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第56話 横槍
嫌な記憶がよみがえる。「一度目のあれは完全に自分の落ち度だ。こんなやつとタイガを間違えるなんて。」あれからカツラはトベラを避けていた。研修後、新しい酒をとってほしいと店長に会いにトベラが『desvío』に来たのだ。ホテルで二人で飲んだあの酒だ。カツラがトベラのことを避けているのは本人も気づいているはず。だからわざわざ客として店に来たのか。気が進まなくとも客には愛想を振りまかなければいけない。
カツラの姿を確認するや否やトベラはガツガツと厚かましくカウンタ―内に侵入してきた。なんてやつだと思いながらカツラは横暴な態度のトベラにきつい言葉で締め出そうとした。
「ここは立ち入り禁止。」
追い払おうと手を伸ばしたらトベラに手首をつかまれてしまった。前から感じていたがトベラは身のこなしがうまい。なにか格闘技でもやっっているのかと思った瞬間、強くひっぱられ体を密着させらた。顔を近づけられまたキスをされると思い身構える。トベラは耳元に口を近づけ囁いた。
「お前、そんな硬いこと言うな。」
まるで恋人にそうするように甘い声で囁いた。寒気がする。なんとか体を離すがまだ手首を持たれている。なんて力だ、本当に痛い。この男は嫌がれば嫌がるほど喜ぶ。落ち着き冷静に対処することにする。
「あのね。今営業中。出禁にしますよ。」
あえて距離を感じる丁寧な言葉を使った。
「いいのか?そんなことをしたら困るのはお前だろ?」
トベラはひく気はないらしい。
「あの...。カツラ君?」
ふと声がする方に顔を向けた。トベラの排除のみに全神経が集中していたので、目の前にタイガが...、二人がいることを忘れていた。「しまった!また見られた。タイガがいるのに。」いきなりこんなことになってしまった成り行きに戸惑い視線がさ迷う。タイガの反応が気になり熱い視線を一瞬向けてしまった。違う、もう関係ないのだと思い慌てて視線を離す。取り繕うために仕方なく二人にトベラを紹介した。
「こちら、トベラさん。うちの取引相手。」
異様な空気だ。トベラが目の前の二人をじろじろと攻撃的な目で見ている。やつの意識が他に移った瞬間、掴まれた手首の解放に成功する。手首には赤い跡が残っていた。
よそへ行けばいいのにトベラは視界に入るカウンター席に腰を下ろした。トベラの存在が嫌でしょうがなかった。まるで自分のもののように馴れ馴れしく接する態度も胸糞が悪くなる。やつの相手は他の店員にまかせ、無視することにした。
「えぇと。なに話してたっけ?」
そうだった。携帯がどうとか話していた。連絡先を渡すように言われたタイガは素直に紙ナプキンに自分のメアドと携帯番号を書いている。黙って様子を見ているうちに早鐘のように心臓が高鳴る。まるで初めてタイガと話したときのように...。
トベラは隣に座る二人とカツラのやり取りを横目で見ながら耳を澄ましていた。最初は自分側に座っている男が怪しいとにらみをつけていた。なかなかいい男で落ち着きがあり、カツラが惹かれそうな感じがしたからだ。
しかし今トベラはその男が隣の男に「タイガ」と呼ぶのを聞き逃さなかった。「タイガ」それはカツラが酔った勢いで呟いた名前。そしてそのまま夢見心地で拒むことなく熱い口づけを交わした相手だ。だが今の二人はとても恋人のようには見えない。トベラから見てタイガと呼ばれた男のほうはカツラに気がありそうだが、カツラが一線引いているように見えるのだ。
タイガがカツラに連絡先を書いた紙ナプキンを手渡す。
「これ...。」
一瞬逡巡するがカツラは手を伸ばしそれを受け取った。二人の視線が重なる。
「わかった。」
カツラが優しく微笑んだ。その顔を見た瞬間トベラの中にドロドロとした感情がわいてきた。
いつもは澄ましているカツラの表情が見たこともない柔らかい笑顔に変わる。目の前の男に気があるのだと確信した。
トベラはもともと無類の女好きだ。男には全く興味はない。人に真面目に接することを滅多にしないトベラは、出会った当初からカツラをおちょくりからかった。カツラは人に合わせるのがうまい。それはトベラに対してもそうだった。どんな無理難題も器用にかわす。いつもは澄ましているが、ここぞというときに愛想を振りまく。カツラの本心を滅多に他人に見せないところは自分とよく似ており、頭のいいところも気に入っていた。トベラなりにカツラのことを目にかけていたのだ。しかも、美しい男だ。正直この男なら抱けるかもとは思っていた。
研修のホテルでカツラが酔ってキスをねだった顔を思い出す。トベラにとってあれはたまらなかったのだ。今まで見せたことのないカツラの表情に思わず同性であることも忘れがっついてしまった。そしてこの艶めいた男をめちゃくちゃにしてやりたいとトベラの支配欲に火をつける結果となった。
トベラはタイガの顔を確認する。あんなやつでは役不足だ。
ウィローがカツラを呼び戻しにきた。カツラは二人に挨拶をしてその場を立ち去った。嫌な邪魔が入ってしまったが、手にした紙ナプキンがカツラにその日の充実感を与えていた。タイガへの対応は間違っていなかったか?連絡先ぐらいは友達だって交換する。カツラはタイガが友達としてでも自分を受け入れてくれたことが嬉しかった。
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