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11.カミングアウト
結局、そのバーには翌週ももう一度、今度は20歳になりたての士郎も連れて行った。
ママは何も言わなくても、士郎が絢也の話した相手だと気付いたようだった。
酔った士郎が「あ、俺ら、バンドやってるんっすよ」とあっさりバラしたおかげで、絢也の一生懸命考えた設定は水泡に帰したが、ママはニコニコ笑っていただけで、何も言わなかった。
2週間のオフが終わると、年末まではあっという間だった。
大晦日のカウントダウンライブを終えて、全員が無事20歳になって帰省した元旦は、それぞれが親戚で酒を飲まされまくったという報告メールが飛び交った。
その年は、ありがたいことに正月の時点で半年先まで予定が埋まっていた。
年末にリリースしたミニアルバムを提げて、名古屋、大阪、そして初の京都を含めたツアーの後は、また3ヶ月にわたるツアー、インストアイベント、ファーストシングルのリリース、イベントへの出演と、文字通り息をつく暇もなかった。
6月末のイベントが終わり訪れた、今年最初で最後のまとまった休み。
絢也たちは、この休みの間に、3年間続いてきた4人の共同生活を終わらせることにしていた。
その理由の一つには、安定してライブの予定が組めるようになり、次第に収益が上がるようになってきて、それぞれが一人暮らしをするだけの余裕が出てきたこと。
そしてもう一つには、4人での共同生活が単純に限界になってきていたことがあった。
士郎と拓郎はしょっちゅう言い争っていたし、絢也も啓介につい口煩くなってしまうことが増えた。
バンドのためにも、それぞれが自分の時間を持てたほうがいい。
絢也はそう判断し、4人はツアーの終わり頃から物件探しを始めていた。
最初に部屋が決まった拓郎を皮切りに、啓介、士郎、そして絢也の順番に、引越しを行った。
最後に部屋の引き渡しを行ったとき、絢也はこの3年間を思い出し、少し感傷的な気持ちになった。
——これで、士郎とも離れる。もう、リビングで鉢合わせすることも、なくなるんだ……
物件を探している最中、絢也はあえて士郎がどのあたりにアパートを借りるのか聞かないでいた。
もし知ってしまったら、自分もその近くにしてしまいそうだったから。
結果として、それまでのアパートから徒歩で行ける場所にした絢也と、スタジオのある繁華街の近くに決めた士郎は電車で4駅の距離になった。
——これで、オフの時にすれ違うこともあんまりなくなった、かな……
これでよかったんだ、と絢也は自分に言い聞かせた。
近くにいたって、想いが叶うわけじゃない。
引越し先でダンボールに囲まれながら食べたコンビニ弁当は、なぜか酷く味気なかった。
スタジオの合間を縫って荷物を片付けているだけで、結局休みは終わってしまった。
北陸を皮切りに、広島、兵庫を含めた全国ツアーの始まりだ。
最初の4日間は毎晩違う場所でライブがあり、昼間移動して、着いたらリハーサル、夜に本番、というタイトなスケジュールだった。
ツアー開始4日目。
ようやく明日は1日フリーという日の晩、ライブ後の打ち上げのときに、珍しく士郎が隣にやってきた。
「なあ、この後、ちょっと付き合ってくんない?」
「え? まあ、いいけど……」
打ち上げがお開きになった後、ホテルの売店で適当に酒とつまみを買って、士郎の部屋で飲み直すことになった。
「で、話ってなんだよ」
絢也がチューハイの缶を開けながら士郎に促した。
何を言い出すんだろう、と絢也はずっと考えていた。
まさか、バンドのことじゃないだろうな。
やめる、とか言い出すんじゃないよな。
恐ろしい想像に不安が募っていた。
「いや……俺さ、付き合ってた子、いたんだけどさ」
予想は完全に外れた。
さらに言えば、絢也にとって、全く心の準備をしていない話題だった。
「この前、全員で引っ越したじゃん。そのタイミングで、こっち呼ぼうと思ってたんだ。一緒に住もうって」
絢也は、なぜその話をわざわざ自分にするのか、士郎の意図がわからなかった。
ただ、聞いていて、心に鈍い痛みが走った。
「そしたらさ……あいつ、浮気してた」
「え」
「笑っちゃうよな。俺が、ずっとライブで留守にしてて、会いに行けなかった間に、あいつ、他の男作ってやがった。同棲の話を持ちかけたとき、一瞬あいつの顔が曇ったんだよ。なんかあるな、ってさすがに分かった。で、問い詰めたら、素直に認めたよ」
吐き出すように話す士郎の顔は苦しそうで、絢也は何も言葉をかけることができなかった。
俯く士郎の耳元を、肩まで伸びた髪の毛がさらさらと流れる。
「いろいろ言い訳されて、最後泣かれたけど、きっぱり別れた。なんか、呆気なかったよ。俺さ、馬鹿みたいに、ちゃんとバンドで食えるようになったら、こいつと結婚すんだろうな、とか、そんな先まで考えてた。なんなんだろうな。今、俺すげえ女性不信」
酔っているからだけではなくて、士郎の目が悔しそうに涙をにじませるのを、絢也は見ていられなかった。
「……俺、こういうとき上手いこととか言えないけど、でも、その女、大馬鹿だな」
ポツリとつぶやいた絢也に、士郎が目を丸くする。
「士郎はさ、めちゃくちゃいい男じゃん。それがわかんなかったその女が、大馬鹿」
言い切る絢也に、士郎は目を伏せ、しばらく手元を見つめていた。
