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第1話 寂しい雨

 どれくらい歩いたのか。ふと空を見上げると重たい雲が自分にのしかかってきそうだ。灰色がかった空は今の自分の気持ちにぴったりだとタイガはまたあてもなくノロノロと歩き始めた。行く宛はない。ただ今日はこのまま家に帰りたくなかった。 1時間前…。  タイガは会社を後にし携帯を確認した。画面には恋人のカエデからの着信があった。この時間、彼からの着信はいつものことである。明日は週末なので二人の時間が作れる。その予定の確認だろうかとタイガは深く考えることもなく、いつも通りの気分でカエデに電話を掛けた。数回のコールの後、カエデが電話に出た。しかし、彼の様子はどこかしらおかしかった。 「タイガ…。好きな人ができたんだ…。ぼくは、その人のそばにいたい。」  幼い時から、タイガとカエデは長い時間を共にすごした。小柄なカエデは昔から女子に間違われることが多く、顔だちも穏やかで周りの人を笑顔にしてしまう不思議な魅力をもっていた。タイガもその魅力にはまった人間の一人だ。いつしかカエデを目で追うようになり、不器用ながらも彼に思いを伝えたら、カエデも同じように思ってくれていた。 なにもかもが通じ合っている。そう感じていた。ものの見方、考え方、感じ方、全てにおいてカエデとは共通することが多かった。一緒にいて居心地がいい。そんな幸せな時間はいつまでも、この先もずっと続くと思っていたのに…。 「タイガ。ごめん。ごめんね。」  タイガはカエデの最初の一言が衝撃的すぎて、その後のカエデの言葉があまり耳に入っていなかった。 「どうして?しかも電話でなんて…。カエデ、会って話し合おう。いまから会いに行くから。」 「今は会えないんだ。タイガ。本当にごめんなさい。」  なんの前触れもなく電話は切られた。タイガは携帯を呆然と見つめることしかできなかった。金縛りにあったようにカエデにかけ直すこともできない。カエデのことはよく知っている。こんな形をとるなんて、よっぽどのことがあったのだ。  カエデとのやり取りを頭の中でリフレインしながら、ただただ彷徨い歩き続けるタイガ。 しばらくすると鼻先に冷たさを感じた。雨が降り出したのだ。構わず歩き続けるが、雨足は次第に強くなってくる。天気まで自分に追い討ちをかけるのかと嫌気がさした。  あたりを見渡すとタイガは洒落た店が立ち並ぶ路地にいた。初めてくる場所だ。目を凝らしてみると、目の前に一際目を引く店があった。芸術家がデザインしたのか、様々な色で模様つけられた壁面を柔らかい照明が照らしている。店の外観の華やかさにタイガは意外にも興味をそそられた。 『desvío』 店の名は「寄り道」を意味する。  タイガの世界は今日まで仕事とカエデ中心に動いていた。しかしその世界は今しがた崩れ去った。毎日真っ直ぐ家に帰っても、タイガのことを気に掛け、寄り添ってくれる相手はもういない。寄り道をしてもなんの問題もない。 タイガは運命に導かれるように店のドアに手をかけた。

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