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7.前へ

 毎日が目まぐるしく過ぎていった。  生活が安定してから絢也が最初にしたのは、バンドのホームとなるスタジオを探すことだった。  4人でバイト代を出し合って買ったPCで、評判の良さそうなところを探してリストを作り、音作りに一番うるさい絢也が自分の足で確かめて回った。  ようやく決まったそこは、絢也たちの暮らすアパートから電車で4駅、駅からは少し遠いが歩けないことはない。  こぢんまりとしてはいたが、自身も元バンドマンだというオーナーのこだわりがそこここに表れた、痒いところに手の届くいいスタジオだった。  長い付き合いになるはずだから、オーナーとの相性は大事だ。  義武(よしたけ)という名のそのスタジオーのオーナーは、物静であまり口数は多くないが、音楽を愛しバンドを愛する、熱い魂の持ち主で、かつてよく通った地元のライブハウスのオーナーの安藤を絢也に思い出させた。  他のスタジオより会費は少し高いが、機材の手入れも行き届いており、すぐに絢也は気に入って申し込みをした。  スタジオには週に2回、月曜日と木曜日に入った。  「ゴミ捨ての日と同じにすれば忘れないじゃん」と拓郎が言い出して、なんとなくそのまま決まってしまったのである。  だが、土日は社会人バンドが多く利用するのか、予約が取りにくく料金も割増になるため、実際、平日の方がやりやすかった。  スタジオではオリジナルの曲に加えて、いろんなバンドのコピーもやった。  単純に気分転換の意味もあったし、それぞれの技量を上げていくにはいろんな曲をやることが一番効果的だった。  5月には、初めて都内でライブを行った。  それを足がかりに、千葉、神奈川と、今まで行ったことのないライブハウスでライブをやる機会が増えていった。  似たジャンルでインディーズデビューを果たしているバンドがどこから聞きつけたのかライブを見にきてくれて、可愛がってくれるようになった。  秋には、ごく狭い範囲だが、そのバンドのツアーの前座についていかせてもらうこともできた。  ライブのたびに、成長している、また一回り大きくなれている、という実感があった。  自分たちの音楽が、確実に世界を広げていると、絢也は手応えを感じていた。  どんどんと、自分たちに降りかかる出来事のスピードが上がっているようだった。  連鎖爆発のように、1つの出来事をきっかけに、次々と違うところで予想もしないことが起きる。  そのどれが成功につながるかわからないから、絢也は必死だった。  時間も金も、飛ぶように消えていった。  自分たちをどう見せていくか。バンドの方向性は何なのか。  見失わないようにするだけで、精一杯だった。  そんな中、少しずつ、見えない亀裂が生まれていった。  そのことを絢也が知ったのは、年が明けた1月そうそう、それぞれが帰省し、絢也と士郎だけが先に帰ってきた、東京では珍しく雪の降る朝だった。 「直樹のことなんだけど」  珍しく士郎から「話がある」と朝早くリビングに呼び出された絢也は、士郎の話を黙って聞いた。  直樹が最近暗い顔をするようになっていたことには、絢也も気づいていないわけではなかった。  ただ、それ以上に、全てが忙し過ぎた。  月に何本もライブをこなし、年末には新曲のデモテープも完成させ、暇さえあればバンドの認知を上げる方法を考えていた。  だが、それが、直樹を追い詰めていたことには、絢也は気づいていなかった。 「お前みたいに、バンドに全部を捧げられないって。あいつ、こっちきてから、たまに俺に相談してきてたんだよ。もちろんバンドで食っていきたいって思ってたから一緒に東京に来たんだし、その気持ちは変わってないけど、正直、キツイって。あいつの場合、時間よりも金のことじゃないかな。スタジオ代、ライブの参加費用、交通費、衣装代、なんだかんだ結構かかるじゃん」  士郎の言う通りだった。  バンドをやるには金がかかる。  どこかのレーベルに所属していればまだしも、駆け出しも駆け出しだった絢也たちはその費用のほぼ全額を自分たちで賄わなければならない。  ただでさえ物価の高い東京で、バイト代から活動にかかる費用を捻出すると、自分の好きに使える金はあまり残らないのが現実だった。  それが、直樹には苦痛だったのだろう。  士郎は続けた。 「その度に俺はなんとか前向きになってほしくて色々説得してたんだけど、昨日、直樹から電話がかかってきてさ。やっぱり自分は続けていけないと思うって、はっきり言われた」  絢也は、しばらく何も言うことができなかった。  そんなに直樹が悩んでいたことを知らなかったことに、ショックを受けた。  思えば、直樹はよく金のことでぼやいていた。  それをいつものことだと気にもとめなかった自分は、どれだけ何も見えていなかったのだろう。  だが、なぜそこまで思い詰める前に、一言でも相談してくれなかったのか、と怒りも湧いた。  そんな絢也の頭の中を見透かしたように、士郎が言葉を重ねる。 「お前には、言えなかったんだと思うよ。誰よりもバンドのことを考えて、練習も人一倍やって、金も時間もぜんぶバンドにつぎ込んで頑張ってるお前に、今更甘えたこと言えねえって、お前でも分かるだろ」  リビングに再び沈黙が訪れた。 「けど、来月ワンマンだぞ」  ぽつり、と絢也がこぼした。  2月に、Mr. Liar初となる、ワンマンライブが控えている。  それも、一昨年に絢也たちが初めてライブを行ったあのライブハウス、ルチアでのワンマンだ。  