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14 馳せる気持ちと嫌がらせ1

 悠人とのデート。これを目標にひたすら勉強し続けた中西は、壁に貼ってある悠人が書いたスケジュールを何度も確認した。 「よし、数学は高一終わりだ!」  退院してからと言うもの、周囲が驚くほど勉強に集中できている。それまで全くと言って良いほど集中していなかった授業を、漏らさずノートに書き写しては、分からないところは先生に訊きまくった。  まだ高一の勉強を終わらせていないから分からないところだらけだが、特待生枠を抜けた中西に教師陣、説教をしつつも丁寧に教えてくれるので、なんとか付いていくことができた。  悠人に言われた本も頑張って読み、なんとなくだが歴史上の人物の動きなどもわかり始めた。ただ古語はやはり難しく、途中で役職が変わると呼び名も変わるので辟易するが、それでも吾妻鏡まで読むと本当に教科書に書いてあることがするりと理解できた。  今までは主要な歴史上の人物の名前すら覚えられずにいたが、物語になると苦もなく頭に入ってくるから不思議だ。 「やっぱ井ノ上ってすげーな」  相変わらずこっそりと悠人が読んでいる本をチェックしては後追いをしている。読む時間がないから、通学時間や風呂に浸かる時間に読むからなかなか追いつけないが、それでもいつか読んだ小説の話ができるようにと頑張っている。 『らしいな』  大好きな小説のタイトルを上げた時の悠人の反応が、少しだけ嬉しかった。馬鹿にするでも驚くでもなく、中西らしい好みだと言われたのが本当に嬉しい。同じ小説を読んでいるから出るその感想が、とにかく中西のやる気を起こさせた。 「えへへ……井ノ上も読んだんだ、あの本」  それだけで舞い上がってしまう。そこに登場しているマドンナが悠人に似ているのだと言いたいのをぐっと堪え、気持ちを反らすために問題集に集中してしまった。これが仲の良いクラスメイトなら思わず口にしてしまっただろう。さすがに本人を前にして言う勇気はなかった。 「知ったら絶対零度の冷たい目をされるからな」  正直、悠人の口からチームメイトの話が出るのは意外だった。クラスメイトの名前すら興味がなさそうだから、見返すためのスケジュールを組んで中西がその通りに進めていたら満足するのかと思った。  悠人に言わなかったが、夏休み明けから学校を休んでいる、らしい。病院と悠人の保護者からのクレームで、厳重注意としばらくの部活動禁止を言い渡されたようだが、その前から伸び悩み、大会に出場できなかったようだ。スランプに陥っているのは周囲にも伝わっていたが、脱するのは自分の力しかない。  部活動禁止になったのは中西と悠人が自分達に嫉妬したせいだと周囲に触れ回っているが、それを信じる者は少ないようだ。他の部員から彼らに用心するようメールが届いているが、中西は全く気にしなかった。  このまま学校を休み続けたら退学になるだろうが知ったことではない。  あそこまで悠人を馬鹿にしたのだ、許せるはずはないし、憐憫すら感じない。  今の中西にとって彼らは周囲を飛び回るハエに過ぎず、目標の邪魔をするなら徹底的に叩き潰すしかないと思っている。  なんとしても悠人と中間テスト明けの休みにデートをするんだ。  そのための資金も潤沢にある。  走り高跳びを始めてから自然に貯まっていった小遣いやお年玉が手つかずのまま貯金箱に入っている。ちょろりと数えただけで六桁近くあった。  どこにでも悠人を連れて行ける。 「そろそろどこに行くか話さないとな」  間もなく中間試験だ。デートをした後にみっともない結果を出したくないから必死で勉強をしているが、平均点を越せるかは怪しい。最下位でなければ良いくらいに考えてはいるが、できるなら悠人が目標としている数値を超したいと色気が出ている。 「そしたら少しは俺のこと、見てくれるかな?」  認めて貰いたい。少しでも早く。  もう飛ぶことができない中西には、勉強という方法でしか悠人に認めて貰えないのだ。  自分の気持ちに気づいたからには、好きな相手から羨望の眼差しを浴びたいと思うのが男心だ。 「羨望とか……無理だよなぁ井ノ上だもん」  自分よりもずっと勉強ができる悠人に追いつくことは難しいが、少しでも近づきたい。今の彼は、この間まで見つめていた空と同じだ。一センチでも近づきたいがために毎日死ぬほど努力しても苦にはならない。  頑張ればその分だけ結果が付いてくる。  一日一日のスコアに浮き沈みがあっても、いつか結果が大爆発したかのように伴ってくるものだ。中西はそれを経験で知っているから、がむしゃらになれた。  勉強が楽しいと思えたのも大きい。 「あー、早くデートしたいなぁ」  その日だけは絶対に勉強の話はしないようお願いしないと。純粋に楽しむ時間にして貰うのだ。近場のデートスポットの事前チェックも済んでいる。悠人がどこを言い出しても慌てないよう、準備もリサーチもした。  後の問題は悠人の体力だけ。  