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エピローグ
エピローグ
「ん……セオ?」
ふわ、と頬に何かが触れた気がして、カイは薄らと瞼を開いた。
「すまない、起こしたな」
「……もう、行くのか?」
触れたのは、セオの唇だったみたいだ。
身を起こすと、背を支えてくれたセオがもう一度、今度は唇にキスをくれる。
もっと、と続きを強請りそうになって、カイは伸ばしかけた手を引っ込めた。
伸ばした手をセオが振りほどくことはないだろうけれど、そのせいで彼の仕事に影響を及ぼすことはカイの本意ではない。なにより、欲張ったせいで今日の仕事に支障をきたすのは自分だって同じだ。
もう明日を怖がる関係でもないのだし、欲張りになるのは互いに翌日が休みの日で良いだろう。
アーチ窓から入る光は暖かいが、まだ朝日が昇ってそう時間は経っていないような気がする。
散々愛し合った日の朝は甘い倦怠感が全身を包み、正直このまま余韻に甘やかされて微睡んで過ごしたい。
セオだって同じだろうに、すでに身支度を整えた男に気怠さは少しも見られなかった。
立てた膝に、頬杖を突く。
結局、あの後ベッドでもう一回。今度こそカイがすると言ったのに、なんだかんだと誤魔化されて駄目だった。
じっくり時間を掛けて愛された分、疲労感は少ないものの、その……腹の奥に感じる名残りが、なんというかすごい。
気を抜くと、心からも体からも「まだ、愛足りてないです! もっと欲しいです!」ってクレームが来て、昨晩を反芻する切ない疼きに惚けてしまいそうになる。まったく、贅沢ものめ。
「ああ。今、会議に掛けてるプロジェクトが、もう少しで通りそうなんだ。少し早めに行って資料をまとめたい。カイに元気ももらったし、気合いを入れないと」
〝元気〟に含みを感じたが、目覚めたばかりでは残念ながら突っ込む気力は湧いてこない。カイの口から出てきたのは「んー」とどっちつかずのうなり声だけだ。
セオの目の下にあるクマは相変わらずで、若干薄くなったかな? って、それくらい。
でも、忙しそうにしながら、それでもセオは楽しそうだった。
目まぐるしく過ぎる日々を楽しんでいる。
アメジストの瞳は、今も変わらずキラキラと輝いている――あの日と同じように。
「……」
その眩さに目を細め、カイはぐっと伸びをした。悲観的には思わない。純粋にセオが楽しそうでよかったと思う。
「無理はすんなよ」
「ああ、もちろん。ありがとう。夜、迎えに行く」
「ん」
ちゅっともう一度触れるだけのキスをして、カイはセオを送り出すようにぽんと一つ背を叩いた。
(さーって、俺はどうしようかな)
このまま起きてしまうか、それとも二度寝をしようか。
立てた膝に顎を乗せ、ううんと思案していると、出て行ったはずのセオがまだ寝室の扉の前にいるのに気がついた。
「どうした?」
「いや、あの……」
行って、戻って。また、行って、戻って。
うろうろと不器用なステップを踏んだ男が、見るからに迷いを含みつつも、またカイの前に戻ってくる。
「なんだよ」
セオが腰を下ろすと、古い木製のベッドはぎっと音を立てて軋んだ。
すり、すり、とセオはしきりに親指と人差し指を擦り合わせている。
「セオ?」
「その……カイ」
そう言ったきり、セオは黙り込んでしまった。
二人の間を沈黙が流れる。
セオの親指と人差し指は止まることなく動いているから、この男がカイに何かを伝えようとして、必死に言葉を探しているのだろうということはだけは明白だ。そんなとき、カイは口を出さないと決めている。ただじっと、セオが口を開くのを待つ。
沈黙をたっぷりと堪能した頃、セオの口はようやく言葉を紡ぎ出した。
長い間沈黙をしていたにしては、そんなことを思わせない流暢な話しっぷりだった。
「一緒に住まないか」
「え」
「すぐじゃなくても良いんだ……本当に。ただ、俺はずっとカイと一緒にいたいから」
「いいよ」
「だから、将来的には――え?」
「いいって言った」
思いがけない誘いに、目を瞠ったのは一瞬だった。
すぐに了承するなんて、もっとよく考えた方が良いんじゃないか?
そう思う自分もいる。
でも、そう考えるよりも先に、口からYESの返事が飛び出していたのだ。
はっきり言って、価値観は全然合わない。
これからも、カイはセオに劣等感を抱くことが多くあると思う。
些細なことで、衝突もするんじゃないかと思う。
お互いに癇癪を起こして、もう一緒にいるのなんかごめんだって殴り合いの喧嘩をするかもしれない。
でも、それでも、カイはこの先の自分の時間がこの男と共にあっても良いと思った。
いや、共にありたいとそう思った。
転生してまで一緒にいたいと思うなんて、もうそんなの一生離れられる気がしない。
「カイ……!」
「あー、でも。条件がある」
ぱあっと顔を輝かせるセオの目の前に、カイは静かに人差し指を立てた。
「条件?」
そう。こればっかりは譲れない条件だ。
絶対絶対、考慮して欲しい重大で重要な条件。
セオの左の手を取り、ぎゅっと繋いでカイは口を開く。
「お前と一緒なら場所はどこでもいいけど……」
じぃっと見つめた先、同じように見つめ返してくれる紫色の宝石は何を言われるのかと緊張に揺れ、男らしく張り出した喉の膨らみがごくりと上下に震えた。
「――住むなら絶対、平屋が良い」
やっぱりまだ、高いところは苦手なんだ。と肩を竦めれば、セオは一瞬ぽかんとした後、喜びにふにゃりと緩んでしまった頬を引き締めるように「んんっ」と照れ隠しの咳払いをする。そして、真剣な顔で頷き、右手でカイを抱き締めた。
頬に、頬が触れる。愛しく頬を寄せ合って、カイはじっと男の返事を待った。
「ああ。二人が住みやすい、特別な家を建てよう」
そう言ったときのセオが、どんな表情をしていたかはわからない。
でも、ずっと繋がっていた手は冷たくても優しかったし、耳元で聞こえる声はアーチ窓から差し込む日差しのようにあたたかかった。
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