そのこと自体は昨年から決まっていたから、直樹も当然知っている。  そこに向けての新曲だって、一緒になって詰めていたはずだ。  なぜ、どうして。  そんな言葉だけが絢也の頭の中を駆け巡った。  そんな絢也に、士郎が苦笑いする。 「俺も想像でしかないけどさ、これ以上、先へ進むのが怖くなったんじゃねえかな。タイミングが遅れれば遅れるほど、言い出しづらくなるだろ。たぶん、ワンマンに穴を開けることはしねえと思う。けど、もう直樹には、そこが限界なんだよ。言いたかねえけど、決めるしかない」  何を、と言われなくても、絢也には分かっていた。  直樹の抜けた穴を埋める人間を探してバンドを続けるのか、一旦立ち止まるのか、それとも……活動することを止めるのか。  後ろ2つは、最初から絢也の選択肢にはなかった。  冷血と言われようとも、今立ち止まることはできない。  諦めるなんてもってのほか。  今は、ただがむしゃらに前へ進むしかない。  それが絢也の出した答えだった。  翌日、直樹と拓郎も帰ってきて、4人で話し合いをした。  来月のワンマンには出る、と直樹は言った。 「けど、それが終わったら、俺、地元に帰りたい」 「……わかった」  直樹が抜けたあとはどうするのか、なんて質問するものは誰もいなかった。  絢也に立ち止まる気なんかないことくらい、その場にいた全員が分かっていた。  ——これが直樹じゃなくて士郎だったら、俺は、どうしただろうか。  解散して各自が部屋に戻ったあと、絢也はひとり考えていた。  別に、メンバーの間に格差をつけるつもりはない。  誰もが同じくらい必死に走ってきたことは絢也にもわかっていた。  だが、自分のなかで、士郎だけが特別であることを、絢也は認めないわけにいかなかった。  同時に、絢也は恐れた。  その気持ちが、どこかで自分の足を引っ張ることにはならないかと。  仮に今回やめると言い出したのが直樹ではなく士郎だったら、自分は同じようにバンドを前に進める決断ができただろうか。  いつまでたっても答えは出なかった。  あの日、ステージで舞うように歌う士郎を見たときから、全てが始まっていたのだ。  士郎のいない世界を、絢也は想像することができなかった。  翌日から、絢也は心当たりのある人間に片っ端から連絡をとった。  直接の知人でなくても、腕に覚えのあるベーシストがいれば教えて欲しい、と頼んで回った。  だが、絢也の出した条件が厳しく、なかなか思うように候補は見つからなかった。  ベースの腕はもちろん、音楽に対する姿勢、人間性、メンバーとうまくやっていけそうかどうか、そのすべてを満たす人間でなければならない。  妥協するつもりはさらさらなかった絢也だが、空振りが続き、焦りだけが募っていった。  いたずらに時間が過ぎ、もうあと2週間でワンマンライブというところまで迫った週末の夜のことだった。  絢也のPHSに着信があった。  絢也の幼なじみで、中学まで一緒だった、啓介(けいすけ)だった。 「ごめん、ずいぶん前に、家に電話もらってたって、お袋からつい昨日聞いた。すっかり忘れてたって」  懐かしい声だった。  啓介とはバンドを組んだことはないし、直接対バンしたこともない。  だが、ベースをやっていたことと、誰からも好かれるその人柄を絢也は覚えていて、ダメもとで連絡していたのだ。  あいにく電話したときは留守だった啓介に、折り返し電話してくれるよう、絢也は啓介の母親に自分のPHSの番号を伝え、頼んでいた。 「うん、俺が絢也のお眼鏡にかなうかはわかんねえけど。とりあえず、いつ行けばいい?」  1週間後、待ち合わせ場所に現れた啓介は、中学の頃の絢也の記憶の中の啓介よりはだいぶ背が伸びて、でもその人のよさそうなニコニコ顔は当時のままだった。 「で、どれからやる?」  スタジオに入り、一通りセッティングが終わった絢也に、やや緊張した面持ちの啓介が声をかける。  課題曲は電話で話した際に伝えてあった。 「何でもいいよ、好きなやつからで」 「わ、わかった」  啓介が、真剣な顔でベースを構える。  緊張からか最初はミスを連発していたが、次第にリラックスしてくると、演奏はどんどん滑らかになっていった。 「お前、弾けんじゃん」  少し難しいかなと内心思っていた曲も弾ききった啓介に、絢也は少し驚いていた。 「うん、だってめちゃくちゃ練習したもん、俺」  啓介が少し照れたように笑った。  聞けば、絢也と電話で話した翌日から今日までの7日間、毎日、バイトと食事と寝る時間以外のほとんどを練習にあてていたという。 「決まり。お前、俺んとこ来いよ」 「え、マジで?」 「当たり前だろ。こっちは冗談言ってる暇なんかねえんだよ」 「そっか、来週末だっけ、ワンマンライブ」 「そうだよ。直樹がその次の火曜に引っ越すから、悪いけどお前には直樹が使ってた部屋を使ってもらう。あ、ひとり暮らしできる金があれば別」 「さすがにそれは無理」 「んじゃ、再来週の水曜以降で引越しな」 「りょーかい」  久しぶりに、自分と同じ空気の中で育ってきた人間と話す気やすさと安心感を、絢也は噛み締めていた。  啓介なら、士郎とも拓郎ともうまくやれるだろう。  自分の要求するクオリティも、今の啓介ならこなせる。  何より、バンドに対する啓介の姿勢こそ、絢也が何よりも求めていたものだった。  初めてのワンマン、そして直樹の最後となるステージ。  また一つ、バンドは前に進むのだ。いや、進めてみせる。  絢也は心の中で、自分に言い聞かせた。

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