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4 憧れの君へと近づく方法2

「そう、それです! なんか俺の中のマドンナのイメージがそのまま井ノ上で、気になるっていうか……それで友達になりたいと思ってたんですけどなかなか話しかける隙がなくて。同じ病院にいるってわかったから思い切ってきたんです!」  作中では一言も発しないどころか、主人公と接点が全くないのに、妙に印象に残る登場人物として有名な女性にイメージが似ていると言われるのは、悠人にとって心外だろうが、中西が彼に興味を持ち始めたのはそれがきっかけなのだからどうしようもない。  主人公が彼女を見た時に感じた、見ているのに香り立つ気持ちに近いものを中西も感じていた。見ているだけで、傍にいるだけで妙に胸が高揚するような、絶対に手に入らない宝石にわずかに触れられた、そんな気持ちだったのだろう。  だから余計に興味を持ち、彼が手にする本のタイトルを盗み見てしまっていたのかもしれない。 「君の中の悠人くんはそういうイメージだったんだ」  医師がにやにやした顔をする。 「別に変な意味じゃないですよっ!」 「えっ、変な意味ってなぁに? 私はそれが知りたいな」  いまいちピンと来ていない看護師まで悪ノリするように話しかけてくる。 「井ノ上が女に見えるとかそういうんじゃなくて……」  嘘が付けないので思っていることをまた口にしてしまい、大人たちがまた盛大に笑う。 「そりゃ、パッと見ても悠人くんは男の子にしか見えないわよ」 「君は面白いね。いやぁ気に入ったよ、あっははっは…ごほっっ」 「そんなに笑うことじゃないだろっ!」  今までの丁寧語が一瞬にして崩れてしまう。それ以前に、コーチにも顧問にも普通に喋っている中西だ、緊張の糸が解ければもう口調は友人に対するそれと変わらなくなってしまう。  なんとか話を逸らそうと悠人をちらりと見た。  騒がしかったのか、うっすらと目を開き始めている。 「あっ、井ノ上が目を覚ましました!」  ゆっくりと瞼を開ける悠人を見て、やっぱりマドンナにそっくりだと思い、つい顔がにやけてしまう。こんなにも間近に見たのは初めてだ。  本当に色が白く、綺麗な造りの顔をしている。まるで有名な彫刻家が作ったような、そんな感じだ。  可愛いのではない。  大きすぎない目もすっと通った鼻も、小さすぎず厚すぎない唇も、なにもかもが綺麗としか言いようがないパーツが、微調整を重ねて理想的なバランスで顔に配置されている。彼の性別が違っていたならきっと学校でそれこそマドンナとして持て囃されていたことだろう。  傍で悠人の顔を見たことに興奮する中西を、医師は診察があるからと部屋の外へと追い出す。  招き入れたのに追い出すとは何事かと普段だったら思っていたが、そんなことよりもこれから悠人と話ができると思うだけで気にならなかった。早く診察が終わるのを扉の外でじっと待つ。心なしか興奮し、顔が勝手に赤くなるが、中西は自分のことに気を回す余裕すらなかった。もう頭の中は悠人と話せることが嬉しくて仕方ない。  こんな気持ちは初めてだ。  憧れの芸能人に会ったような、その人と話せるとはしゃぐ女子高生の心持ちに似ていた。  ドキドキしたまま早く診察終われと心の中で願う。  静かな室内でどんな会話が繰り広げられているかも知らず、待てと言われ大人しく飼い主の言うことを聞く犬のように扉にべったりと背中を付けて待ち続けた。 「お待たせ」  扉が開き医師と看護師が出ていく。すれ違いざまになぜか医師が中西の肩をポンと叩き、看護師もクスクス笑いながらナースステーションへと戻っていく。そんな大人たちの反応など気にせず、「待て」を解かれた中西はスキップしそうな気持のまま病室に入った。そして気付く。その部屋にベッドが一つしかなく、ここがいわゆる個室であるということに。 「個室なんてスゲーな、井ノ上。俺初めて病院の個室に入ったよ」  気分が高揚しすぎて、ベッドの横にある椅子に腰かけながらそんなことを口走ってしまう。ベッドから上体を起き上がらせた悠人は、苦笑したように見えた。 「中西、なにか僕に用事でもあるの?」  話を向けられ、興奮したまま掛けていたカバンの中身を差し出した。 「実は井ノ上にお願いがあるんだ……頼む、勉強を教えてくれ!」 「はい?」  いつも穏やかな口調の悠人からは信じられないような音が発せられた。  驚くのも無理はないだろう。だって、今日初めて言葉を交わしたばかりなのだから。  でも、せっかくの機会を逃す気は全くなかった。何としても勉強を教えてもらわなければならない。ここは押して押して押しまくって、了承をもぎ取らないと。中西も悠人と近づきたくて必死になる。 「俺、スポーツ特待生から外れるんだ。だからある程度の成績を維持しないと退学になる! 頼む教えてくれ!」  そして友達になってくれとはまだ言い出せない。 「それは……無理だよ」 「でも井ノ上は勉強得意だろっ! 本当に困ってるんだ、頼む!」 「僕よりも医師たちや暇してる大学生に教えてもらったほうが解りやすいと思うよ」 「俺は井ノ上がいいんだ! 無理のない範囲でいいから! でないと本当に退学になっちゃうんだ」  まだ退学が決まったわけではない。だが勉強についていけずにいる今のままでは、成績不良で本当にそうなりかねなかった。 「……でも」 「井ノ上が暇な時だけでいいんだ。助けると思って頼むよ」  頭を下げながらパンッと両手を合わせる。もう彼に近づけるのならどんな粘りだって見せてやるという気持ちになっていた。  今までごり押しなどされたことがないのだろう、凄く困った顔をしているのはわかっていたが、引き下がれるものではなかった。せっかく仲良くなれる機会をふいにしたくない。憧れている存在なら尚のことだ。 「毎日とは言わないから、本当にちょっとの時間だけでいいからっ勉強を教えてください!」  人生でないくらい頭を下げ続けた。何度もお願いし、了承してくれるまで粘り続けた。 「……分かったよ。でも僕は教えるの下手だよ」 「ありがとう井ノ上! 本当に助かる! やったーーーー!」  やっと得た了承の言葉に舞い上がった。ここが病院だというのに、つい大声を上げてしまう。すぐさま病室の扉が開いた。 「ちょっと、静かにしなさいっ!」  年配の看護師の鋭い注意が入る。 「あっ……ごめんなさいっ!」 「だから、静かに喋りなさいって言ってるでしょ!」 「ごめんなさいっ!」 「……中西、普通の声も大きすぎるんだよ……ここじゃ勉強を教えられない」 「えっそんな!」 「今日は無理だけど、明日。カフェスペースで教えるよ。勉強道具一式持って、明日の14時に来て」  諦めたように的確な指示をする悠人に抱き着かんばかりにお礼を言った中西は、そのまま看護師によって病棟から叩き出された。

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