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第9話 真夜中に見たもの

 翌日、メイリールは珍しく、ディートハルトと別行動をしていた。歩きながら、うろうろと視線を彷徨わせる。だいぶ歩き回って、そろそろ足が痛くなってきたころ、ようやくその目が、こんもりと群生した緑に止まった。背の高いものではメイリールの腰くらいまである茎に、紫色の細い花弁が放射状にのびた可憐な花がいくつもついている。鼻を近づけると、微かにみずみずしい香りがした。 「これにしよ」  誰に言うともなく声に出すと、メイリールはしゃがみこんで花を摘みはじめた。ルークはメイリールの肩から近くにあった木の枝に飛び移り、おもむろに羽繕いを開始する。五分もしないうちに、メイリールの手には十分すぎるくらいの紫の花が握られていた。自分に何ができるだろうと、ずっと考えていたメイリールだったが、結局、花を贈ること以外に良さそうな考えが浮かばなかったのだ。  ——そろそろ、ディートハルトも帰ってる頃かな……  街で手に入れてきた斧で、薪でも割っているだろうか。洞窟へ帰る足取りは心なしか重たくて、メイリールは自分が緊張していることを認めないわけにはいかなかった。なぜ花を? と聞かれたら、きっとうまく答えられない。やっぱり子供だな、と笑われるかもしれない。いや、それならまだしも、戸惑ったり、困ったりされたら、どうすればいいだろう……。考えれば考えるほど、やっぱりやめようか、何食わぬ顔で帰ろうか、と思いもした。だがそうやって迷っているうちに、見慣れた景色が見えてきて、引き返すこともできなくなってしまった。洞窟の外では、薪割りが終わったらしいディートハルトが汗を拭っている。草を踏む音でディートハルトがこちらに気づき、顔を上げた。視線がまずメイリールの顔に、そして手に持っている花へと移動して、ディートハルトがわずかに目を見開くのが見える。メイリールは、前に進みたがらない足を叱咤して、唾を飲み込んだ。 「あの……これ……」  ディートハルトの顔を直視できなくて、俯き加減にメイリールは花を持った方の手を差し出した。 「や、やる」  それしか言えなくて、ディートハルトの胸に花を押し付ける。反射的に受け取ったディートハルトが何かを言おうとしていたような気がしたが、メイリールはそれを振り切って洞窟の奥へと逃げ込んだ。  夕食どきになって、ようやく妙な緊張感も薄れ、また空腹には勝てなかったメイリールは、ディートハルトの起こした火のそばへと寄っていった。渡した花束は、洞窟の壁際、ディートハルトの私物がまとめてある側に、そっと立てかけてある。顔も見られず、何も言う隙も与えなかったから、その花をディートハルトがどんな思いで受け取ったのか、メイリールには分からないままだ。いつもと変わらない、夕食の光景。花のことは無かったように、当たり障りのない会話をいくつか交わす。頭の中にぐるぐると渦巻く感情を消化できないまま、メイリールは眠りについた。  ふと、意識が浮上していくのを感じ、メイリールはうっすらとまぶたを持ち上げた。目に入る空間は真っ暗で、時折洞窟の外の木々を風が渡る音と、夜行性の動物たちが走り抜けていく微かな音が聞こえてくる。まだ真夜中のようだ。なぜこんな変な時間に目が覚めたのか、いぶかしく思いながらメイリールが体の向きを変えてもう一度寝直そうとしたときだった。  ——……?  風の音とも、動物の立てる音とも違う、何か耳慣れない音を聞きつけて、眠りに落ちかけていたメイリールの意識が一気に引き戻される。音は洞窟の外から聞こえてくるようだった。メイリールは迷ったが、様子を見るだけだと自分に言い聞かせて、そっと起き上がった。  ——あれ、ディートハルトは……?  いつもなら、メイリールの寝ている奥の小部屋を出たところで寝ているはずのディートハルトの姿がない。ますます、胸のざわつきがひどくなる。警戒心を最大にして、いよいよ外へ出ようと首を伸ばしたメイリールの視界に、見慣れた手、そして地面に投げ出された足が飛び込んできた。そして、低く、啜り泣くような男の声も。  ——ディート、ハルト……? え……泣いて……?  メイリールは、雷に打たれたようにその場から動くことができなかった。幸い、ディートハルトの方はメイリールに気づいていないようである。洞窟の外の岩肌にもたれて座っているらしいディートハルトは、静かに涙を流しているようだった。その手には、昼間メイリールが押しつけた、今は少し萎れかかっている紫の花束が握られていた。  見てはいけないものを見たような気がした。決して自分の前では感情をあらわにしたことのないディートハルトだ。彼の、一番もろく、傷ついた部分を盗み見てしまったようで、猛烈な後ろめたさを感じたメイリールは、足音を立てないようにそっと寝床へと戻った。だが、寝ようとすればするほど、鮮烈に目に焼き付いたディートハルトの涙と、うめくような吐息が頭の中を離れなくて、さまざまな憶測が浮かんでは消える。メイリールがようやく寝入ったのと、ディートハルトが人知れず洞窟の中に戻ったのは、もう空も白み始めているころになってからだった。

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