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第3章 愛する姫よ旧式の
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――「だったら何が欲しいわけ? 僕?」
それはないだろう。自分でも言ってておかしいと思った。
(『香嗅厄祕ファニチェア』より)
*
「あなたの存在を知ったとき」真っ暗の部屋に入るなり女の声がした。「わたくしは驚愕しましたのよ? 確かにわたくしにもスペアはいますので、存在自体に疑問はありませんわ。ええ、あの方が唯一の存在だと思ってしまったことが、わたくしの思考を妨げていたと言うほかありませんわね。端的に申し上げて、あなたが死ねばよかったのに、と」
独り言なのか、相槌を求めているのか。
武天 は、何も云わずに跪いた。
「お顔を隠してという言いつけは守っていただいているようですけれど」女の声が続く。「眼障りですの。わたくしの視界に入らないでいただきたいものですわ」
武天は何の反論もしない。
マンションを出立して、このホテルに移動するまでの車内で、注意事項の確認は済んでいる。
これから会う人が、何を言ったとしても一切の反論をすることを禁ず。
「何のために呼んだのか、おわかりになって?」女の姿は見えない。
「発言許可をいただけますか」武天が跪いたまま言う。
「わざわざ発言許可をしないと表明できないような長々としたお答えは期待していませんわ」
「ヨシツネの退路を塞ぐため、かと」
「お兄様がわたくしの申し出を断れる立場にあると認識していることが、浅はかでなりませんのよ。よろしくて?一度しか言いませんから、二度と勘違いなさらないように」女が息を吸い直す。「お兄様は、自分のスペアか何かだと思い込んでいますの。ご自身がこの運命から逃れるために、犠牲にすべき駒が存在していると、内心喜んでいることをお認めになっていない。でもそんなこと、わたくしが認めない。お兄様には、わたくしと共に、同じ地獄に堕ちていただきたいの」
ヨシツネさんの名前が出てきてゾッとした。
あの人を苦しめようとする元凶の内の一人。
なんだろうか。
兄と呼んでいるということは。
妹?
顔が。
見えないのが恨めしい。
「ところでその犬コロは何ですの? ペットの持ち込みなど認めておりませんわよ?」
「ヨシツネの所有物を取り上げることで、彼を孤立させようと思ったのですが」
「嘘を、吐かないでちょうだいな」女の語調が鋭くなった。「わたくしはお兄様の飼っている犬の処遇まで、命じた覚えはありませんわよ。勝手なことをしないでいただきたいものですわね」
「申し訳ございません」
「ただの犬ごときが、親族会議に参加できる権利があるとお思いでして?」女の声が、こちらに向かって突き刺さる。向こうからはこちらが見えているのだろう。「お外で不審者の番でもしていてちょうだいな」
「スザキ様。彼は確かに犬かもしれませんが」武天が言う。「彼がいることでヨシツネは確実に退路を失いま」
す、が掻き消された。
武天の頭に水がかかった。いや、水じゃない。
これは。
「わたくしに口応えしないでちょうだいと、言ったはずですわ」
「申し訳ございません」
ぼたぼたと床に垂れるそれは。
紅茶だ。
しかも熱いやつを。
「お兄様を追い詰める方法も、タイミングも、手の内も何もかも、わたくしが考えてわたくしが実行します。手助けも、口添えも、わたくしが求めていないこと以外控えていただけますかしら」
「現時点で私にできるお手伝いはありますでしょうか」武天は俯いたまま、滴る紅茶を拭わない。
「わたくしの協力者を気取って、その壁にもたれて立っていて?」
「かしこまりました」
武天にかけられた紅茶が乾いた頃、本当にヨシツネさんがやってきた。
俺の存在にも武天にも気づいたようだったけど、特に何も言わなかったし、眼も合わなかった。
それはそうか。
能登を連れ戻すと大見栄切って飛び出したのに、肝心の能登は医者に攫われて行方不明で。
合わせる顔がないのはこっちの方だ。
しかも困ったことにこの闇は、一向に眼が慣れない。
ヨシツネさんの顔は記憶でわかるけど、妹とやらの顔がまったく見えない。
「お兄様は、お母様、つまり北京もしくはベイ=ジンについてどこまでご存じ?」
「北京にいてはるさかいに、どっかの誰かが勝手に付けた名前ゆうことくらいかな」
ヨシツネさんと妹だけ椅子に座っている。
武天は命令通り壁にもたれて立っている。
俺は。
「スザキちゃんよ」ビャクローが言う。テーブルに身を乗り出しながら。「俺それ知ってるから外出てるね。なんならワンころも摘み出すけど?」
「どちらなりと」妹の口調はどうでもよさそうだった。
「んじゃあ引きずってく」ビャクローに脛を蹴られた。「おら、表出ろ、クソ犬」
ヨシツネさんが止めたら居座ろうかと思ったが。
誰も何も言わないので廊下に出た。
「怒んないのは、感情殺してんの?」ビャクローが言う。
照明のせいで眼がぱちぱちする。
「なんか言わないとホントに犬になっちまうよン?」
「俺の代わりにヨシツネさんを守ってくれたことは感謝してる」
「ナニソレ」ビャクローが莫迦にしたように嗤う。「テメェの都合でツネちゃん守ってると思ってるわけかあ?」
「そうじゃないのか」
「じゃあテメェはツネちゃんに死ねっつわれたら死ぬのかよ? あ?」
「ヨシツネさんがそう望むならそうする」
「莫迦じゃねぇの? 莫迦にもほどがあんだよ。だからツネちゃん追い詰められてんじゃねえのか?」
ヨシツネさんが追い詰められている?
