  声を聞いてハッとした。  昨日までの先輩とは明らかに違う低い声。冷たい口調。  もしかして……まさか……。 「せ……先輩、記憶が……?」  キャップを目深にかぶった先輩は、俺を見ようともせずに言い放った。 「……っと最悪」 「……っ」  それ以上話もしたくないと言うように俺に背を向けて、ズンズンと玄関まで行き靴を履く。  先輩の怒りは背中からもわかるほどにじみ出ていて、部屋の空気まで重く感じさせた。 「せ……せんぱ……」  引き止めたいのにまともに声も出せず、先輩はドアの向こうに消えてしまった。  嘘……。  嘘だ……。  嘘だ……っ。  俺は愕然として膝から崩れ落ちた。  先輩を抱いた熱が、まだ全身に残っているのに……。  目を閉じれば、先輩の幸せそうな笑顔も、照れくさそうな表情も、瞳いっぱいに涙を浮かべた顔も鮮明に思い出せるのに……。  それなのに……。  俺を好きな先輩が……  消えてしまった……。    

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