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第8話 縮まらない距離
「ねえ、ルークはどう思う」
メイリールは肩の上で羽繕いをするルークに話しかけた。ディートハルトは毛皮やら骨の細工やらを街へ売りに、朝から出かけている。その間留守を預かったメイリールは暇を持て余し、大きな樹の枝に座って遠くを眺めていた。夏の間毎日照りつける太陽に晒されて硬くなった樹皮が、ちくちくと肌を刺激する。メイリールの問いかけに、ルークがちらっと主を見上げた。
「どう思うって言われてもなあ」
しゃがれた声で、ルークが言った。ルークをはじめとする守護烏は高位の魔族が従えることが多く、魔族同様、魔力を持たない種より遥かに長寿だ。実際、ルークもメイリールと同じくらいの年月を生きている。誰よりも長く一緒にいて、誰よりも自分のことをよく知っている、いわば兄弟のような、そんな存在だ。初めて経験する、訳の分からない胸の痛みを相談するには恰好の相手だった。
「メイはどうしたいわけ? ほんとのところ」
羽繕いを続けながら、というよりむしろその片手間にメイリールの相手をするルークだが、いつもと何ら変わらないその雑な対応がむしろ心地いい。何があっても態度を変えないルークは、どちらかというと感情のままに突っ走るタイプのメイリールとはいいコンビだった。
「どうしたいって、うーん……」
もっと、ディートハルトのことを知りたい。自分のことにも、興味を持って欲しい。もちろん、触れたいし、触れられたい。それくらいは、すぐに思いついた。ただ、それ以上のこととなると、自分でも見当がつかなくて、メイリールは黙り込んでしまった。見た目が好みで身体の相性が良ければなんとなく付き合ってみる、という関係しか知らなかったこれまでの自分と、今の自分とでは、立っている次元さえまるで違っているような気がする。自分は、ディートハルトとどうなりたいんだろうか。
——どうなりたい、って……
ディートハルトとどうにかなりたい、と思っているのは事実である。だが、それは意識に上るか上らぬうちにメイリールの羞恥心が耐えきれなくなり、口から悲鳴が出そうになって、メイリールは口を押さえて呻いた。顔が熱い。
「……」
ルークの生温い視線が頬に突き刺さる。お互い長い付き合いであり、多くを語らずとも相手の考えていることが手にとるように分かってしまうのが、今の場合は辛いところだ。やや行き過ぎた自分の感情を戒め、メイリールは気を取り直してもう一度考えながら、言葉を探した。
「ディートハルトの、いろんなことが知りたい……まずは、そこからかな」
だけど、とメイリールの声が萎む。
「そもそも、それすらどうやってすればいいのか、わかんないんだよ……」
正面切ってあれこれ詮索されるのを許すようなタイプには全く思えないし、かといってやんわり距離を縮めようとしても、今のところ全敗だ。
——どうしたら、ディートハルトに近づけるんだろうか……
頑なに心を閉ざす、その理由を知りたい。踏み込み過ぎたと分かったときの、一切の感情を無くしたような男の表情を思い出し、メイリールはまだ初秋だというのにぶるっと身体を震わせた。
そうして、表面上は当たり障りのない日々が過ぎていった。木々は色づき、また葉を落とし、あるいは豊かに実をつけて、それを目当てに動物たちが走り回る。メイリールたちもまた、来たる冬に備えてそうした植物の実や獣たちの肉を蓄えていった。
ディートハルトは、自分のことについて以外であれば、メイリールの質問に大抵は答えてくれるようになった。肉の保存の仕方、街で買ってきた道具などの使い方、森に生えている植物で食べられるものと毒のあるものの見分け方。自分も手伝うと言って聞かないメイリールに根負けした形で、作業も一緒に行ってくれるようになった。そうしてディートハルトと過ごす時間が、メイリールにとっては何よりかけがえのないものになっていた。だが、その一方で、メイリールはこの頃のディートハルトが自分を見る目に、時折ひどく遠くを見るような表情が浮かぶことが気にかかっていた。まるで、自分を通して自分ではない誰かを見ているような、想いの乗った眼差し。それについて、ディートハルトに問う勇気は、メイリールにはなかった。
——自分ができることって、何だろうか。
メイリールは考えていた。ディートハルトが何を思っているのかは分からない。だが、その眼差しがたたえる色を思うと、なぜかいてもたってもいられない気持ちになった。何か、自分にできることはないか。どんなことなら、ディートハルトの心を少しでも和らげることができるだろうか。
——今まで、してもらうことしか考えてこなかったもんな……
今更ながら、己の幼稚さを恥じる。誰かを喜ばせたくて何かをしたことなんて、記憶をさかのぼったら、子供のころルーヴストリヒトを追いかけ回していたときまで戻ってしまった。
——よく、その辺に生えてた花を摘んで、花束あげる! ってルーヴに渡してたな。懐かしい……
今思えば、ただやみくもに摘んだ花を押し付けていただけだったのに、ルーヴストリヒトはいつも、とても嬉しそうにしてくれた。かつて焦がれた笑顔を思うと、今も少しだけ胸が締め付けられる。だが、それ以上の感情がわいてこなくなっていることに、メイリールは少し驚いた。もう、自暴自棄になっていたことも思い出になり、そこに確かにあった吹き荒ぶ嵐のような感情はいつの間にか凪いで、過去のものになっていた。
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