「どういうことだ。ヨシツネさんは」
元気だった?
そうじゃなかった?
見てない。見えていない。
「部屋が暗かったこと言い訳にすんじゃねえぞ?クソが」ビャクローが低い声で凄む。「テメェがボヤっとなんもしねえから生き映し君がいなくなったんじゃねえのかよ」
「それについては何も言い訳するつもりは」
「ンな下んねえこと聞いてんじゃねんだよ」ビャクローにネクタイを掴まれる。「テメェだけが知らない生き映し君の最新情報教えてやっから、耳かっぽじってよーく聞いとけ」
飛び降りで自殺未遂。
意識不明の重体で集中治療室に。
「なんでこんなことになったかわかるか?」ビャクローが俺の鼻に食らいつきそうな至近距離で怒鳴る。「テメェが守るもん守らねぇでボヤっと生きてっから」
「犬のしつけならお外でやって下さらない?」ドアが開いて女が出てきた。
やっと、
見えた。
赤い髪の。
「ごめんごめん、スザキちゃん。ついつい熱が入っちゃって」ビャクローが誤魔化すように笑って俺を壁に押し付ける。「犬の散歩めんどいし、置いてっていい? 俺だけ単品で散歩してくんね」
女はいいも悪いも言わなかったが、ビャクローは「ばいばーい」と気の抜けたようなセリフを残して行ってしまった。
やっと見えた。
女の、妹の顔。
「どう致します? 餌でも召し上がる?」
思っていたほど。
似ていないのはなんでだ?
部屋は暗いまま。
「では、気を取り直しまして。どこまでお話ししましたかしら」女が席に着く。「そうでしたわ。ベイ=ジンは、ご自身のお気に入りの殿方にしかお会いになりませんの。どうしてか。おわかりでしょう?」
「お前みたいなのがいてるさかいにな」ヨシツネさんが鼻で嗤う。
「お兄様はお会いになったことが御座いますでしょう? ベイ=ジンには、まったく同じ顔のタ=イオワンという弟がおりますの。困ったことに、このお二人は、時折入れ替わってわたくしたちを惑わせる。ここまでが、お母様と取引した公安が掴んだ表向きの情報ですわね」
何の話をしているかよくわからないから、ヨシツネさんの表情を見守っていることにする。
餌としてもらったクッキーをかじりながら。
「これからお伝えするお話は、知らないほうがいいことですの。知ったところで何ら得はありませんし、知る必要のないことですから口封じされる可能性も生まれますわ」
「そこまでゆうといて、俺に言わはるリスクは」
「お兄様には、わたくしと共犯になっていただきたいの。リスクも何もかも、そのお命ごと一蓮托生ですわ」女の口元が上がる。「ベイ=ジンと、タ=イオワンを、対の関係だと誤認してしまったことが、あの方の致命傷になってしまった。というのはわたくしの個人的な別件なので横によけますけれど、そうですわね。まずはわたくしたち後継者候補四家の説明を致しますわ。ベイ=ジンを頂点とする北、タ=イオワンを頂点とする南、キジ=ハンを頂点とする東、そして、ビャクローの西という四家がございまして、東南西北の順で血が濃くなりますの。つまり病弱短命になりますわ。ビャクローについては少々込み入っていますので後回しにしますけれど、北と南は裏表の関係。東は分家のような立ち位置ですわね。ちなみにお兄様とわたくしは南、そこに突っ立っている黒い塊は北。お兄様は東にお会いしたことは御座いますかしら。車椅子に乗った肢のない女ですけれど」
車椅子の女。
あいつは。
肢がなかったのか。
「知らへんな。俺が会うたことあるんは、北京とサダと、奥様て呼ばれてはった低反発枕みたいな奴と、先代と、あとは」
「お兄様が先代と仰っているのは、禎楽 が自身のお仕事をサボタージュするために作った檀那様システムの生贄第一号のことですかしら? あの哀れな男なら、後継者でもなんでもありませんのよ。お兄様こそが後継者なのですわ。禎楽が攫ったあの少年、ええと、お名前が急に出てきませんわね。ま、まま、まき」
