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12.士郎の異変

 翌週、士郎は肩まであった髪をバッサリ短くしてきた。  深紅のメッシュを入れてイメージをガラッと変えたその姿に周囲は驚いたが、大変好評だった。  絢也だけが、士郎が髪の毛を切った理由になんとなく心当たりがある気がして、心が痛かった。  だが、感傷に浸っている暇はなかった。  年明けにはインディーズとはいえ初めてのアルバムリリースが控えており、そのための準備をライブと並行して行わなければならない。  インディーズ専門誌にも取り上げられるようになり、露出も増えていった。  ライブ、スタジオ、アルバム製作、その合間を縫って細切れに休みがあった。  もう、仲良し4人組のお遊びではない。  これは、れっきとした「仕事」だった。  絢也が一番それを意識していた。  絢也は音楽業界の仕組みについても、先輩バンドや、ホームにしているスタジオのオーナーである義武に聞いて学んでいた。  自分たちの音楽を流通させるには、何がベストなのか。  インディーズ、メジャー。プロダクション。  選択を間違えれば、自分たちのやりたいことが全て骨抜きにされかねない。  絢也の努力に残り3人も触発され、自然とそれぞれが意識して人脈を作るようになっていた。  かつての直樹のときのような失敗は繰り返したくない。  絢也にとって、バンド内での意識の統一は常に最優先事項だった。  そうして、アルバム、シングル、と立て続けにリリースしては、ツアーを行った。  翌年には、主催イベントを開催するまでになった。  ファンクラブも規模が拡大し、次の年には初めてファンクラブ限定ライブを行った。  そして、とうとう、絢也念願のメジャー契約が決まった。  年の初めにつながったメジャーレコードレーベルの関係者から話が進み、移籍が決まったのだ。  絢也にとって、一つの目標が実現する形だった。  Mr. Liarを結成してからちょうど6年目の、5月だった。  ——メジャーって、すげえ。  それが、絢也の感想だった。  まず、動く人と金の桁が違う。  スタジオもレコード会社が所有しているものを使わせてもらえる。  宣伝力も半端なく、自分が高校生の時に夢中になって読み漁っていた雑誌に、自分たちが載る日が、とうとうやってきた。  いわゆる「アーティスト写真」というものも、新しく撮った。  衣装はもちろんレコード会社が調達してくれる。  撮影にあたり、絢也は士郎、啓介、拓郎の顔を見て、ずいぶん顔つきが大人になったな、としみじみしてしまった。  そして、その頃から、絢也にはひとつ気がかりなことができていた。  士郎の体調だ。  もともと、あまりスタミナがある方ではなかったのは、分かっていた。  だが、ここのところ、ライブ後の打ち上げで、途中で帰ることが多くなっていることに、絢也は気づいていた。  そんな中、初の武道館公演決定という、バンドにとって一大事と言ってもいい出来事が起きた。  もちろん単独ではなく、複数のバンドが出演する中の一つとしての出演だったが、その決定はメンバー全員に、かつてないほどの高揚感と同時に、凄まじいプレッシャーを与えた。 「俺らが武道館って、なんかすげえな……」 「うん、ぶっちゃけ、俺まだ全然現実味ない」  その知らせがあった次のミーティング時に、思わず拓郎と啓介が漏らした言葉は、何も言わなかった絢也も思っていたことだった。  おそらく、士郎も同じ気持ちだっただろう。  テレビ局の開局記念として行われる企画だから、当然テレビでも放送される。  最新の、そして最高のMr. Liarを見せなくてはならない。  その思いは、何も言わなくても、4人全員が共有していた。  士郎の不調は、絢也だけが気づいているようだった。  普段は何一つ変わらない、いつもの絢也に見える。  だが、歌っている最中に何度か辛そうな表情を見せることが、絢也にはどうしても引っかかっていた。  ——このツアーが終わったら、少し休養期間が必要かもしれないな……  絢也はそう思っていた。  だが、その見込みは甘かったことを、すぐに絢也は思い知ることになった。  武道館公演は、ツアーの終盤、8月下旬に組み込まれていた。  当日昼過ぎにリハーサルを行うのは、他のライブと変わらない。その場所が武道館だというだけだ。  リハーサルでは、特に問題もなく、緊張でミスさえしなければ全てが順調に見えた。  そして、いよいよ本番。  テレビカメラも入り、楽屋のモニターで見ても客席はほぼ満員だ。  この緊張感は、初めてのライブの時を思い出す。  皆で輪になって立ち、無言で目線を交わし合い、頷いて、ステージへ上がった。  本番はあっという間だった。  客席に人が入った空間は音響がまるで違う。  必死に演奏するのが精一杯で、余裕なんかこれっぽっちもなかった。  客席までが遠くて、煽ってもうまく客席まで届いているのかもわからない。  士郎が何度も水を飲みに行っていたのだけが、鮮明に印象に残っている。  反省点だらけだった。  