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4.距離
本番の記憶は、ところどころあやふやだ。
正直に言えば、イベント開始すぐの絢也たちの出番の時間帯には、まだ客もまばらで、フロアの床が見えるほどだった。そんなのは、高校1年の時に初めて組んだバンドでまだ右も左も分かっていなかった頃に出た小さなイベント以来だ。
それでも、謙虚に、そして大胆に、絢也たちは演奏した。
自分たちの縄張りではない場所で、客だって初めて見る自分たちを品定めをするような目で見ている中で、1人でも多くの人の心に残って欲しくて、一生懸命、ただ一生懸命に音を鳴らした。
自分たちは、確かに一歩を踏み出した。
その足跡を、確かに刻み付けた。
汗だくになりながら最後の曲が終わった瞬間、決して多くはない拍手の音に包まれながら、絢也はそう思った。
「今日ここにいる、『目撃者』の皆さん、どうか、今日がMr. Liarの記念すべき第一歩を踏み出した日であることを、覚えて帰ってください」
士郎が汗だくになりながら、最後に言い放ったMCだ。
絢也は、柄にもなく涙が出そうになった。
この半年あまり、自分だけで突っ走ってきたのではないかと不安に思うことがなかったわけではない。
士郎だけじゃない、直樹も、拓郎も、Mr. Liarを自分のバンドとして、それぞれが全身全霊でやり切ってくれたのが、顔を見れば分かった。
お世辞にも、爽やかでも明るくもない。
どちらか言えば、いやどちらかと言わなくても、自分の作る曲は暗くて攻撃的だと思う。
決して大衆向けじゃないことは、分かっていた。
それでも、聞いてくれたひとたちの心に、何かを残せれば。そしてそれが、自分たちのアイデンティティになれば。
そう思って、今日まで信じてやってきた。
それが、決して間違いじゃなかったと、フロアの人たちの笑顔に、そしてメンバー全員の表情に、言われた気がした。
「今日はみなさま、お疲れ様でした! イベントの成功を祝して、乾杯!」
Roninの清水に声をかけてもらい、絢也たちは打ち上げに参加していた。
「いやー、お疲れ! しかし安藤さんが太鼓判押すだけあるね! 僕らとジャンルは違うけど、みんなうまくてびっくりだ。最近の若い子はうまい子ばっかりだよ、僕らも負けてられないねえ」
「いや、清水さんめちゃくちゃすごかったっすよ。俺、今日みたいに短ければ全然大丈夫ですけど、長時間歌い続けてるとへばってきちゃうのが悩みで」
絢也の斜め向かいに座っている清水の横で、盛んに話しかけているのは士郎だ。
そのおっとりした印象からは想像もつかない、清水の圧倒的な声量と歌唱力にすっかりやられたらしく、目をキラキラさせて話を聞いている。
「んー、やっぱり地味だけど筋トレかなあ。ボーカリストは身体が勝負だから。まあ、高校生なら、これから身体ができてくると思うから、そこまでまだ悩まなくてもいいと思うけどねー」
「なるほどなぁ~。やっぱり筋トレかぁ~」
絢也は、ボーカリストではないから、発声のしかたとか、身体の作りかたとか、そういった話を士郎とすることはできない。
水を得た魚のように清水と楽しそうに話す士郎を、絢也は苦い気持ちで見ていた。
空のグラスがテーブルに並び、だいぶ腹もふくれてきた頃、締めの挨拶が聞こえてきた。
「このあとですが、2次会を企画しておりますので、行かれる方は私までお知らせください!」
——2次会か。士郎、行くのかな。
2次会はどうやらカラオケへ行くらしかった。
清水の歌声に惚れてた士郎だから、きっと行きたがるだろう。
なぜだか、それを見たくなくて、絢也は帰ることにした。
隣のテーブルに座っていた直樹と拓郎も他の出演者と意気投合していて、一緒に2次会へ行くようだったから、2人にはまた連絡するとだけ告げて、絢也は荷物をまとめて立ち上がる。
「俺、これで失礼しますんで。今日はお疲れ様でした」
清水へ、そして立ち上がった絢也に気づいて目線をよこした他の出演者たちへ目立たない程度に軽く頭を下げ、絢也は席を後にした。
当たり障りない笑顔で、言えたと思う。
士郎の視線も感じたけれど、目を合わせられなかった。
「おい、絢也! なんだよ、置いてくなよ」
絢也が今まさに店を出ようとしたとき、後ろから慌てた声が追いかけてきた。士郎だ。
「え? お前、清水さんと二次会行くんじゃないの?」
「なんで。絢也が帰るなら、俺も帰る!」
——なんだそれ。駄々っ子か。
意味不明な主張をする士郎を引きずるように店を出た絢也は、士郎と一緒なら別に早く帰る必要なんてないことに気付いて、駅へ向かう足が少し鈍る。
——でも、帰るって言って出てきちゃったしな……
そんな絢也の気持ちを知ってか知らずか、隣を歩く士郎の足取りは軽い。
