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37 心配してるだけだろ?
月森が戻ってこない。これは本当に熱を測りに行ったな。適当に誤魔化せばいいのに、真面目な月森らしい。
コーヒーでも入れてこようか、と席を立つ。月森の分も持ってこよう。
給湯室に行くと、林さんに偶然出くわした。
彼女はギクリと顔を強ばらせる。
そうか、俺の記憶が戻ったことはもう耳に入っているんだな。
「な……中村さん……あの……」
俺の知ってる素っ気ない林さんでも、記憶喪失の間の積極的な林さんでもない、どこかオドオドした彼女の様子。俺が告白を覚えているかどうか、分からなくて動揺しているんだろう。
ああ、そうだった。彼女は事故前の俺が苦手なんだったな。
仕事ができることを鼻にかけた感じが嫌いなんだっけ?
ツンケンした感じが嫌いなんだっけ?
どっちが彼女の言葉だったのかはわからんが。
「林さん」
「は、はい……」
「あの時は曖昧な理由で断って、悪かったね」
コーヒーを入れながら、何気ない感じで伝える。一度は終わった話だし、あまり深刻そうに話されても彼女も困るだろう。
すると、林さんがわずかに目を見開いた。
告白の記憶なんて残っていないほうがよかっただろうな。嫌いな相手でもあり、好きな相手でもあるなんて複雑すぎだ。覚えていてごめん、と言いたくなった。
彼女が事故前の俺を嫌いだったのは当然だ。誰も寄せ付けないよう、あえて嫌われるように振舞っていた。あれで好かれていたら逆に怖い。
記憶喪失だった間の本当の俺を好きになってくれたことは、素直に嬉しい。彼女が秋人目当てで声をかけてくる奴らとは違うと、あの日の目や表情、涙でちゃんとわかっている。元は感じの悪い男だとわかった上で、本気でぶつかってきてくれた彼女の気持ちは本当に嬉しかった。
人間不信はすぐには治らないから人前で笑顔を保つのは難しいが、林さんの前では何とか振る舞えた。俺を支えたいとまで言ってくれた彼女には、わずかでも笑顔を向けることができた。
すっかり板についた強気の俺は、月森のおかげで終わらせる決心ができた。
チームの人も言っていた、記憶喪失の時と足して二で割った感じだ。以前、林さんも『今と足して二で割った感じにならないかな?』と言っていたし、タイミングとしてはちょうどいい。
あれは精神的に疲れるとしみじみ感じたし、俺にはもう月森がいる。これからは気を張る必要はない。心のままに月森を愛することができる。本当に幸せで、自然と頬が緩む。
月森以外の前では強ばる顔も、彼女の前ではわずかにだが何とか笑顔を保っていられた。
「林さんの気持ち、すげぇ嬉しかったよ。本当に、ありがとね」
そう伝えると、彼女はさっきよりもさらに目を見開き、完全に固まった。
……さて、どうしようか。
告白を蒸し返すつもりはないが、曖昧だったからちゃんと伝えようと思い、この話を始めた。でも、それはたぶん自己満足でしかないな。
俺は首の後ろをかきながら少し悩み、結局伝えることに決めた。
「俺さ。すげぇ好きな奴がいるんだ」
「あ……」
「あの時はちゃんと答えられなくて、ほんとごめん」
「……い、いいえ」
と彼女は首を振る。
「……あの、ちゃんと振ってくれて……ありがとうございます」
「あ、いや、ちゃんと振るっつーか……」
失敗した。そういうつもりじゃなかったが……いや、そういうことになるのか。……なるよな。
「あの、大丈夫です。私のために伝えてくれたこと、ちゃんとわかってます」
「あーいや……その、ごめん」
曖昧なままにしておくよりは、伝えてよかったかな。
「あの……ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「記憶が戻っても穏やかな中村さんでいられるのは、その……好きな人のおかげですか?」
「……ああ、うん。そうだよ。その好きな奴のおかげで、いま笑っていられる」
「そうなんですね。よかった。中村さんが穏やかだと、ホッとします」
彼女の顔に温かい笑みが広がった。
「眉間のしわがないほうがずっと素敵です」
「しわ……?」
そう言われて眉間を撫でてみる。しわ……か。確かにあったかもしれないな。
「戻らないといいですね、しわ」
ちょっとだけからかうように彼女が言うから、俺も苦笑いで答えた。
「そうだな」
ずっと穏やかでいられたらいい。月森の隣で、ずっと笑っていたいと思う。
「林さんもコーヒー?」
「あ、はい」
彼女の分も入れて手渡すと、笑顔でお礼を言われた。
月森の分も入れて給湯室を出ようと振り向くと、長身の身体で出口をふさぐように月森が立っていた。
「月森」
「あ、じゃあ私はこれで」
「ああ、うん。じゃあ」
その会話を聞いて少し身体をずらした月森に、ぺこっと頭を下げて林さんが出て行く。
「月森のコーヒーも入れたぞ」
「……どうも……です」
その、口ごもった言い方に眉が寄る。
「なんだよ、どうした?」
「……別に……なにも」
なにもって顔じゃないだろ。
どこか沈んだ顔で元気がない。
さっきまで顔を赤らめて嬉しそうに笑ってたのにどうした?
「もしかして、マジで熱があったとか?」
「……いえ。ないです。元気です」
「じゃあなんだよ、どうした?」
「……大丈夫です。戻りましょう」
「大丈夫じゃねぇだろ」
いつもニコニコと笑顔の月森が、こんなに元気がないのは稀 だ。熱を出して寝込んだ時くらいだろ。いや、熱があったって笑顔だろ。
手に持っていたコーヒーをテーブルに置いて、月森の額に手を伸ばし熱を確認してみたが、確かに熱はなさそうだ。
「あの……本当に大丈夫です」
本当に大丈夫なら、お前は笑顔のはずだろ。
絶対に何かある。
どうして黙ってる。
「俺に隠し事とはいい度胸だな?」
「……な、何も……隠し事なんてないです」
「嘘つくな。何年お前と一緒にいると思ってんだ。なんで何も言わない? 俺はただ心配してるだけだろ?」
「……本当に……何も……」
「おい、いい加減にしろよ」
「……っ」
月森の隣でずっと笑っていたいと、あらためて思ったのはついさっきのことなのに。
「俺はお前の心配もできねぇのかよ」
月森が顔をゆがめてうつむき、黙り込む。
「なんなんだよ……クソ」
今までこんなことなかっただろ。
付き合った途端にこれか。
意味わかんねぇ。
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あと4話で完結予定です。
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