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第57話 交換条件
閉店時間になり、客達がはけていった。店内を片付け、従業員たちもまた次々と帰っていく。カツラはやることが残っていたので、一人店に残りにカウンターで作業をしていた。
裏口のドアが開いた。誰か忘れものでもしたのかと振り向くと、そこにはトベラがいた。今日客として来店していたが、店長と二人で話があるからとあれから店を後にしていたのだ。早い段階で店からいなくなってくれてほっとしていたのに、なぜまた戻ってきたのかと訝しむ。トベラと二人きりなどまっぴらなカツラはこの場からはやく立ち去らせるべく声をかけた。
「どうしたんです?店長は戻ってきませんよ。」
トベラは相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべている。
「忘れものをしてな。」
「忘れもの?」
カツラが不思議に思い見ていると、トベラは店内をズカズカと歩き奥のカウンター内に入って行った。酒瓶が並べられた棚を見ている。目当てのものが見つかったのか一つの酒瓶を手に取った。よく見ると新しくトベラのところで制作されたあの酒だった。いつの間に置いたのかと呆気に取られ、そのまますぐ帰ると思い目で追う。しかしトベラはドアには向かわず、あろうことかカツラの正面のカウンター席にドカッと腰を下ろした。カツラはトベラのことなど無視をし、無言で作業に集中する。トベラはそんなカツラを遠慮もなくじっと見ていた。
「なんですか?」
これがやつの作戦なのだとは気づいていたが、カツラはたまらず聞いてしまった。
「あのガキとはどういう関係なんだ?」
なんのことを言っているのかカツラは訳がわからずだまっていた。
「タイガだっけ?」
背筋に冷たいものが走る。トベラはいったいなにを言っているのか。
「あなたには関係ないでしょう。」
なぜトベラがタイガを知っている?さっき店で名前を聞いたのか?タイガの名前を出されたことでカツラの内心はパニックになっていたが、気付かれぬように落ち着き払って答える。トベラの様子だとまだなにかあるようだ。答えに身構える。
「研修のホテルでお前が俺に熱い口づけをしてきたときの相手だろう?」
「え?」
思わず声を出してしまった。カツラは記憶をたどる。確かに酒のせいで夢と現実がごちゃまぜになりタイガとトベラを間違えてキスをねだってしまった。でもそれはカツラの意識の中でのことだ。「なぜやつが知っている?」「あっ...。まさか口に出ていたのか。」気付いたようなカツラの反応を見て、トベラが勝ち誇った。
「そうだ。タイガって言っていたよな。愛おしそうに俺のことを。」
完全にやられた。しかし、こんなことを言ってトベラはいったいなにをしたいのか。トベラには関係ないことだとカツラは開き直ることにした。
「だったらなんです?」
トベラは捕食者のごとく畳みかけた。
「あのタイガってやつにその時のことを教えてやろうと思ってな。お前がすごく情熱的だったことも。」
カツラの鼓動が早くなる。口の中がカラカラになった。「はったりだ。やつは俺を困らせて喜んでいるだけだ。」そう思い挑発には乗らないことにする。
「お好きにどうぞ。彼は気にしませんから。」
カツラとタイガの二人の関係が実際どういうものなのかトベラにはわからなかった。しかし、カツラがタイガという男をかなり意識しているのはわかる。その気持ちを隠そうとしていることも。何故なのか?そのことがトベラのサディスティックな部分を一層刺激するのだ。
「そうか。じゃ、遠慮なく。俺はやると言ったらやる男だ。彼の反応を楽しみにしておけ。」
そう言ってこの話はもう終わりとさっと椅子から立ち上がり、足早に店を出ていこうとした。カツラの頭を中はぐちゃぐちゃだった。次の瞬間には無意識にトベラを呼び止めていた。
「待て。」
トベラがなにか用かといったふうに振り返る。
「言わないでくれ。」
聞き取れないほどの小さな声で懇願する。
「あぁ?聞こえねぇよ。」
「言わないでくれ...。タイガには黙っていてくれ。頼む。」
よりはっきりした声で言い、頭を下げる。トベラが近づいて来た。
「わかった。お前は俺に頼みごとをしているんだな。でも人にものを頼むときはやり方があるだろう?言葉だけじゃ無理だ。」
「え?」
顔を上げ潤んだ瞳でトベラを見る。カツラはトベラの言おうとしていることがわからなかった。いったいどういう意味だ?
「なぁ、カツラ。あのキスは最高だった。あれからお前のことばかり考えている。もう一度してくれ。お前から。そうしたら黙っていてやる。」
間違ったとはいえこんなやつとキスをしてしまった自分をカツラは呪った。「これ以上タイガの自分への評価を落としたくない。ただでさえツバキとのキスで振られたのだ。せっかく友達としての新しい関係を築こうとしているのにまた不潔なやつだと思われるかもしれない。そうなったら今度こそ完全に終わりだ。友達でさえいられなくなってしまう。」カツラは覚悟を決める。
「わかった。」
カツラの返事を聞いてトベラがカウンターから出て自分のところに来るように手招きした。やつはまた椅子に腰を掛けた。カツラはトベラの正面に立つ。しかしなかなか行動に移せない。
「俺はこう見えて忙しいんだ。今すぐ帰ってもいいんだぞ。」
その言葉が合図のようにカツラは自らトベラに口づけをした。トベラがまた侵入してくる。カツラもそれに必死で答えた。瞼を閉じ、キスの相手はタイガだと思い込む。
「んっ。」
トベラからの執拗なキスに吐息がもれる。一度唇を離すが二人の唾液が絡み合い糸を引く。トベラはカツラの瞳を覗き込み、満足したように口角をあげ再びカツラの唇を奪う。舌を絡み取られ口腔内深くまで貪られる。トベラはカツラのほそい顎をつかみ取り、長い時間をかけ深いキスを続けた。
どれくらい時間がたったのか、カウンターにあおむけに倒されたカツラは唇が腫れたように感じていた。瞳には店の照明が落ちているが輝きはない。息も切れている。
トベラは放心状態のカツラを満足そうに見下ろし、優しくカツラの髪をかき上げる。首筋にも口づけをしながら下へゆっくりと這わせていく。
「男にしておくのはもったいないな。」
トベラはそう呟いてチュッ、チュッとキスを落とす。カツラの喉仏にはペロペロと舌を這わせた。
「っ...。」
「いいのか?」
カツラの反応に興奮したのかトベラの目は獲物を捕獲した野獣のようにぎらついた。そして剥き出しになったカツラの白い鎖骨に指を這わせ唇で触れ、そこをきつく吸い上げ印をつけた。お前は俺のものだというように。
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