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23.男の嫉妬は醜いか
オフが明けて一発目のライブは、Mr. Liarが主催となり地元で行うイベントだった。
一昨年に初めて行ったそのイベント「ウソ800」は、地元の主力バンドが多数出演して大変好評を博した。
昨年も続けて行う予定だったが、士郎の喉のことがあり取りやめとなってしまったので、今年が待望の2回目となる。
今回の目玉は、かつてMr. Liarが初めてステージを踏んだときに主催として世話になった、Roninの出演だ。
前回は先方の都合が合わず見送りとなったのだが、今回はかなり前から士郎がぜひ出てほしいと打診していたこともあって、対バンが実現した。
「清水さんとまた同じステージに上がれるなんて、なんか俺、感慨深いわ~……」
「あれから7年かー。すげーな、ついこの前みてえ」
スタジオの休憩時間中。
士郎と拓郎の会話に、当時はまだ加入していなかった啓介がふんふんと頷いている。
他にも地元周辺の若手実力派バンドが揃っているから、見応えは十分なはずだ。
だが、Roninの出演決定はかなりの反響を呼び、チケットは早い段階から好調な売れ行きを見せていた。
絢也は、もちろんRoninとの共演を楽しみにはしていたが、少しだけチクチクとトゲのようなものが心に刺さるのを感じてもいた。
元凶は、士郎の浮かれ具合である。
もともと、駆け出しの頃にボーカリストとして士郎の憧れの存在であった清水だ。
成長した自分の姿を見せたいと思うのは、至極真っ当な感情だろう。
だが、どうしても絢也はそうして浮かれる士郎を見て、手放しで一緒に喜んでやる気になれなかった。
——俺も、大概心が狭えな……
士郎の目には、自分だけを映していたいなんて、どだい無理な話なのに。
足元のエフェクターボードをいじるフリをして、絢也はこっそりため息をついた。
そして迎えた当日。
チケットは完売し、会場は大入満員となった。
冬にもかかわらず、場内には熱気がムンムンとしている。
既存のファンも半分くらいはいるのだろうが、残りの半分はMr. Liarを初めて見るという子たちだから、ファンを増やす意味でも、このイベントは意義があった。
最初の方の出番の若手の子たちが、次々とステージを終えて楽屋へ引っ込んでくる。
バンドどうしの交流も兼ねていたから、主催の自分たちも含めて楽屋は全員一緒だ。
礼儀正しく挨拶してくる若い子たちとハイタッチする士郎の後ろ姿が、絢也にはかつて初めてステージを踏んだときの姿とダブって見えた。
いよいよ、Roninの番がやってきた。
さすがにベテランの彼らは、リハーサルの時から堂に入っていた。
袖からステージへ出て楽器を手に取るその仕草も、慣れたものだ。
照明が落ち、1曲目が始まった。
楽屋で7年ぶりに顔を合わせた時は、さすがに少し老けたなと感じたが、ステージではその時間の流れなどなかったかのように、メンバー全員が一気に若返って見える。
絢也までもが彼らの作り出すグルーヴにグイグイと引きずり込まれるのを感じていた。
——メジャーで契約して、ただただ大規模に音楽をやるってだけが道じゃないのかもな……
絢也は、上手く言葉にならない感情を胸に抱きながら、Roninの熟練したステージに見惚れていた。
「本日はお疲れ様でした! それでは、かんぱーい!」
士郎が音頭を取り、一斉にグラスがぶつかる音が響き渡る。
ライブは大盛況におわり、収益、首尾ともに大成功だった。
緊張がとけた若手が率先してグラスをあけていく。
拓郎と啓介はすでに若い連中に囲まれて質問攻めにされていた。
「おう、士郎くん、絢也くん、主催イベント、お疲れ様! イベントの、成功を祝してぇ、乾杯~!」
バンドごとに固まって座っていたのが次第にほどけてくるころ、清水が向こうからテーブルを移動してやってきた。
顔を見ると、だいぶ出来上がっているようだ。
「いやあ~まさかねえ、こうやって君らが主催イベントをやるまでになって、そのイベントに僕らが出られるなんてねえ。そりゃ僕らも歳を取るよなあ~なんて、さっきうちの連中とも話しててさあ~」
舞台でのエネルギッシュなパフォーマンスが嘘のように、相変わらずおっとりと話す清水に、士郎がとびきりの笑顔で相槌を打っている。
絢也は複雑な思いでグラスをあおった。
「しかし、士郎くんはすごい上手くなったよねえ。何ていうのかなあ、技術的にももちろんすごく高いところにいるんだけど、それだけじゃなくてねえ、なんだか、すごく色っぽくなったよね~」
「ゲホッ、ゲホゴホッ」
思いもかけない清水の言葉に、士郎がむせて目を白黒させている。
さっとおしぼりを差し出した絢也に目で礼をいいながら、士郎はひとしきり咳をした。
