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第62話 変わらぬ思い
初めてタイガへのつらい募る思いを吐き出した。その相手がまさかトベラになろうとは。トベラが自分を気遣い力になってくれようとしたことも衝撃だった。あれからトベラから脅迫めいたことはなく、むけられる視線にも優しさを感じるようになった。正直なところ、戸惑いはある。まさか真に好意を抱かれるとは思ってもいなかった。トベラの気持ちにこたえることはできない。ただ、今までと違った感情でトベラに接することはできるようになった。
トベラは本気で新しい店を開業する気らしい。『desvío』の店長に相談を持ち掛けているようだ。トベラはあれからよく店に時間を問わずに来るようになった。そんな時は決まって酒を持ってくる。毎回毎回貢物のように渡されるその酒は、今は店の商品と同じように棚に並べられている。さすがに他の者たちも気付きだしたようだ。
「トベラさんって、カツラさんに気がありますよね?」
勘のいいウィローが聞いてきた。最初はタイガとの仲を疑っていたようだが、関係があっけなく終わってしまったから、彼のことは今はただの馴染みの客としか思っていないようだ。
「あり得ない。彼は女性が好きなんだ。」
トベラの気持ちに気付いていないふりをして答える。
「でもこの間カツラさんがいない時にトベラさんの酒を受け取ろうとしたら、これはカツラに持って来たんだって怖い顔で言われました。」
「そうか。意外だな。」
「トベラさんのカツラさんを見る目だけが違うってみんな言ってますよ。あの人、俺たちには愛想ないですけど。」
トベラは見境がない。まるで発情期の犬のようだ。好意を抱かれること自体、悪い気はしないが、トベラのやり方には付いていけない。
そういえば、最近タイガは店に来ていない。レストランの打ち合わせがある程度、目途が付いたとは店長から聞いていたが。打ち合わせ前にタイガに昼飯を用意するのが楽しみだったから少し寂しい。でも友達なのだからこういうものなのだろうと納得するしかない。
そんなことを考えていたら久しぶりにタイガからのメールが届いていた。今度打ち合わせがある。その時は早めに行くからまた昼飯を頼むと。心が躍る。また二人の時間ができる。彼のためになにか役に立てることがたまらなく嬉しい。
しかしタイガが昼飯を食べに来る日は『desvío』の棚卸の日だった。すっかり失念していた。これではタイガと二人きりになれない。割りきった関係を頭では理解しているのに、気持ちが言うことをきかない。だからバチが当たったのだ。
店に着くと早くも何人かが手分けして作業をしている。この時に一緒にかなり大がかりな掃除もすることになっている。早くタイガの昼飯を仕上げて手伝わなけばいけない。ようやく昼飯の準備が終わった頃、トベラが来た。なにか資料を持っている。店長と約束をしているようだ。今日は酒の貢ぎはない。そっと胸をなでおろす。変な噂がたつのはあまり居心地のいいものではない。
「カツラ。今日はトベラさんとの話し合いにお前も同席してほしいんだ。」
店長から急に依頼され尻込みしてしまう。役に立つことが言えるはずがない。
「え?俺なにもわからないよ?」
なんとか避けようと努力する。
「トベラさんがカツラの意見も聞きたいと言うんだ。若者代表の意見みたいなもんかな。」
さっとトベラの姿を確認する。視線に気づきこちらに近づいていた。
「役に立てるとは思えませんが。」
トベラは優しく微笑みながら言う。
「そう固く考えるな。少し参考にしたいだけだから。」
前までのトベラならなんとしても遠慮するが、こんなふうに懇願されてしまうと断るわけにもいかない。仕方なく店長について奥のテーブル席で話し合いに参加する。
詳しく資料を見てみると、よく考えられている。店のこだわり、コンセプトなど。場所も間違いなさそうだ。軌道にのるまでは大変だとこの間話していたが、これは問題なくうまくいくのでは思える内容だ。本当に優秀な男なのだと感心してしまった。意見を求める時も適格で分かりやすい。こちらが困らぬように助け船まで出してくれる。気づけばつい話し合いに夢中になってしまった。会話が弾み笑いが起きる。終始いい雰囲気で話し合いが進んでいた。
「店長、タイガさん打ち合わせに来ていますよ。」
もうそんな時間なのか。すっかり時間が経つのを忘れていた。ウィローの言葉に反応して後ろを振り返る。いた、タイガが。ぎこちない顔でこちらを見ている。
「え?まだ早くない?」
店長は予定時間より早く来たタイガに驚いたようだが、タイガは約束した昼飯を食べに来たのだ。彼のもとに近づく。久しぶりに会えた喜びでつい自然に笑みが出てしまった。これぐらいはいいはずだ。
「昼飯だろ?用意してある。」
なんだかタイガはとても気まずそうだ。
「でも、忙しいんじゃ?」
今日は棚卸でスタッフがバタバタしている。驚いたのかもしれない。タイガに席を進め彼のために心を込めて作った料理を出してやる。なるべくゆっくり食べてほしい。その場を離れ、店長たちのいるテーブル席に戻ることにする。
「俺はまだむこうでしなければいけないことがあるから。」
ようやくトベラとの話し合いも終ろうとしたとき、ウィローが死にそうな顔でやってきた。
「すみません。腹がすごく痛くて。今日は帰っていいですか?」
顔色も悪いし明らかに重症だ。店長は無理をするなといいウィローを帰らせた。明日も無理しなくていいと。
「でも明日、あいつ当番だったな?カツラ、明日ウィローの代わりに頼まれてくれるか?」
席を立ち、タイガがいるカウンターにむかいながら店長が聞いてきた。「当番?毎月の酒瓶の掃除のことか。」研修中は店のみんなに迷惑をかけた。もちろん断る理由はない。
「掃除?別に構わないけど。」
店長は快諾に顔をほころばせ、そのままタイガを奥のテーブルに連れていった。カウンターの椅子に手を掛けタイガの姿を見送る。今日はタイガとほとんど話せなかった。切ない気持ちが彼を目で追わせる。
「カツラ。」
不意に声をかけられはっとする。トベラにはもう全て知られている。今のもきっと見られてしまったに違いない。
「今日のは為になった。また今度も頼む。」
そう言ってトベラは椅子に掛けていた手に自分の手を重ねてきた。そこに視線を落としトベラの顔を見る。トベラの目は「俺は本気だ」と言っていた。彼の気持ちはありがたい。でも本当の恋を知ってしまった今、答えを出すことはできない。心の一番奥にはまだタイガがいる。
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