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30 最悪だ

 最悪だ。  最悪だ、最悪だ、最悪だっ。    なんなんだ、この酔っ払いの千鳥足みたいなヨロヨロっぷりと重だるい腰は……っ。  マジでふざけんなっ。  俺はアパートの塀を思い切り拳で殴り、あまりの痛さにしゃがみ込んだ。   「痛ってぇ……クソ……!」    目が覚めたら月森の腕の中ってなんなんだっ。  なんで恋人繋ぎで寝てんだよっ。  月森は友達だろっ。後輩だろっ。  何やってんだ俺はっ。  ほんっとムカつくっ。ふざけんなっ。  何が一番腹が立つって……っ。  何もかも、全部覚えてる(・・・・・・)ってことだっ!  目覚めた時には記憶が戻ってた。  まるで昨日思い出せなかったちょっとした物忘れを、ふと思い出したようなそんな感覚。  その瞬間、月森とのあれこれに愕然とした。体内の血が全て失われたかのように全身が冷たく凍りついた。  とにかく月森から離れたい。今すぐ一人になりたい。  そう思い、家から飛び出した。  早くここから離れたい。  俺はふらふらと立ち上がり、目的もなく歩き始めた。  だいたいなんだよ、前の俺とか今の俺とか、マジ意味わかんねぇっ。  どっちだって俺は俺だろっ。  中二病かよっ。  馬鹿じゃねぇのかっ。  前の俺と今の俺を切り離して考えていた自分が、どれだけ馬鹿げていたか今ならわかる。  記憶を失っていた昨日までの自分が幼稚すぎて、恥ずかしくて死にそうだ。 『今の俺を見てほしい。前の俺のことなんて、もう忘れてほしい』 『万が一今の俺が消えたとしても、この気持ちだけは前の俺に託したい』 『月森の一番近くに行くことができた。前の俺よりも先。それが嬉しい』 『ずっと……そばにいたい……な……』  昨日までの自分の思考が耐えられない。まじでクソ恥ずい……っ。  記憶がないからって、なんであんな能天気でいられたんだ。  今までどれだけ苦労してきたと思ってる。  月森は友達だ。ずっと友達だ。友達でいなきゃ駄目なんだっ。  必死にそう言い聞かせてずっとやってきただろっ。  なに恋愛感情なんて育ててんだっっ!!  俺のクソ野郎っっ!!  こうしていくら毒づいても、昨夜のことが思い出されて顔がほてる。心臓が暴れる。  もう頭の中が月森でいっぱいで、感情があふれてこぼれそうだ。 「クソ……心臓痛てぇ……っ」  ほんと……今までの苦労が水の泡だ……っ。  俺は月森を失いたくない。一生友達としてそばにいたかった。  うっかり育ちそうな気持ちに何度も何度も蓋をして、硬い殻で閉じ込めてきた。  月森に好きだと伝えられたときは、正直気持ちが揺れた。感情の蓋が外れそうになった。  でも、俺は永遠の愛なんて信じてない。信じられるわけがない。  母さんはもう三度も結婚に失敗してる。彼氏の数も含めればもっとだ。誰かと付き合うたびに、いつも母さんは重すぎると言われて捨てられてきた。  見聞きするかぎり、俺は母さんが重いとは少しも思わない。そんな俺も、誰かを好きになれば重いんだろう。きっと俺も母さんと同じ未来が待っている。  だから俺は、いつか終わりがくるようなそんな薄っぺらい関係になんて、月森とは絶対になりたくなかった。  しかし、それならさっさと他に誰か見つけて……という気分にもならない。俺は『秋人』のせいで、ろくな恋愛ができない。恋愛どころか、人間不信がひどい。  俺に初恋と裏切りを教えた幼馴染の修也(しゅうや)のせいで。  自分がゲイだとはっきり悟ったのは、中二の冬休みだった。  いつもつるんでる修也は小学生の頃からの付き合いで、一緒にいるのが普通で当たり前で、独占欲がわくのもそのせいだろう、くらいに思っていた。  でもだんだんと、好きなのかもしれないと思うようになり、もしかして俺はゲイなのか? と疑問を持つようになった。  学校でクラスメイトを見渡しても、恋愛対象として好感が持てるのは女子ではなく男子だと感じる。背の高い男らしい男子に特にそう感じた。  中二の冬休み、友達を数人呼んで夜通しゲームをやり、皆で雑魚寝をした。  隣に寝ている修也が近すぎてドキドキが止まらない自分に、やっと修也への気持ちを自覚した。  やっぱり俺は……ゲイなんだな。  修也は男らしくてサバサバしていて明るく、皆に優しい男だった。  ただ、何かにつけてすぐに肩を組んできて、好きだと自覚してからは心臓に悪い。そのたびに顔が熱くなる。 「どうした陽樹、顔赤いぞ? 熱あんじゃね?」 「……ないよ。大丈夫」 「ほんとかよ」 「ほんとだって」  毎日、気持ちがバレないかとハラハラした。  中三の春、どうしても肩を組まれると意識してしまって耐えられなくなり、正直に話して控えてもらおうと決意した。  告白はしない。ゲイだと話して、過度なスキンシップをやめてもらおう。  きっと修也は、俺がゲイだと知っても何も変わらないはずだ。  俺はそう信じていた。 「……え、まじで言ってんの? 嘘だろ?」  いつも笑顔の修也が、わずかに嫌悪の表情を浮かべた。 「しゅ……修也」 「いや、悪い。お前を否定するつもりはねぇけど……ちょっと無理」  あまりのショックで愕然とした。  修也でさえこうなら、きっとこれが世間一般の普通の反応なんだろう……と理解した。  それからは距離を置かれて避けられるようになり、言わなければよかったと何度も後悔した。  ただ、修也は俺がゲイだということを誰にも話さなかった。ゲイであることを受け入れてもらえなかったのは悲しいけれど、修也はやっぱりいい奴だ。  

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