やがて、士郎がゆっくりと口を開いた。
「そっか……なんか、そう言ってもらえると、救われるわ。もっとこまめに気にしてやればよかったとか、もっと頻繁に会いにいってればとか、そういうことばっかり考えてたから、俺」
寂しそうにさえ見える士郎の表情に、絢也はもどかしい思いでいっぱいだった。
そうじゃない。
お前は悪くない。
そう伝えたくて、絢也は一生懸命言葉を探した。
「わかんないけどさ、もしそうしてても、どっかの時点で、そいつは士郎を裏切ってたよ。そういうやつだったんだよ」
「……ははっ、なんか、お前ってさ、いいやつだよな。いや、いきなりこんなこと言うのアレだけど、俺、この話、啓介にも、拓郎にもできねえなと思ってて。分かってもらえねえってんじゃねえけど、絢也だから話せたんだと思う。ありがとな」
「いや、別に……」
絢也は、そう返すのが精一杯だった。
士郎の話からするに、士郎はその子と、上京する前の、高校生の頃から付き合っていたんだろう。
ファンの子たちに囲まれても、彼女のことだけを考えていた士郎の気持ちを裏切ったその女が、絢也には許せなかった。
だが、同時に、なぜかホッとしている自分もいて、頭の中は感情がぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
「……なあ、絢也は付き合ってるやつ、いねえの」
士郎が唐突に爆弾を投げ込んできた。
「ッゲホッゴホ」
驚いた拍子にむせた絢也に、士郎がティッシュを差し出す。
受け取って噴き出した酒を拭きながら、絢也はなんと返したものかと悩んだ。
「いや、言いたくねえならいいんだけど。そういや、お前からそういう話って、聞いたことねえなあと思って」
絢也の脳裏に、あのオカマバーのママ、キョウちゃんの話してくれたことが蘇る。
——いつか、士郎にもきちんと伝えて、それで、前に進みたいって、俺、思ったんだっけ……
だが、士郎とはこれからもバンドを続けて行く仲だ。
不用意に、お前が好きだなんて、口が裂けても言えない。
だけど、初めて自分のプライベートな部分を話してくれた士郎に、自分もそのくらいの深さで、話がしたいと思った。
深く息を吸い込んで、絢也は話を始めた。
「……俺さ、恋愛対象が、女じゃねえんだ」
士郎が何を思っているのか、チラッと伺ったその表情からは読み取れない。
絢也はチューハイの缶を見つめたまま、話を続けた。
「いわゆる、ゲイってやつ。男だけど、男を好きになるんだ。で、自慢じゃねえけど、今まで誰かと付き合ったことは、ない」
今度ははっきり士郎が驚いた顔をした。
「え、お前めっちゃモテそうなのに」
「モテるモテないで言えば、確かに声かけられることは多いよ」
「やっぱり」
「けど、なんつーのかな、結構、ゲイの世界って、身体から始まることとか、一夜限りとかが、多いから。俺、そういうのが嫌で、ずっと断ってる」
「……お前らしいな。そういう、誠実なとこ」
「真面目だって、不評だよ。面白くないってさ」
絢也は肩をすくめた。
「いや、そんな奴が彼氏だったら絶対幸せじゃん。それこそなんで、その良さがわかるやつがいねえんだろうな。絢也が彼氏だったら絶対幸せなのに」
「そう、かな……」
——残念ながら、そんな人が現れても、俺は断っちまうと思うけど。だって、俺には、士郎以外、考えられないから。
考え込んだ絢也に、士郎がふと口を開いた。
「なあ、お前、男が対象ならさ、俺もお前から見て、その、対象に入るわけ?」
「は?」
絢也は手の中の缶を取り落としそうになった。
予想もしない士郎の問いに、頭が一瞬真っ白になる。
次に湧いてきたのは、怒りとも悲しみともつかない、激しい感情だった。
「お前ね、冗談にしてももう少しまともなこと言えよ。お前が恋愛対象だったら、洒落にならねえじゃん。同じバンド内でそんなゴタゴタが起こるなんて最悪なこと、俺は絶対ごめんだからな。仮に俺がノンケでお前が女でも、同じバンドの人間を恋愛対象に入れることはないし、そもそもお前自体がノンケじゃん」
「ノンケ?」
「恋愛対象が女のやつのこと」
「ああ……」
「そう。ノンケは一時的に男に興味を持つことはあっても、最後は女に帰ってくから」
——だから、お前が男に興味持つかもなんて可能性、少しでも見せないでくれ。
「……なんか、お前はお前で、苦労してるんだな。なんか、悪いこと聞いた」
「いや……」
「あ、でも、変なこと聞いたのは悪かったけど、俺、別にお前がゲイだろうがなんだろうが、俺、別に気にしねえから。もちろん、誰かにこのこと言うつもりもねえし。だけど、話してくれたの、なんか嬉しかった。絢也のこういう話、俺、聞いたことなかったから。ありがとな」
士郎はへへっ、と照れ臭そうに笑うと、チューハイの残りを煽った。
——生まれて初めて、他人にこのこと、話したな……
士郎が気持ち悪がるかもしれないとか、ドン引きするかもしれないというリスクはあったのに、つい話してしまった。
相当酒の勢いに流されていたな、と絢也は今更、少し空恐ろしくなる。
それでも士郎との関係性が少しだけ深くなった気がして、嬉しいような、それでいて決して手の届かない寂しさも混じった、不思議な気持ちだった。
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