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6.小さなウソ
「おっ前、一人だけ荷物多すぎなんだよ」
「しょうがねーじゃん、ドラマーなめんな?」
「いいから黙って荷物下ろせ」
「絢也ー、これどこ置くー?」
1週間後。
予定通り直樹と拓郎に運送屋をやらせて、全員でアパートに荷物を運び込んだ。
部屋はちょうど4つあったから、1人1部屋。
ジャンケンの結果、1部屋だけあった和室は拓郎になった。
「なんか、和室ってだけでばーちゃんち感すごい」
「アハハ、なんかそれ分かる」
荷物を運び込んだあとは、リビングで同居のルールを話し合った。
室内ではアンプは絶対繋がない。
拓郎も叩いていいのは雑誌まで。
練習したかったらスタジオに行くこと。
食事は各自で取る。
冷蔵庫に入れるものには名前を書いておくこと。
光熱費は毎月割り勘で、絢也が徴収する。
風呂とトイレは週に1回、交代で掃除。
「あと、基本的に外部の人間連れ込み禁止。女はもちろん、知り合いもだめ」
「えー、だめかー」
「多分これから知り合いとか増えてくだろうから、そういうことしたくなるだろうとは思う。けど、俺ら4人全員の知り合いはいいけど、個別に呼んで騒いでたら、お互いイライラするの目に見えてるから。そういうので要らんストレス溜めたくない」
素っ気なく言い放つ絢也に、他の3人は肩を竦めて同意した。
——女、は俺は関係ねーけど。
直樹とか拓郎の女、も正直絢也にはどうでも良かった。
煩くて眠れないのはごめんだったけど、それ以上の感情はない。
ただ、士郎の女、だけは。
気配だけで、気が狂う自信があった。
——たぶん、いや絶対、彼女、いるだろ。
士郎の女事情なんて知りたくもなかったけど、ライブのたびに、士郎の前に陣取ってる常連の女の子たちの存在は知っていた。
何より士郎の魅力は、絢也が一番よく分かっていた。
士郎に惚れる女の気持ちなんて、絢也には痛いくらいわかっていた。
だから、見たくないものは、視界に入れない。
度量狭すぎだろうと自分でも思ったけれど、いつかは笑って祝福してやらなければならない日が来ることは分かっているけれど、それは、少なくとも今じゃない。
だから、少しでも、時間稼ぎがしたかった。
「ただいまー」
4人の同居生活が始まって、2週間。
この2週間はそれぞれが東京での暮らしに慣れるので精一杯だった。
バイト先も探さなければならないし、まず何がどこにあるのか把握するところから始めなければならない。
絢也も慣れないPHSを駆使し、地元を出る前に紹介してもらっていた音楽関係者に片っぱしから連絡を取って回って、出られそうなイベントやライブハウスの情報を入手した。
「お、絢也いたんだ。ちょっとさー、見てよこれ。原宿行ってきたんだけどさ、これ!」
帰ってきたのは、士郎だった。
リビングのソファをでコーヒーを飲みながら雑誌を読んでいた絢也に気づいた士郎は、手に持っていた袋をゴソゴソと探ると、中から黒い塊を取り出した。
広げたのを見ると、どうやらロングジャケットらしい。
一見無地に見えたが、よく見ると生地に織り模様が入っており、スタンドカラーからフロントにずらっと並んだボタンも光に透けると虹色に光る。
結構凝った作りだ。
腰でやや絞られ、裾に向かって緩やかに広がるシルエットは、布地が贅沢に使われ、よく広がるだろうなと思わせた。
「これさあー、見た瞬間一目惚れ。キンセンカのさあ、椿 さんが去年のツアーのファイナルで着てたロングジャケットみたいなのがずっと欲しかったんだよ、俺」
——そう言えば、士郎去年のあの頃ずっとそれ言ってたっけ。
「ライブで着たら絶対カッケーと思わねえ?」
「うん。お前、タッパあるし似合うよそういうの」
「だろー? ちょっと下も合わせて着てみよーかな」
自室に引っ込んだ士郎は、程なくして着替えて出てきた。
下は、ぴったりとした光沢のあるスキニーに履き替えている。
「……おおー」
「どう?」
士郎がその場でくるっと回って見せた。士郎の動きに合わせて、裾がふわっと広がる。
「……いいんじゃね」
「えー何その反応。絢也冷たーい。もっと褒めてー」
絢也のぶっきらぼうな反応に、士郎が膨れっ面をする。
本音を言えば、めちゃくちゃ似合っていた。
元々背が高くて痩せ形の士郎だ。
くるぶしまである丈のジャケットは、まるで士郎のために作られたようにぴったりで、スタイルの良さを際立たせていた。
実家が美容室の士郎はいつも家で髪を切ってもらっていたが、家を出る前に最後に切ってから少し伸びた黒髪が、スタンドカラーに触れて柔らかそうに跳ねている。
