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13.本当のこと
絢也は慌てて携帯を掴んだ。
表示を確認すると、あのバーのママ、キョウちゃんからだ。
時間からして、店じまいをしたところだろうか。
こんな時間になんだというのだろう。
胸をざわつかせながら、絢也は応答ボタンを押した。
「もしもし?」
「ちょっと、絢也くん? 大変なの! 士郎くんが!」
電話の向こうから、割れんばかりの音量でキョウちゃんの声が炸裂した。
「ちょっとママ、落ち着いて。士郎がどうしたって?」
「倒れてるのよ! 道に! まさか死んでないわよね、大きい怪我はないみたいだけど、ああ、どうしたらいいのこれ」
「! 士郎が? すぐ行くから、場所教えて! あとこの電話切ったらすぐ救急車呼んで!」
おろおろと取り乱すキョウちゃんから場所を聞き出すと、バーから程近い、繁華街の路上だということだった。
店じまいをしたキョウちゃんが家へ帰ろうとした途中で、偶然見つけたのだという。
絢也は財布と携帯を掴むと部屋を飛び出し、車のエンジンをかけて、夜明け前の街へ走り出した。
目的地へ近づくと、すでに救急車が到着しており、救急隊員に囲まれ担架に乗せられた士郎が目に入ってきた。
心臓が早鐘を打つ。
少しの間だと絢也は近くに車を停め、走り寄った。
士郎は紙のように真っ白な顔色で、目を瞑ったままだ。
「すみません、俺、こいつの友人です。士郎は……?」
「ああ、発見者のこの方からお話は聞いています。応急処置を施しましたが意識が戻りませんので、これから救急搬送させていただきます」
「死んではいないんですよね?」
「はい、亡くなってはいません。ただ意識不明で昏睡状態ですね」
「わかりました……」
もう1人の救急隊員が病院と連絡がついたと、搬送先の病院を教えてくれた。
生きた心地がしないまま、絢也はサイレンを鳴らして走り出した救急車の後ろについて車を走らせた。
病院に着くと、救急外来から治療室へ回された士郎の処置が終わるまで、絢也は廊下で待つことになった。
1分が、1時間にも感じられた。
士郎は、なぜあの場所に倒れていたんだろうか。
誰の電話にも出なかったことと、関係があるんだろうか。
自分が、もっと早く電話していれば。
思えば、いつもそうだった。
もっと早くこうしていれば、ああしていれば。
いつも、自分は遅すぎる。
士郎を失うくらいなら、嫌われることなんか怖くなかったのに。
士郎のいない世界なんか、想像できなかったのに。今はすぐそこまで、それが忍び寄ってきている。
まだ初秋なのに、絢也の足は冷たくて、感覚がなくなっていた。
パタパタとこちらへ向かう足音で、絢也は目をあげた。
看護師の男性が絢也の方へ向かって歩いてきていた。
「お待たせしました。もう、意識も戻られてます。まだ激しい動きは禁物ですので、あまり大きな声を出したり感情的にならないよう、それだけ気をつけてください」
「わかりました、ありがとうございます」
意識が戻ったと聞かされて、最悪の事態を免れたことは理解したが、極度の緊張と疲労で頭も心もうまくまとまらない。
看護師に案内されるままに、絢也は病室のドアを開けた。
蛍光灯の白い灯りが照らす病室、その真ん中に置かれたベッドの上に、士郎が横たわっていた。
まだ顔色はひどかったが、搬送時に見た状態に比べれば大分マシにはなっている。
転んだときに怪我したのか、額と頬を覆うガーゼが痛々しい。
掛け布団の上に投げ出された左腕からは、点滴の管が繋がっている。
病室の入り口に現れた絢也を見て弱々しく笑う士郎に、絢也は安堵で足元から崩れ落ちそうになった。
「急性アル中だって。看護師のおばちゃんに、すっげえ、怒られちゃった」
「っ……俺も、怒りてえよ……」
「え……」
ヘラヘラと笑っていた士郎が、ベッドのそばに座った絢也の絞り出すような言葉に真顔になる。
「……俺だけじゃない、啓介も、拓郎も、お前に連絡つかないって、みんなで心配してたんだぞ……! なんで、何も言わずに、いきなり病院運ばれてんだよ、っ」
「お前……」
「死ぬかもしれなかったんだぞっ……!」
怒りながら、絢也は涙を流していた。
急性アルコール中毒は、重症であれば死に至る恐れがある。仮に命を取り止めても、転倒や酸欠による後遺症が残る可能性だって十分にあった。