「俺さあ、最初、ほんとにやれんのかなって、実は割と不安だったんだよね」
「え?」
突然そう話し始めた士郎に、絢也は頭ひとつ分上にある隣の横顔を見上げた。
「自信満々で直樹と拓郎引っ張ってきたけど、一緒にやるのはあれが初めてだったわけじゃん。それでコピーすっ飛ばしていきなりオリジナルなんて、正直、絶対無理だろって」
初めて聞く、士郎の言葉に、絢也は黙って先を促した。
「でも、そうだな、年明けたくらいからかな。なんか、もしかしたらやれんのかも、って思い始めた。歌詞考えるのも、だんだんコツみたいなのが分かってきた感じがしたし、直樹も拓郎も、最初しんどそうだったけど、だんだんアレンジの作業に慣れてきて、なんつーか、いい意味で開き直った感じになってさ。そっから、流れがすごく良くなったなって。で、今日、初めて人前でやって、いや、マジでめちゃくちゃ感動したんだよ、俺。俺ら、やれてるじゃん! って。半年前、みんなで必死こいて始めたことが、こうして今この瞬間、形になってるのが、俺、すげえ嬉しくてさ」
そう言いながら、士郎が少し鼻声になった。
「やべ、何語ってんの、俺」
照れ笑いをしながら、士郎は鼻をすすった。
「ていうか! 俺一番大事なこと言ってなかった。俺、絢也の音、好きなんだよ」
——おい、待て。
「俺ギター弾けないから専門的なことはわかんないけど、音の重さっていうの? 最初に絢也がスタジオで、めちゃくちゃゴリゴリのセッティングでギャン! って鳴らしたとき、うわ、たまんねえ、って思った。あと、メロの展開もさ、」
——だから、待てってば。
「なんかこう、グッとくるっていうかさ、すげえ、気持ちいいんだよ」
——やめろ。気持ちいい、とか言うな。
絢也は士郎の顔が見られず、完全に地面を見ながら歩いていた。
士郎の言葉に深い意味はない。
自分のギターを褒められただけだ。
それでも、その言葉を他の意味に捉えようと勝手にむくむく湧いてくる自分の邪な想像力に、絢也は必死で抗った。
「じゃあ、またなー」
先に電車を降りる絢也に、士郎が車内から手を振った。絢也も片手を上げてそれに応えて、改札に向かって歩き出した。
「やばいって……あんなの」
好き。気持ちいい。他の単語と切り離されて、それだけが士郎の声でリフレインする。
——次に顔合わせる時までには、忘れられるかな……
家へ向かって歩く絢也の足取りは、重かった。
4人とも、ライブ前はいろんな予定を犠牲にして練習に打ち込んでいたから、ライブ後はそれぞれが忙しくて、次に顔を合わせたのは、初めてのライブから1ヶ月後のことだった。
「あー、なんか久々だな」
「だな。ちょっと、リハビリしないと」
冗談を言い合いながら、それぞれがセッティングにかかる。
今日は、今後の予定を決めるために集まったという主旨の方が強いから、スタジオは短め。
曲もガチッとやるんじゃなくて、ジャムる感じで肩の力を抜いて遊んだ。
「なんかさー、あのライブ以降、俺、自分が見てきた世界ってすごい狭かったんだなって思ったわ」
「あ、それわかる。なんか、景色が変わったよな」
「1人でスタジオ入るまではできなかったけど、初めてめっちゃ真剣に家で練習してた」
「初めてかよ!」
いつものファミレスで、いつもより少し早い時間。
改めて、それぞれがライブの感想を言い合った。
絢也は、嬉しかった。
全員が、格段に成長している。
このメンバーなら、走り続けられる。
もう、孤独感に苦しまなくていい。
「次のライブ、決めようぜ」
「新曲、行っちゃう?」
「やだよ俺、まだこの前の曲だって反省点いっぱいあんのに!」
こうやって、全員でバンドを作っていける。
「まだ先だけどさ、俺らがそれなりに客を集められるようになったら、俺、デモ音源配りたいなと思ってんだよね」
「うわ、それいい」
「一応、目標は年内」
「意外にすぐだった」
絢也の提案に、場が盛り上がる。
「ライブと言えばさ、これ、どうかと思って」
士郎が一枚のチラシをテーブルに広げた。
市民ホールで行われる、音楽イベントの告知のようだ。
「10月か。ちょっと先だけど、いいんじゃね? ここ、市民ホールだろ。ハコじゃないのも面白そうだし、確かこれ、県外からも結構集まるんじゃなかったっけ」
「そうそう、イベントとしてはメジャーだから、いいかなって」
「なんか、こういうのに合わせてグッズとかも作れたらいいよな。ステッカーとか、そんなんでいいから」
「確かそういうの、安くやれるとこあったぜ。前のバンドで一回作ろうってなって情報集めたことあったから、俺ちょっと探してみるわ」
——うん、これなら、いつも通りだ。
微妙に士郎に近づかないようにしていた絢也は、いつも通りの距離感で話せていることに、ほっとしていた。
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