先日から市川が朝昼晩と食事時に必ず看護師が見届けるようにして少しずつではあるが食べる量が増えたと言っていた。一ヶ月でどこまで増やせるか分からないが、協力してくれるのは大変有り難い。  杉山も顔を合わせれば「デートできると良いねぇ」などとからかってくるが、基本協力的で助かっている。後は悠人の体調が良くなるのを待つだけ。市川が食事量が減っているとぼやいていたのを思い出す。しかも中西が退院してから病室から出かけることも少なくなりさらに筋力が減っているらしい。  体力が戻らなければ外出できる時間が少なくなる。ほんの少しだけで良い、悠人と二人で一緒にいる時間を延ばしたい。二人だけが知っている世界が少しでも多く欲しい。  中西にとってこの上ない贅沢な欲だ。  できれば、悠人の信頼を獲得したい。  友人としてのポジションを獲得したい。  贅沢だと分かっていても、望んでしまうのを止められない。恋人などと贅沢なことは言わない、せめて一番近い位置にいる人間になりたい。 「そのためにはまず井ノ上に追いつかないと」  中西はなんとしてもそのポジションを獲得するために問題集へと集中する。いままでずっと空ばかりを追いかけてきた目が、今はあの細い背中を追いかけている。  いつか隣に立って一緒に歩いて行けるような人間になりたい。  憧れは憧れのままにはしない。空と違って悠人は手を伸ばせば触れることができる。 「……あ、やばっ」  悠人のことを考えるとまたあそこが形を変えてしまう。もう習慣化してしまったとしか思えない。今日だって本を読むその綺麗な横顔を時折眺めながら同じ空間にいるだけでどうしようもなくテンションは上がるし、いつまでも見つめていたくなる。特に本を読むときの真剣な顔の中で目だけが輝いて小さな子供のようだ。文芸誌のどの作品を読んでいたのかは分からないが、よほど面白かったらしく、読み始めてから中西がじっと見つめても気づかないほど夢中になっていた。 (いつかそんな風に俺のこと見てくれたらなぁ)  願うがすぐに否定する。そんなことをされたらすぐにあそこが元気になってしまう。無防備に名前なんて呼ばれたら、場所なんて関係なく押し倒してしまいそうだ。恋愛どころか他人にすら興味が薄い悠人にそんなことをしたら、間違いなく嫌われる。絶対に病室立ち入り禁止になるだろうし、声をかけても返事をしてくれなくなる。 「……もっと自制心を養わないと! って、どうやって自制心強くするんだ?」  あまりにも部活一辺倒の生活が長く、何かを我慢することを知らない中西は、自分が不安でならなかった。それを吹っ切るために、とにかく今は勉強とばかりにシャープペンシルを動かし続けた。  時間が過ぎるのは早く、勉強と読書と悠人に会うだけですぐに一ヶ月は終わってしまった。  退院してから初めての中間試験。自分なりにベストを尽くしたつもりだが、それでも遅れた分はどうにもならないと空欄で出す問題は多数あって、地味に中西を落ち込ませた。 「もっとできると思ったのになぁ」  全教科を終えた瞬間、机に突っ伏した。  問題集がようやく全教科、高校一年を終えたばかりで二年二学期の中間テストで良い点数など叩き出せるはずもない。 「なんだよ中西。そんなに落ち込むなって」  前後の席のクラスメイトがさめざめと泣く中西を慰める。 「すっげー頑張ったのに……意味不明な問題あるとか、泣く」  計算が間違ったなどというレベルではない。何を出題されているのかが分からないのだ。まだ中間なのが救いだ。期末だったら目も当てられない。あんなに必死に悠人が教えてくれたのにと思うと顔向けできない。 「特待生だったんだし、しょうがないって。でも退院してからすっげー頑張ってるのみんな知ってるから」  そんな慰めはいらない。頑張って当たり前なのだ。クラスメイトが必死で勉強している横でずっと名前だけが書かれた白紙のテストを提出してきたのだから。もっと頑張らないと本当に悠人が言っていた平均点なんて取れない。 「もう終わったことなんだから泣くなって」  笑いながら頭を叩かれる。 「泣かないでいられるかよ……めちゃくちゃ勉強したのに」 「そういやお前、あの井ノ上から勉強を教えて貰ってたって本当か?」  悠人の名前にすぐさま顔を上げた。 「なんでそれ、知ってるの?」 「本当なのか。いやさ、陸上部の奴らがそんな話してるの耳にしたんだ」  耳にした、と言う割には表情が曇っている。 「……他になんか言ってた?」 「あー……」 「何でも良いから教えてくれ。誰がどんなことを言ってた?」  起き上がって顔を近づけてくる中西の勢いに押されて、クラスメイトがぼそぼそと聞きかじった内容を小声で口にした。 「中西が退学したくないから勉強をしているふりをして、裏で井ノ上の仲間に学校を脅させてるとか……怪我で引退したのが悔しくて陸上部に嫌がらせしてるとか……」 「なんだよそれ……」

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