そんな士郎を、清水はニコニコ頷きながら見つめている。
——おい、おっさん。
絢也は、内心まったく穏やかではなかった。
このおっさん、何を言い出す気だ。まさか士郎に気があるんじゃないだろうな。
絢也はギリギリと奥歯を噛み締めた。
清水の左手には指輪が鈍く光っていたが、油断はならない。士郎にはどんな僅かな危険でも、近づけたくなかった。
「そう言えば、清水さん」
「おおっと、ごめんよ、電話だ」
絢也が話を逸らそうと口を挟んだタイミングで、清水がポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
そのまま立ち上がって席を外した清水のあとに、絢也とずっと話したがっていた他のバンドのギタリストがすぐさま入れ替わるように座ったため、清水とはそのあと結局最後まで話すことはなかった。
「はぁ~、疲れたぁあ」
「じゃあ、おやすみ~」
「ほーい」
「おやすみー」
その晩は市内のホテルに1泊し、翌朝東京へ帰ることになっていた。
地元なのにホテルに泊まるのは何だか変な気分だったが、これからはこういうことも増えていくのだろう。
絢也は何食わぬ顔で他のメンバーと部屋の前で解散し、荷物を置いたあと当たり前のように自分の部屋を出て士郎の部屋をノックした。
士郎の部屋は、廊下の突き当たり、一番奥の部屋だ。
そこから順番に士郎、絢也、啓介、拓郎と隣り合って部屋が予約されていた。
つまり、絢也が士郎の部屋に行けば、もともと角部屋である上に隣は空室となり、士郎の部屋は孤立する。
士郎の部屋に用事がない限りは、部屋の前を通る人間もいない。よほどの物音でなければ、聞かれる心配はなかった。
この部屋割りをしたスタッフに絢也は個人的に拍手を送りたいと心から思った。
「お疲れさん」
ノックのあと少し間があり、ガチャ、とドアが開いて士郎が顔を出した。
絢也の顔を見ると、士郎は疲れと呆れが混ざり合ったような顔になり、小声で絢也に文句を言った。
「お前さあ、今日くらい大人しく寝ろよ!」
「いーや、そういうわけにはいかねえ」
「なんだよ、なんか怒ってんの? まあいいや、廊下で言い合ってても他の部屋に聞こえるし、とりあえず入れよ」
肩を竦めて士郎が身体をよけ、絢也が部屋に滑り込んだ。
「水か茶かなんか飲むか? さすがに酒はない」
「ああ、水くれ。俺ももう酒はいい」
若手のピッチにつられて、少し飲みすぎた自覚はあった。
たった4、5歳の違いが、少し眩しかった瞬間だった。
「で、絢也くんは何をそんなにご立腹なんですか」
部屋に備え付けのミネラルウォーターを、ペットボトルごと士郎が絢也に差し出す。
絢也が受け取ると、士郎も絢也と並んでベッドに腰かけた。
「お前、あのおっさんに狙われてんぞ」
「はぁ?」
手にしたミネラルウォーターを半分近く一気に飲み干し、ボソッとつぶやいた絢也の言葉に、士郎が目を丸くした。
ついで、ケラケラと笑い出す。
「え、おっさんって、清水さん? いや、いくら何でも絢也、それは深読みしすぎだって! ないない、それはない」
言いながら、笑いすぎて士郎が咳き込んだ。
「いーや、あのおっさん、絶対絢也のことやらしい目で見てた」
絢也が半目になって、士郎を見やる。
その顔つきに、咳から立ち直った士郎が今度はため息をついた。
「お前ねー……」
もう一つ、ため息。
「まあ、もうこれが絢也の標準装備だと思うことにするけどさ」
士郎の手が絢也からペットボトルを取り上げ、テーブルに置いた。
そのまま、士郎の唇が絢也のそれに重なる。
ちゅ、くちゅ、と濡れた音が静かなホテルの部屋に響いた。
「俺が、こんなこと清水さんにされたら、その場で殴るから大丈夫」
どうだか、と言いかけて、絢也は言葉を飲み込んだ。
士郎を怒らせることが目的でこの部屋に来たのではない。
「とにかく、お前はめちゃくちゃ色気振りまいてんだから、その辺自覚しろって」
「わーかってるよ、俺だって男なんだから、なんかあっても自衛できますー」
「なんかあってからじゃ遅いだろうが、バカ」
「バカって何だよ、バカって!」
結局怒らせてしまったので、絢也は士郎の騒ぐ口を自分の口で塞いで黙らせた。
抵抗していた士郎も、絢也にぺろりと唇を舐められると、クタリと身体から力を抜いておとなしくなる。
「も、今日は疲れてんだから、そんッなに、できねえかん、なッ」
ちゅ、ちゅ、と角度を変えてしつこく繰り返される口付けの合間に、士郎が絢也を牽制する。
だが、それを聞ける絢也ではなかった。
「……、ふ、っん……」
ギラついた瞳で首筋にかじりつく絢也に、士郎は観念して瞳を閉じた。
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