その夜の打ち上げに、士郎は最初だけ顔を出したが、疲れていると言ってすぐに帰ってしまった。  絢也はどうしても気にかかり、自分も半ばで適当な理由をつけて切り上げた。  士郎の携帯に電話をかける。  まっすぐ帰っていれば、家についている頃だ。 「……もしもし」  5コール目でようやく応答があった。 「士郎、お前、どうしたんだよ。最近、なんか変だぞ」 「……」  しばらくの間、沈黙が流れ、士郎が何かを話すかどうか考えあぐねているのが伝わってきた。  絢也は辛抱強く待った。 「……俺、声が出なくなってるんだ……」  衝撃の一言だった。  聞けば、春頃から不調は感じていたという。  高音で声が伸びない。  ライブの終盤になってくると、喉が苦しくなる。  シャウトすると喉が痛い。 「いろいろ、俺なりに調べて、自主練してたんだけど、全然良くならなくて。武道館ではなんとかしたくて、ここんとこ毎日歌い込みしてたら、余計に声が出なくなって。今日、本当最悪だった。ごめん……」  電話の向こうで、士郎は声を詰まらせていた。  相当辛かったのだろう。  士郎は内心舌打ちをした。  もっと早く、話を聞くべきだった。  そうしたら、ここまで士郎を追い詰めなくて、済んだのに。  だが、状況は厳しかった。  まだ、ツアーは終わっていない。  インストアイベントも何本か予定が入ってしまっている。 「士郎、残りの日程、大丈夫そうか。もしだめなら」 「いや、お客さん待ってるだろ。俺ら、行かなきゃダメだろ」  士郎の即答に、絢也はたまらない気持ちになった。  今、士郎が目の前にいなくてよかった。  いたら、抱きついてしまったかもしれない。  それでこそ、絢也が惚れたボーカリストだった。 「分かった。だけど、無理はすんな。インストアイベントは、歌う曲数減らしてもらうように俺が交渉する。それから、一緒に考えよう。だから、思い詰めんな」 「ほんと、ごめん……マジで、ありがと」  電話を切った士郎は、さっそく今後の予定を頭の中で立て始めた。  ツアーの残りの日程は、なんとか消化できた。  文字通り、消化と言うしかなかった。  絢也は士郎と話し合って、特に辛い曲はセットリストからはずし、士郎の喉を温存することを最優先にした。  啓介と拓郎にもかいつまんで話をし、了解を得た。  インストアイベントは、担当者と交渉し、歌は1曲だけにしてもらって、なんとか、無事に終えることができた。  予定をすべて消化したタイミングで、絢也はバンド始まって以来の、2ヶ月という長期の休養期間を設けることを決めた。  スタジオの予定もあえて入れなかった。  すべては、士郎の回復を待って、始めればいいと思っていた。  そのときまだ絢也は、士郎が絢也の想像をはるかに超えて思い詰めていたことに、全く気づいていなかった。  士郎とは、数日に一度、何気ないメールを送り合っていた。  あまりプレッシャーを感じて欲しくなかったから、あえて電話はしていなかった。  数日間連絡がなくても、特に心配していなかった。  それが、仇となった。  休養期間に入ってそろそろ1ヶ月経つかというある朝、啓介から電話があった。 「お前、最近士郎と連絡とった?」 「ああ、たまにメールはしてるけど。どうかしたか?」 「俺、士郎に漫画貸す約束しててさ。けど、電話したのに出ねーんだよあいつ」 「士郎だって忙しい時くらいあんだろ」 「いや、あいつ着信あったら絶対その日のうちに折り返してくんじゃん。けど、俺が電話してからもう丸1日たってんだよ。そんなこと、これまでなかったから、ちょっと気になってさ。お前も電話してみてくんない?」  忘れてたとか爆睡してたとかなら、そうと分かればそれでいいし、と言う啓介に、絢也は分かったと返事をして電話を切った。  なんとなく胸の中が騒つくのを無視するように、士郎の電話番号を探して、発信ボタンを押す。  5コール、6コール……応答がないまま、留守電に切り替わってしまった。  何かが変だ。絢也は直感でそう思った。  もともと電話好きの士郎である。誰の電話にも出ないのは何かがおかしい。  結局拓郎も巻き込んで全員で電話攻撃をしてみたが、誰の電話にも応答はなく、いくら待っても折り返しもかかってこなかった。  不安が募る。  単に、誰かと一緒で、携帯を放りっぱなしにしているとか、あるいは携帯を無くしたとか、壊したとか、そうであってくれればいい。  なぜ士郎の部屋の住所を聞いておかなかったのか、と今更歯軋りする。  知っていたら知っていたで、行ってしまいそうなのを抑えるのに苦労したに違いなかったのだが。  結局その晩になっても、士郎から連絡は来なかった。  絢也はいつ士郎から連絡があるかもしれないと、1時間おきに携帯をチェックしてしまい、結局眠れないまま朝を迎えた。 「……」  今日は今日で、予定がある。  ボーッとした頭を少しでも覚ますため、シャワーを浴びようと立ち上がった瞬間だった。  絢也の携帯から、着信を知らせるメロディが鳴った。

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