バンドに誘った1年半前から比べても、士郎はまた少し背が伸び、表情もいつの間にか大人びて、ミーティングの時、あるいはライブ中、不意に見上げた先にあるその横顔に、ドキッとさせられることもしばしばだった。
そんな士郎の「ステージ仕様」の姿は、見ている方がクラクラしそうなほど圧倒的な魅力を放っていて、とても絢也には直視できなかった。
「いや、だから似合ってるって。女の子たち、卒倒だな」
後半は、言ってから自分で少し、傷ついた。
その痛みをごまかすみたいに、皮肉めいた笑顔を浮かべる。
それを見て、士郎がため息を一つつくと、口を開いた。
「絢也さあ、いつも俺のことそう言うけど、お前の人気も相当なもんよ? そりゃギター小僧も多いだろうけど、お前目当ての女の子たちもいっぱいいるじゃん。ライブのとき、いつも名前呼ばれてんの、聞こえてんだろ? お前、割と無視してるけど」
——そうじゃねえんだけどな。別に俺は、お前の人気を羨んでるんじゃない。
きっと、士郎はそんな自分の気持ちには気づかないだろう。
いや、むしろ、気づいてもらっては、困る。
絢也は、何も言わず、士郎に誤解させたままにすることにした。
また一つ、小さな嘘が、重なる。
絢也は、これまでも、幾度となく、士郎に小さな嘘をつき続けてきた。
今更、一つくらい増えたところで、大したことはない。
そんな絢也の心中を知る由もない士郎が続ける。
「お前、俺のこと背が高くて見栄えがするって褒めてくれっけどさ、俺から言わせてもらえば、俺はお前の身体にずっと憧れてんだぜ?」
「は?」
身体に憧れる、と士郎に言われ、絢也はあらぬ想像をしかかった。そうじゃない、と慌てて脳内から邪な妄想を振り払う。
「絢也、首太えし、骨格もがっしりしてるし、筋肉とかさ、オトコ! って感じなんだよ。でもムサいってより、どっちかっつーと男の色気って感じで、ずりいなって思うもん。バンド組んだときから思ってたけど、ここ最近でまたなんか増したよな」
「増した、って」
「うん。お前、俺らには何も言わねーけど、筋トレとかしてるだろ? ちょっと腹見せてみろよ」
言いながら、士郎はずんずん近づいてきて絢也の腕をソファに縫い付けた。
「ちょ、やめろって! こら、っ、シャツを! 捲るな!」
「いいじゃん、減るもんじゃねーし」
あっさりと絢也の素肌が空気にさらされる。
本気で暴れれば簡単に跳ね除けられたのに、なぜかそうはできなかった。
押し倒されるようなその体制に、絢也は狼狽え、赤面する。
「おー、すげー。めっちゃ綺麗に割れてんじゃん」
「ちょ! 触んな! 撫で回すな!」
「いやこれまじ、女子とかイチコロじゃね? いーなぁ、俺なんかどんだけやっても全然こんなになんねーのに」
絢也はそれどころではなかった。
ソファに身体を半分乗り上げた士郎の手が、腹の上、脇腹、とぺたぺた触れ、筋肉をなぞるように撫で回すのだ。
絢也の股間はとっくに反応していた。
それに士郎が気づいてしまったら、全て終わりだ。
やっとの思いで士郎の手を引き剥がすと、急いでシャツを引き下ろし、膝から滑り落ちていた雑誌を素早く拾い上げてさりげなく股間を隠した。
「ッほら、お前、裾、そんなんじゃシワになんぞ。今日買ってきたばっかだろーが」
「うわッ、やべ、ほんとだ」
絢也の指摘に士郎が慌ててソファから立ち上がる。
せっかく見つけたお気に入りがシワになる前に、と着替えに部屋へ消えた士郎をぼんやりと目で追ったあと、絢也はため息をつき、自分も部屋に引っ込むことにした。
もし士郎がリビングに出てきたら、まだ士郎が触れた感覚が肌に残ったまま、平気な顔で一緒にいられる気がしなかった。
「色気、ねえ……」
——女子とか、イチコロじゃね?
士郎の言葉がリフレインする。
どれだけ女の子から騒がれようが、絢也にはどうでもよかった。
もちろんファンは大事にする。
でも、それが男だろうが女だろうが、絢也にとってはそれ以上でも、それ以下でもなかった。
——俺としては、お前をイチコロにしたいんだけどな。
そう思った側から、絢也はその思いをかき消すように首を振った。
さっきのように、士郎が自ら自分に跨って、腰を振ってくれたら、なんて。
想像してしまうだけで、罪悪感で胃が重たくなる。
士郎が言っていたのは、あくまで女性が恋愛対象の男から見た、一般論だ。
士郎にとって、自分が魅力的だとか、そういう話じゃない。
そんなわけがない。
士郎は、女性が好きな、いわゆるノンケだ。その事実を自分に突きつける。
もう数え切れないくらい、そうしてきた。
それでもまだ、絢也の心はズキズキと痛んだ。
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