「まきちよか?」ヨシツネさんが苦笑いする。「あいつ、そないに印象薄いか?」
「眞緒 や、養子として売り払った金髪碧眼などは、ベイ=ジン預かりですから北ですわね。あのお二人はわたくしたちとは関係がないので放っておきますけれど」
「親族一同の紹介なん、どないでもええわ。俺が知りたいんは、なんじょう俺が北京を殺さなあかんのか、ゆう」
「お兄様のそのせっかちなところ、嫌いではありませんけれど」女が勿体つけて息を漏らす。「お兄様はどうしてご自身が後継者なのか、知りたくありませんの?」
「全然どうでもええわ。なあ、北京は殺されへんやろ? あの女は殺しても死なへん部類なのと違うん?」
「さすがお兄様ですわ。そうなのです。ベイ=ジンは死なない。いいえ、死にますけれど、死なないのですわ。そのからくりをご説明するために、長々と前置きが必要なのですけれど」
「結論だけゆうてくれへん? 眠うなってきたわ」ヨシツネさんが大きなあくびをする。
「ではお兄様の眠気を一気に消し飛ばして差し上げますわ。先ほどベイ=ジンとタ=イオワンが対の関係だとお伝えしましたけれど、もう一対、スペアが存在しますの。まったく同じ顔の個体ですわ。双子というよりクローンといったほうが近いですわね。片方に何かあった場合、簡単に言うと命を落とした場合、そのスペアが役割を代わるのですわ」
「スペアが先に死んだった場合は?」
「あり得ませんわ。だって、本体が死んだ後に電源が入るようになっていますので。原則は」
「含みがあらはる言い方やけど」ヨシツネさんが言う。「俺のスペアがそこで突っ立っとることに関係しとるんかな」
「いいえ。お兄様のスペアは存在しませんわ」
「ほお、違うんか。ほんなら」
「無視していただいて結構ですわ。わたくしの作戦遂行上、必要不可欠なパーツではありませんもの」
武天の表情に注意していたが。
外から見る限り何も変化はなかった。
「ベイ=ジンもタ=イオワンも、それぞれ男女一対、つまり、計4体をすべて殺さないと、わたくしたちは自由になれない。中でもベイ=ジンの女性体は、絶対に外には出ない。ですが、たった一つ、会う方法が、会う権利のある方が」
「俺がマネキンにされるのとどっちが先やろ? ヤる前にぶっ殺せゆわはるんか?」
「ええ」女が満足そうに頷いた。「チャンスはこちらで作ります。近日中にお兄様に呼び出しがかかりますわ。その際にわたくしも同行いたします。お兄様がスムーズにベイ=ジンの女性体を葬れるよう、全力でサポート致しますわ」
「無理やろ。それに俺は」
「あら、ご自身の欲望のためにお友だちを殺したのでしょう? その手で」
「殺してへん」
「いいえ、殺しましたわ。全部知っていますのよ」
ヨシツネさんが椅子から立ち上がってドアノブに手をかける。時間差で椅子が倒れた。
「どちらに?」女が呼び止めるが。
ヨシツネさんは何も言わずに出て行ってしまった。
大きな音がしてドアが閉まる。
「仕方のない方ですわね」女が溜息を吐く。「犬コロ? 命令ですわ。お兄様を連れ戻してちょうだいな」
「俺はあんたの犬でもなんでもない」
「歯向かい方も犬そのものですわね」女が肩を竦める。
いまやっと思い出した。
この女の声。
「わたくしに知らないことがあるとするならば」女が歌うように言う。「それは奇跡以外に説明のつかないことですわね。そんなもの、あり得ませんけれど」
すべてを見通しているのではなくて。
あらゆることは、この女の手の平の上。
「ねえ、わたくしの言う通りになさいな。そうしたらまたお兄様の番犬になれるよう、計らってさしあげますわ」
そんなことわざわざ他人にされなくても。
「俺はあの人以外に従うつもりはない」
武天がこっちを見たような気がしたが。
知らないふりをして廊下に出た。
闇からいきなり光の下に来たので眼が痛い。
ぎゅうと瞑って。
開けた。
よし、見える。
ヨシツネさんはエレベータの前にいた。
「連れ戻しに来たん?」ヨシツネさんはこっちを見ずに言った。
