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第39話 縁

 こんなに...,こんなにつらいのか。初めて自分から求めた人に拒絶された。あの日からまともに食事をとれていない。ツバキとのキス。酒に酔い動揺したからといって、あんなことするべきじゃなかった。なんてバカなことをしたんだと、自分を呪ってばかりいた。 誰にも会いたくなかった。このままなにもせずに、ただただ時間が過ぎていけばいいと思っていた。 誰よりも早い時期から交際経験を重ねてきたカツラだが、失恋の経験は皆無だった。そのため普通の人ならあたりまえのように学習する他人からの拒絶に対する免疫がなかった。    そんなカツラには眠りも訪れてはくれない。楽しかった仕事も憂鬱だ。見知らぬ他人に愛想を振りまくことなど、今の自分には到底不可能だった。 体調不良を理由に仕事を休んで今日で二日目。このままでは遅かれ早かれクビになってしまうかもしれない。 ピンポーン。 誰か来たがカツラは無視した。 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。 「カツラ、いるんでしよ?」 ツバキ!なにをしに来た。カツラは固く瞼を閉じた。 「私の話、聞きたくない?」 「...。」 「タイガくんのことよ。」 カツラはタイガの名前に反応した。 ノロノロとベッドから這い出す。玄関に向かいドアを開けた。 「なに?」 「カツラ、ひどい顔してるわよ。」 誰のせいだとツバキを睨みつける。 「〇〇とのやり取りで『desvío』の店長に会ったら、カツラが体調不良で休んでるって言うから。」 そう言いながらツバキは勝手に部屋に入りソファーに腰を下ろした。 「もしかして、タイガくんとなにかあったの?」 相変わらず、ずけずけとものを言うツバキに虫酸が走る。 「早く話せ。」 「怖いわね。」 気分を取り直すようにツバキが話し始めた。 「私昔ね、タイガくん、見たことあるのよ。」 「え?」 「私の妹が初めてデートした男の子がタイガ君だった。」 「…。」 「妹はサクラっていうんだけど、昔は大人しすぎて奥手だったの。中学の時、友達に男の子を紹介しもらうことになって。」 「それがタイガ?」 カツラは突っ立って聞いていたが、話が長くなりそうなのでツバキの横に腰を下ろした。 「そう。妹はいつも私の影に隠れているような子で、姉としてはとても心配だったから様子をこっそり見に行ったの。相手がイケメンな男子でびっくりした。しかも超進学校じゃない。最初ここでタイガ君を見た時は「あれ?」って思ったの。どこかで会ったことあったかしらって。」 「出張後、またここで再会したときに思い出したの。サクラが惚れた彼に違いないって。」 「へぇ。そのサクラの無念をはらしたいのか?」  カツラはタイガが女性と付き合ったことはないと以前、『アイビー』で聞いていた。初めて真剣に付き合ったのは「カエデ」ただ一人だけだと。 「違うわよ。残念ながら、サクラとタイガ君がデートしたのは最初の一回だけよ。サクラは大人しすぎて、タイガ君を楽しませることはできなかったのね。それこそサクラの一目惚れだったらしいわ。彼、話し下手なサクラにもとても優しかったって。」 タイガらしい。誰にでも誠実で優しい。カツラは彼の太陽のような暖かい笑顔を思い出した。胸がズキズキと痛む。 「サクラはもう一度チャンスが欲しかったけど、それはなかった。タイガくんには別に大切な人ができたようだから。」 カツラは目を見開きツバキを見つめた。そこまで知っているのか? 「地元ではタイガくんの学校は有名よ。なんせ由緒ある学校なんだから。目立つ容姿の学生がいたらすぐに噂になるわ。といっても噂になっていたのは彼じゃないわよ。彼の隣にいた男子。天使みたいな子だったって。素直な人柄が雰囲気に出ていて。サクラはタイガ君のことが気になって、時々その学校に彼氏がいる友達について行っていたらしいの。そこでタイガ君がその天使君と一緒にいるのをよく見かけたそうよ。彼といるときのタイガ君、すごく笑うようになってて幸せそうだったって。そんな二人の姿を見て負けたなって。二人の間にはとても入れないと感じたそうよ。それで妹は失恋確定。」  カツラはタイガがカエデのことを愛おしそうに話していたのを思いだす。