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第54話 内心
心臓が高鳴る。なぜここにタイガがいるのか?まさか俺に会いに来てくれた?そんな淡い期待を一瞬でかき消す。あり得ない。タイガにはカエデがいる。しかも自分はあれだけ散々避けられた。性懲りも無くタイガを求める自分に嫌気がさす。星空のもと誓った決意を思い出す。予想外に早くタイガとの再会を果たしたが、今こそ自分の覚悟が試される時だ。一瞬嬉しさが混じった表情が出てしまったかもしれない。それを素早く隠し、タイガと出会う前の普段と変わらぬ調子で話しかける。
「どうした?こんなところで?」
タイガとの恋人関係は終わってしまったが、友人の一人として新たに始める一歩が無事に踏み出せたような気がして、そっと安堵する。
「店長と打ち合わせをする予定だったんだけど...。」
「え?」
タイガの話を聞き納得した。さっき店長が話していた打ち合わせだ。そうでなくて彼がここにいるはずがない。自分の雇い主である『desvío』の店長は時々抜けているところがある。タイガも被害を受けてしまった。店長が時間を間違ってしまったことをタイガに告げた。
二人でこのままこの場にいるのも気まずくなると思い、ポケットから鍵を取り出した。
「失礼。」
鍵を開錠する。タイガは裏口のドアのすぐ近くに立っていたので、鍵を開けるために彼に至近距離で近づかなけらばならない。タイガの姿ができるだけ目に入らぬようにさっと行動しなければ。
タイガの存在を背中に感じながら店内に入る。タイガは営業前の店は初めてなのだ。店内の様子をキョロキョロと眺めている。そんなタイガの様子がついかわいらしいと思ってしまう。適当に座るように言うとタイガはいつも座っていたカウンター席に腰を下ろした。思い出に流されそうになる気持ちに蓋をして仕込みに必要なものを用意し作業に取り掛かかることにした。ふと見るとタイガが手持ち無沙汰で座っている。どうしたらいいのか困っているようだ。でかい図体の割に子犬のような雰囲気をもつタイガ。どうしても放っておけない。
「せっかくだからなにか飲む?」
言ってから失言だったと気づく。タイガはとても真面目なのだ。今彼は就業中だ。タイガのそんなところが大好きだったが、残念ながらタイガのそういう部分が自分のことを拒絶しているのだということもしっかりと理解していた。しかし意外にもタイガの返事は前向きなものだった。
「いや。少しだけもらおうかな。」
久しぶりにタイガのために酒を選ぶ。「緊張する...。」めぼしい酒はすぐに見つけたが、気持ちが落ち着くまで酒を選ぶふりをした。ようやく胸の高鳴りが止まったところで振り返りグラスに酒を注いだ。
ある国の魔除けの意味を持つ伝説の獣の形を施された赤い瓶に入っている酒だ。福を招く獣だとか。これからの二人の新しい関係の門出にちょうどいい。地元のウージとよばれるサトウキビをふんだんに使っており気品ある甘い香りと味わいが特徴だ。しかもアルコール度数は高くないから勤務中でも少しぐらいなら大丈夫だろう。
「綺麗だ。」
タイガが出された酒を満足そうに口に含む。思ったより普通にタイガと話ができて心をなでおろす。大丈夫。俺はもうお前からなにも望まない。タイガと久しぶりに再会したことで心の奥底ではタイガを求める自分がまだいることに気付いたが、タイガにはふさわしくないのだと言い聞かせ、気分を切り替えようとさっさと仕事に取り掛かる。
「カツラ...。」
ドアが開く音。店長がちょうど帰ってきたようだ。早速店長を問い詰める。大事な打ち合わせだったはずだ。もう少ししっかりしてもらわないと。
「わぁ、ごめん。あっちで話そうか?」
店長に促されてタイガが席を移動する。二人きりで彼も気まずかったのではと思いその後は仕事に集中した。
今日も店が新しく手掛ける仕事、「レストランが提供する酒の監修について。」の打ち合わせでタイガがまた店に来ることになっていた。店長はこの件にかかりっきりで店のことは専ら委ねられていた。そのため新人の教育や日々のメニュ―、スケジュール管理などやるべき仕事は山盛りだ。しかし仕事とはいえタイガが頻繁に店に来る状況で、忙しくできるのはありがたかった。気を付けていても勝手に彼に向こうとする意識を無理に矯正しなくて済む。
しばらくするとタイガが店に来た。『desvío』の担当になるとは彼もついていない。タイガの仕事がやりにくくならないように極力関わらないようにしなければ。
タイガはもう客としていつ店に来るのかわからない。それに来たとしてもいつも通り入口手前側の席に着くだろう。そこには自分はいない。わざわざ顔を見に行くことももうないだろう。以前とは変わってしまった現実に早く慣れなければ。
「おつかれさま。」
あくまで店の一員としての挨拶を交わした。
今日は週中の平日で馴染みの常連が酒と料理を目当てに早い時間からやって来る。研修中留守にしていたこともあり、久しぶりの客達との話に花が咲く。店で忙しくしているとやはり気分が紛れる。ウィローが一名客を案内してきた。またいつもの常連の一人かと思っていたら、彼だった。タイガ...。
「こんばんは。珍しい。こちら側に来るなんて。」
「うん。たまには...。」
どうしてここに来た?いつも座る手前の席は空いているはずだ。まさかカエデと待ち合わせなのかなどと様々な考えが頭に浮かび上がる。タイガのこととなるとだめだ。気になって仕方がない。
タイガに嫌われていることも自覚している。しつこく付きまとい嫌な思いをさせてしまった。フラれたばかりの頃はタイガのことを考えずに迷惑をかけてしまった。そのことに後ろめたさを感じる。タイガは深い意味はなくただの客として来ているのだから、くつろいでもらわなければ。カエデも来るかもしれない。なるべくタイガと接することがないよう彼の接客は新人のバイトに任せることにした。
タイガに酒が出されて料理が運ばれる。そして来ると思っていたカエデは一向にくる気配がない。目線は動かさずに視界の角でタイガに意識をむける。そのうちタイガの両隣の席がうまった。待ち合わせではないのだろうか。全く自分はタイガのこととなるとだめだ。あれこれと妄想にふけってしまう。ここまでフラれた相手に固執してしまうとは。頭ではわかっていても気持ちが言うことをきかない。自分はもうタイガにはその気はないと態度で示さなければ。タイガを安心させてやりたかった。
「ごちそうさま。」
「ありがとうございます。」
ただ今日は雰囲気を変えて酒を飲みたかっただけなのだろう。それにしてもなんだか悩んでそうに見えたのは気のせいだろうか。タイガの後ろ姿は心なしか寂しそうだった。悩んでいたりつらいことがあるのならタイガに寄り添い支えたい。しかしタイガとまだ友達関係さえもしっかりと築けていない。今はそっと見守るしかできないことにやるせなさを感じた。
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