「違います」
「ほんなら」
「俺が殺します」
やっとこっちを。
「俺がやります。俺がやりますから、ヨシツネさんは」
「無理やろ。あいつが言わはったことがほんまなら、俺がやらなあかんさかいに」
「そう思わせて、ヨシツネさんを追い詰めることが狙いじゃないんでしょうか」
見てくれた。というか。
避けていたのは俺だろう。
「キサガタを、いえ、能登を連れ戻せなくて申し訳ありませんでした」頭を下げた。「それに、あんなことになっているなんて」
「聞いたん?」
「ビャクローから」
「ああも、なんじょう来ィひんのやろ」ヨシツネさんがエレベータのボタンを殴りつける。「階段。階段は」
「お兄様」女が追いかけてきた。「お逃げになるのですかしら?」
「逃げようにもいま捉まったわ」ヨシツネさんが冗談ぽく両手を挙げる。「なあ、妹、ちょお提案なんやけど」
「なんですの?」
「逃げへんさかいに。ちゃんと話も聞いたる。せやから、朝まで部屋貸してくれへん?」
「念のために聞きますけれど、お部屋をお貸しして、一体どうしますの?」
「寝る」ヨシツネさんがあくびを見せつける。「頭働かんわ。お前のゆうたはることも、ほんまかどうか疑う気力もあらへん」
「それなら尚のこと朝までコースがわたくしとしては都合がよろしいのですけれど」女が口に手を当てる。「確かに意識朦朧としているところにとっておきの秘密の作戦をお伝えしても、記憶に残らない可能性も御座いますわね。わかりました。お兄様のご希望通りに」
「おおきにな」
「これがキーですわ」女がカードをヨシツネさんに渡す。「そちらの奥のお部屋をお使いくださいな」
「ほな。行くえ」ヨシツネさんが俺を見る。
いいのか。
俺で。
「ケイちゃんに見張っといてもらわんと。朝起きたら事後やったなん、最悪の展開やろ?」
「まあ、わたくしがそのようなはしたない女とお思いですの?」
「わからへんやろ? ヤらへんゆう保証もあらへんさかいに」
しばし睨み合い。
根負けしたのか、女がふっと息を漏らす。
「では、おやすみなさいませ、お兄様」
「ああ、えっと、なんやったっけ、名前」
「朱咲 ですわ。どうぞ、スーザと、お呼びくださいまし」
「ほんなら、スーザ。おやすみ」
「ええ、おやすみなさいませ」
部屋に入るとヨシツネさんは、ばたんとベッドに倒れ込んだ。
「ああ、あかん。限界やわ」
「どうぞ、お休みください」
「ああ、ゆうたこと気にしてはるの?」ヨシツネさんが首を上げた。「チェーンかけといたらさすがに夜這いなんせぇへんやろ」
「どうでしょう。俺は別に不寝番でも」
「まあ、寝たなったら無理せんと」
3時を回った。
寝息が聞こえるまでそんなに時間はかからなかった。掛け布団の上に寝てしまったので、抱き上げて布団をかける。
いい匂いがした。
煩悩を洗い流すためにシャワーを浴びた。
ドアの前に椅子を持っていって座った。
ここならドアを蹴破られても対応できるだろう。
いや、ここだとベッドが見えない。ビャクローなら窓から入れるだろうし。
とか言い訳して。
ベッドサイドに椅子を運んできた。
部屋が多すぎる上に大きすぎるのがいけない。
そうだそうだ。
寝顔を見るのは。
何日ぶり。
しかも。
こんなに近くで。
何か。
音が。
と思ってカーテンを開けたら。
「お前か」
本当にビャクローが貼りついていた。
うるさくされても困るので鍵を開けた。
「さんきう」ビャクローが小声で話す。「つかな、どうやってチューザ、じゃなかった、スザキちゃん説得したんだよ」
「見てたんじゃないのか?」話したいことがあるなら隣の部屋に行くことをジェスチャーで伝えたが。
「さすがに寝てるとこ邪魔しねぇよ。言ってなかったかぁ? 俺は、後継者の爪と牙なんだよ」
「用がないなら」
「あいあい、出てきますよーっての。ツネちゃん無事なら俺あそれで」
今度はドアから出ていった。
何がしたかったんだ?