傍から見てもお似合いだと思うほど思い合っていたのか。カツラはタイガの心を奪ったまだ見ぬカエデに嫉妬する。 「サクラは元々素直でいい子だから、自分の好きな人に素敵な友達ができて喜んでいた。自分も頑張らないとって。天使君みたいに周りの人を笑顔にしたいと言っていたわ。それから努力して、サクラは今や人気者よ。」  ツバキから聞くカエデに対する印象は、カツラがタイガから聞いたカエデの印象と全く同じだった。だが、それだけでは彼女が自分にしたことの理由としては納得できない。 「今の話とお前が俺にしたこととどう繋がるんだ?」 「タイガ君とその天使君はあなたたちみたいな仲だったんじゃないの?彼がカツラの恋人と聞いてピンときたのよ。カツラ、今のままじゃ天使君に負けるわよ?」 「は?」 「格好つけて、本音をいつまでも隠していたらタイガ君に愛想つかされるって言ってるの。カツラ、彼の前ではすましてるものね。タイガ君にはっきり好きだって言ったことある?」  カツラはタイガと過ごした時間を思い出した。タイガに対して自分の気持ちをストレートに伝えたことはまだなかった。タイガの反応が怖くてずっと様子をうかがっていた。 「人を好きになることって格好悪いことばかりよ。惨めで。自分がどんどん嫌になる…。」 こいつにそんな経験があるのか?と思いながら言い返す。 「お前に言われたくない。」 「そうね。わたしもそれで失敗ばかりしている。だからカツラにはそんな思いはしてほしくないの。」 今日のツバキはやけにしおらしい。なにか思うところがあったのだろうか? 「タイガくんのことになるとテンパっちゃって。あんなカツラは初めて見たわ。全く気持ちのない私にまであんなことができるなんて。彼のこと、本当に好きなのね。」 ツバキは寂しそうに言って微笑んだ。  ツバキはカツラにそう伝えたが、本心は少し違っていた。実際ここ数日でカツラに異性として惹かれていた。やはりとても美しい男だ。ときめかないはずがない。しかも、お互い遠慮なくずばずばものを言う間柄だ。彼とキスをしたくなった。タイガではなく、女の自分を選んでほしかった。  他人に興味がないツバキは、カツラは自分に似ていると思っていた。お互い特別な存在は作らない。二人でこの先も変わらずにいくと思っていたら、カツラの前にタイガが現れた。ツバキは自分のものを横取りされたように感じた。彼女にとってタイガは面白くない存在なのだ。  妹のサクラは大人しく、いつも姉のツバキの影に隠れている子だった。しかし、タイガとの出会いでサクラは変わった。姉のツバキより目立つようになり、ツバキがサクラの影に隠れるようになった。 カツラもタイガと出会い変わってしまった。彼女はタイガが嫌いだった。  しかし、ツバキは今更そんなことを傷ついた友人に伝えようとは思わなかった。カツラが自分とのキスにあれほど嫌悪感を抱くとは。ツバキはタイガに完敗したのだ。 「あのキスのせいでタイガに振られた。タイガに見られたんだ。」 「えっ!それは本当にごめんなさい…。悪乗りがすぎたわね。私からも必要なら事情を話すから。」  タイガとカツラがおかしくなったのがズバリ自分のやったことの結果なのだと知ってツバキはことの重大さを知った。タイガがカツラを振るなんて信じられなった。なんとか二人の関係が戻るように、機会があれば彼女はタイガにきちんと伝えなければと思っていた。カツラとの友情まで失くしたくない。 「それにしてもあの場までわざわざ来るなんて、タイガ君もどれだけカツラに惚れてるのよ。」 クスクスと笑いながら話すツバキにカツラは言い放つ。 「笑い事じゃない。お前とは絶交だ。」 ツバキはカツラの言葉にショックを受けた。やはり絶交かと落胆の色を出さないように努めて尋ねた。 「そうね。それも仕方がない…。カツラはもうタイガ君のこと諦めるの?」 諦める?タイガと出会ってからカツラの人生に初めて色が差した。他人を思いそのために生きることがこんなにすばらしいなんて知らなかった。お互いが必要とする関係。俺も、やっと出会うことができた。 「いや、諦めない。明日、タイガに会いに行く。」 真っ直ぐ前を見てカツラは言った。自分自身に言い聞かせるように。 「そうこなくっちゃ。」

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