本人は平然としているが、絢也は危うく士郎を失うところだったのだ。
「……俺さ。最後のインストの時、完全に声、出なくなってたの、お前、気付いてただろ」
士郎が天井を見つめたまま、ポツリと呟いた。
士郎が言ったことは事実だった。
なるべく無理のないキーの曲を選んだつもりだったが、それでも士郎は全然声が出ず、ごまかしながら歌い切ったもののかなり苦しいイベントになったのを覚えている。
案の定、その後ネット上では「士郎、調子悪そうだった」「この後の予定が何も発表されてないの、士郎の喉のせいだよね」という書き込みが散見された。
それを士郎が見たのかどうかは分からないが、本人にとって、歌えないということが相当な重圧になっていたことは容易に想像がついた。
「そこから休みに入ってさ、お前がスタジオの予定も入れないってことの意味を、考えてた。俺が、みんなの足を引っ張ってる……いつ歌えるようになるのかも分からない。だんだん、声が出るかどうか試すのも怖くなって、歌わない日が続いて。そしたら、だんだん、俺ってなんなんだろうって、思えてきた」
士郎は表情を変えずに淡々と話した。
「その頃からかな、毎日酒を飲み歩くようになったの。誰かと飲んで、馬鹿騒ぎしてれば、その間だけ、不安を忘れられた。でもさ、そうすると、どんどん飲んでないシラフの時間が怖くなるんだよ。正気に返って、歌えない、ただの肩書きだけのボーカリストの俺に向き合うのが怖かった。大袈裟だけど、先が見えないことがすっげえ怖かった。昨日は、もうどうなってもいいやって、飲みすぎてる自覚はあったけど、このまま死んでもいいって、なんか、そんな気持ちだった」
絢也の心の中は、怒りと悔しさと歯痒さが渦巻いて、混沌としていた。
言いたいことが喉につっかえて、うまく出てこなくて、もどかしくてたまらなかった。
「死んで、いいわけ、ねえだろ……!」
「絢、也……」
「お前は、全っ然分かってねえ。歌えなきゃ生きてる意味がない? ふざけんな。じゃあお前がいなくなったら、俺はどうすればいいわけ? あのなあ、バンドマンのお前じゃなくても、ボーカリストのシローじゃなくても、俺にはお前が必要なんだよ! お前がいない人生とか考えられねえんだよ! だから死んでもいいとか言うな!」
一度溢れ出た言葉は、気持ちを全部吐き出すまで止まらなかった。
涙があとからあとから頬を伝い落ちるのも構わず、半ば怒鳴るように言い切った絢也に、看護師が声をかけたものかと気遣わしげな目線を送る。
ここは病室だった、と我に返って小さくなった絢也に、士郎はなぜか嬉しそうに微笑んで、右手をゴソゴソと布団から出すと、絢也がベッドの手すりの上で握りしめていた拳にちょん、と指先で触れた。
「なんかさ、それって、告られてるみてえ」
「……!」
士郎に言われて、絢也も自分の口にした言葉の持つ意味にはたと気付き、真っ赤になった。
だが、言ってしまったものは言ってしまったもの。
それに、少なくとも士郎からは嫌悪の感情は感じられない。その証拠に、士郎の右手が、絢也の手に触れている。
士郎の指先は冷たいのに、触れた箇所は火傷しそうに熱くて、そこからどくどくと脈拍が暴れ出すようだった。
「っ、言わせんじゃねえよ、この鈍感野郎……!」
それだけ言うのが精一杯だった。
真っ赤になって俯いた絢也は、握りしめていた拳を緩めると、躊躇いがちに、士郎の指先に指を重ねて、包み込んだ。
士郎が手を引っ込めようとしたら、すぐに手を離そうと思っていた。
だが一向にその気配がないことに顔をあげた絢也は、こちらを見つめる士郎の、泣き笑いの表情に、また涙がこみ上げてくるのを止められなかった。
病室で、男2人が手を握り締めて泣いている光景はさぞかし異様だったろうが、今の絢也にそんなことにかまっている余裕は全くなかった。
初めて、士郎に嘘をつかなかった。
初めて、思っていたことを素直にぜんぶ、ぶちまけた。
ちょこんと触れた士郎の指先に勇気をもらって、初めて本音で向き合えた。
士郎は、何も言わなかった。何も聞かなかった。
絢也がこれまでついてきた嘘に気付いているのかどうかは分からない。
ただ、泣きながら笑って、絢也の手を握っていた。
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