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第2話

「で、ここでさっきの"提案"の話に戻るけど」 「え。あ、はい」  慌てて俺は先輩の方へと視線を戻した。  戻しながらも、意識は変わらずストーカーの方を向いたままだ。そのせいか、放った声は随分と間が抜けたものになった。不審がられるかと思いきや、藤なんとか先輩は先ほどと全く変わらない、穏やかで人好きのしそうな笑顔を浮かべている。  そのまま、 「篠山くんはさ、世界が滅亡してほしいって思う?」 などと、物騒極まりない言葉を囁いてきた。  なるほど、彼の目的は宗教勧誘だったか。実に分かりやすい。この手の誘いは昨年にも五回ほど、大学の前やらイベント会場など、折に触れてはやられた記憶がある。よっぽど俺は救われたそうな面をしているんだろう。  よし、とりあえずこっちの問題を片付けよう。  俺は息を吸い、吐いてから言った。 「え、普通に嫌ですね……」  一瞬で、空気が凍るのが分かる。  いや、それは正しくない。空気を凍らせてしまったんじゃないか、と言ってから気づいた。何か弁明すべきだろうか。考えあぐねていると、後ろのストーカーが再びこちらへ向かって歩き始めたため、そちらに意識を取られる。  一歩ずつ近づいてくる彼は、なぜか足音を立てていなかった。ストーカーとしての嗜みというやつなのか、とぼんやり考えつつ、せっかくの機会だからと俺はこちらへ歩みを進める彼を全力で凝視した。今は生憎の夜だが、まだ宵のうちだから薄暗い程度で済んでいる。おかげで難なく彼の見た目を確認できた。  彼は俺より背が高く、肌は白い。髪はさらりとしていて細めの黒髪。そして前髪をセンターで分けている。これらは今までも何度も見てきた彼の特徴だ。しかし視力の悪い俺には顔つきなどの細かい部分までは見えていなかったため、ついついそちらを注視してしまう。  斜め上がりの眉に、やや垂れている目。着ている服は黒無地のマウンテンパーカーか。なんだ、案外と優男風だ──などと思ったところで、瞳の色が紫だと気づいてぎょっとする。  コスプレか何かでなければありえない色合いじゃないか。これは……俺は逃げ出すべきなんじゃ? と、脳の冷静な部分が囁く。なのに紫の瞳がこちらの視線とかち合ったのに気づけば、心臓の音がドグ、ドグ、とまた重い音を立てて鳴り出した。彼の視線は真っ直ぐに俺を見ていた。何もかもを見落とさないと言わんばかりの強いまなざしに、どうしていいか分からなくなる。  俺の意識を引き戻したのは、 「嫌、かあ」 と呟く残念そうな藤なんとか先輩の声だった。  そうだ、俺は勧誘されていたのを雑に断ったんだった。そして弁明もまだ何もしていない。でも彼の様子を見るに逆上している訳でもないし、話せる人かもしれない。そうであってくれ、と願う俺の前で先輩は続ける。 「そっか。頼れる仲間になると思ったんだけどなあ。……あはっ、じゃあいいや。さよー」 なら、と言いながら先輩は右手を振り下ろす。手の先がキラリと光るのが見え、嫌な予感がした。  けれど俺は、咄嗟に反応できずにその場に立ち尽くす。  その瞬間だった。俺の前に黒い影が飛び込んできたのは。 「──穿石(せんせき)」  凛とした低い声が響く。同時に、ビシッと何かを弾き返す音が鳴る。訳も分からずに目を凝らせば、ストーカーが俺を庇う格好で立っているのが視界に入った。  彼は飛びつく機会を伺うように腰を落とし、左腕を胸の辺りに掲げていた。正確には左腕の側面に付いた、黒くひし形の何かを彼は掲げているようだ。顔を覆えない程度の大きさのそれは滑らかで硬質な石のように見え、鈍く光っている。  なんだ、この状況。  そもそも彼は、どうやって今ここに立っているのか。十メートル程度は距離があったはずなのに。走り込んだくらいで間に合うものだろうか。  混乱する俺の目の前で、ストーカーと相対している先輩は笑う。 「うーわ、やっぱ来たんじゃん。ボロボットくん」  嘲るような語調で先輩が言った。彼は何が楽しいのか、右腕を横に大きくぐるんぐるんと回している。その指先から伸びる、数本の白い糸に似た物質──あれを先輩は俺に向かって振り下ろそうとしたらしい──も、浮きながら腕に伴って辺りを旋回した。  というか、さっきビシッと鳴った音の原因がこれなら、この糸は相当に危ないブツなのではないだろうか。それを操っている藤なんとか先輩もまた同じく、と思い至った俺は、彼の脳内の呼称を藤に格下げした。  そして庇ってくれたストーカー……本当になぜ庇ってくれたのだか分からないが、とにかく彼の呼称をストーカーさんに変えておく。 「相変わらずだねー、初めましてだけど。君の噂は度々聞いてるよ、ボロボットくん」  藤の挑発じみた笑いに、ストーカーさんは言葉を返さなかった。ただ視線を逸らさずに、黒い板を構えたままでいる。  俺は藤がストーカーさんをボロボットと呼ぶ意味が分からなくて、相変わらず藤の周りに漂っている糸もなんなのか分からず、ただ戸惑うしかなかった。 「うわ、反応しないタイプかー。つまんな」  溜め息を吐いた藤は、右腕を勢いよく振るった。すると先ほど伸びていたものと同じ糸が指先から放射状に溢れ出し、ぶわりと広がる。広がった糸は、鎌首をもたげる蛇のようにストーカーさんを取り囲んだ。 「これ、見た目はあんまカッコよくないんだけどさあ? 結構硬いよ。君の盾も砕け散っちゃうねー、あははっ!」 「……それを一般人に振るったんだ、貴様は」  "穿石"と言っていたときより冷たく、低い声で彼が返す。返答があったと見るや、ぱあっと藤の顔が明るくなった。 「あれー。君って案外ロボットでもないね! なんだ。イズのあだ名のセンスは好きだけど、観察眼は大したことないのかなあ」 「つまり、ボロボットの由来はロボット、ってことですか」  あまりに気になってしまい、俺は口を挟む。すると藤は予想外だと言わんばかりに目を丸くし、間の抜けた声を出す。 「ええっ。君、状況分かってる? まあいいか、どうせどっちも殺すしなー」 と言い放った藤は、いまさらに俺の存在を思い出したかのように、ストーカーさんに突きつけている波打つ糸の幾本かの先をこちらへと向けた。

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