また椅子に座る。
寝息と寝顔。
朝までずっと見ていてもいいなら、不寝番も全然つらくない。
「ケイちゃん」
ビックリした。
「すみません、起こしましたか」
「知ってはるやろ? 俺の眠り浅いん」
そうだった。
のか?
「すみません」
「なあ、ビャクロー熨斗付けてあの黒いのに突っ返すさかいに。ケイちゃんまた俺んとこ戻ってきてくれへんかな」
「いいんですか」
「どうゆう意味やろか」
「いや、ヨシツネさんさえよければ全然」
「そか、おおきにな」ヨシツネさんが笑った。
気がした。
ああ、
そうか。
これだ。
この笑顔を護るために俺は。
「ゆっくり休んでください。起きるまでここにいますので」
「おおきにな。おやすみ」
「おやすみなさい」
ヨシツネさんが眼を瞑ったのを確認して。
廊下に出る。キーを忘れずに持って。
「すんません」女がいた部屋をノックする。「武天いますか」
しばらく間があって、武天が出てきた。
「なんだ」武天が後ろ手にドアを閉める。
「あんたの護衛はもうできない。ビャクローと交換してほしい」
「ヨシツネの意志か?」
「俺の意志だ」
「わかった。ビャクローには私から言っておく」
やけに。
あっさり。
「なんだ? 早く戻れ」
「いいのか」
「あのときは迷っていただろう? いまはそうは見えない」
「わかるのか?」
「お前はわかりやすい。そこが長所でも短所でもある」
そうなのか。
そうか。
「世話になった」
「ヨシツネが後を継がなくてよくなる方法が、お前にはわかるか」
呼び止められた。
「あんたが継ぐ以外で、か?」
「私にその資格はない。わかっただろう?」
妹と名乗る女。
「逆らうなと、言っておいたはずだが。スザキ様のお心の広さには頭が下がる」
そうか?
「戻る」
「ああ」
部屋に戻ってベッドの上を確かめる。
よかった。
ちゃんとここに。
うとうとしているうちにカーテンの隙間が明るくなってきた。
内線で朝食サービスの案内があったが、ヨシツネさんはまだ眠っている。
オレンジジュースだけ頼んで電話を切った。
「お兄様? 起きてくださいな。朝ですわよ?」女がドアをノックしている。
「すまないが、まだ寝ている」ドア越しに返事をした。
「まあ、仕方のない方ですわね。30分だけ待ちますわ。それを超えたら強制的に押し入りますと伝えなさいな」
それはまずい。
しかし、ヨシツネさんは朝に弱い。
「ヨシツネさん」揺すってみる。「起きないと妹が」
「なんや?」
届いたオレンジジュースを渡す。眼を覚ましてもらおうと思った。
結局、妹の提示した時間ぎりぎりになった。
無理矢理起こしたので、ヨシツネさんは滅茶苦茶機嫌が悪い。
「お兄様? そのように殺人光線を発されていますと、お話もできませんわ」
妹の言うとおりだ。
今朝は昨日と違って暗黒会議ではない。カーテンも開いているし照明も明るい。
妹の顔も、武天の顔もよく見える。
ビャクローはいないようだった。
「もう、お兄様。聞いていらっしゃいます?」
「なあ、お前ほんまに妹なん?」
「ええ、正真正銘わたくしはお兄様の」
「せやのうて」ヨシツネさんが眉間にしわを寄せる。「性別のことなんやけど」
そういえば。
ヨシツネさんは。
「症状出ぇへんさかいに、すっかり忘れとったんやけど、俺な、女苦手なん。女見るとこう、サブイボがな。ぞわっとするんやけど、お前見てもなんも感じひんし。治ったか思うたけど、ルームサービスの姉ちゃんでやっぱりあかんかったし。こっからわかるんは、お前が女やあらへんゆう」
「失礼極まりないお話ですわね」妹が首を傾げる。
「身内補正があるんかな」
「わたくしにお聞きになるの?」
「それもそうやな」
妹が一口紅茶をすする。
ヨシツネさんがあくびをした。
「お兄様の元にベイ=ジンから贈り物が届くはずですわ。そうしたらわたくしに教えて下さいます?」
「贈りもん?」
「ええ、届きましたら中身を検めることなく、速やかにわたくしに」
そう言って、その場は解散となった。
ヨシツネさんは「銃でも送ってきはるんかな」と冗談を言っていたが。
数日後、屋敷に届いたのは。
赤ん坊だった。
連絡を躊躇うヨシツネさんだったが、それを見越したのか、
妹がやってきて。
赤ん坊を連れ去った。
そして、それからまた数日後。
妹が迎えに来た。
お母様が呼んでいる、と。
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