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第1章 キいて極楽、見て地獄

    0  女に興味がないのはわかっていた。  かといって、男に興味があるのかといわれるとそれも微妙で。  人間全般への興味が希薄だった。  生きてようが死んでようが。  楽しかろうが嬉しかろうが悲しかろうが。  自分のことだってどうだっていいんだから、他人のことなんか尚更。  無だ。  寂しくも淋しくもない。  あったものがなくなったわけじゃない。  そもそも何もないのだから。  ずっとそう思っていた。  のだが。  そいつは。  何の前触れもなくやってきた。 「どうも忙しいとこすんません」  冷やかしにしても説得力がありすぎた。  年齢のことは置いておいて。  非存在を強烈に否定する。  色素の薄い髪と、全宇宙の法則を見通す眼。 「名前は?」  ああ、自分は。  彼に出会うために存在したのだと。  確信するに足る。 「ヨシツネ」  藤都巽恒(ふじみやヨシツネ)。  彼は、       こがね月夜に雪と散らん、桜と降らん  第1話 キいて極楽、見て地獄      1  俺の運命を細胞ごと、一瞬で塗り替えた。  世界はそれを、  一目惚れと呼ぶ。 「俺が名乗ったんやから、お前も名乗ったらどうなん?」 「岐蘇だ」  岐蘇実敦(キソさねあつ)。 「ここの支部長をしている」 「若は次期社長なんですよ」後ろから余計な付け足しが入る。「あ、私はここの事務員で、伊舞です。宜しくお願いしますね~」  伊舞兼以来(イマイかねいら)。 「支部とやらは二人ぼっちなん? 業務回ってはるん?」 「余計なお世話だ。物件管理はほとんど本社がやってる」 「ほんなら何をしてはるん? 俺は本社ゆうのんに行ったほうがええの?」 「手の内を明かすのはそっちが先じゃないか?」  パーテーションで区切られた応接コーナに案内した。テーブルを挟んで向かい合ったソファがある。  時間差で伊舞がお茶を持ってきた。 「緑茶やのうてほうじ茶出すん、好感持てるえ?」 「好きなのか?」 「お茶ん中で一番好きやで」  ふむ。  よいことを聞いた。 「ところで、その制服なんだが」  ずっと気になっていたというか、まず最初に眼に入った外見。  見覚えしかない真っ黒の学ラン。 「おんなじトコやと思うで? よろしゅう先輩」 「この春から通うのか?」 「せやね。そうゆう手筈んなっとる」  手筈?  試験に受かったということだろうか。 「言いたくなかったら言わなくていんだが」 「親なんおらへんで」 「中坊だろ?」 「複雑な家庭環境ゆうんがあるさかいに」  自分で張っていた予防線が墓穴になってしまった。  これ以上込み入ったことが聞けそうにない。 「目的はなんだ?」 「せやからガッコに通うための家を探しとるん。ええトコ紹介したって?」 「ちょっと待ってろ」ソファから腰を浮かせたタイミングで。 「はい、若。候補をピックアップしてます」伊舞がタブレットを持ってきた。 「優秀な事務員やな。支部長サン、放さへんほうがええで?」 「安心しろ。こいつは俺の秘書になってもらうつもりでいる。助かる」タブレットを受け取って。  物件紹介を一通り済ませたが、どれもお気に召さない様子で。 「もうちょい近いとこあらへんの?」巽恒が画面を睨みながら言う。「ガッコから5分以内がベストなんやけどな」 「予算は?」 「予算? そんなん、カラダで払うに決まっとるやろ」  心なしか、いかがわしい意味に聞こえたが。 「ここでバイトするってことか?」首を振って、もたげた劣情を振り払った。 「せやね。お望みどーり、選り取り見取り。なんでもしたるえ?」巽恒はにやりと笑う。  伊舞が「あー」と間の抜けた声を上げた。 「若、あの屋敷ですよ~。若が掃除してる」 「屋敷?」事情のわかっていない巽恒が割って入る。 「ここですよ」伊舞が丁寧に地図を表示させる。「ほら、ここなら学校と眼と鼻の先です」 「むっちゃヤバいな。チャイム鳴ってからでも間に合うやん。最高やわ。ここがええ。ここ連れてってな」 「あー、でも、あれ? どうでしたっけ?」伊舞がこちらに話を振る。  無視したが、巽恒が食い下がる。 「せやから、なんやの? 俺が行ったらあかんの?」 「伊舞」  余計なことを言いやがって。  睨んでやったが、ことの重要さをまったく理解できていない。能天気にへらへらとしている。  それが伊舞の長所でもあり短所でもあるのだが。 「支部長サン?」巽恒がこちらをじっと見つめる。 「そんな見たって駄目だぞ」 「なあ」 「そんな顔したって」 「内覧くらいええやん」巽恒が口の先を尖らせる。 「駄目だ」  あの屋敷は、まだ。 「処理が終わってないんだ」 「処理て? ああ、片付けか? そんなん別に気にせえへんさかいに」巽恒が言う。「なんなら、片付け手伝うたるわ。掃除は嫌いやないで」 「事故物件なんだが」 「は?」巽恒の表情が。  一瞬にして曇った。 「なんやて? 事故? 誰か」死んだのか。巽恒はわざと明言を避けた。  息を。  吸って吐く。  あの日から一週間か。  まだ、  一週間しか経っていない。 「いいか? あの屋敷は正真正銘の事故物件だ。それでも行くって言うのなら」 「ええよ。行ったるわ」巽恒が言う。「あかんかったら逃げ帰るだけやさかい。行ってから考えよ? な?」 「え」あれ?  俺も。  行くのか?      2  眼の前で話してるのに遠くで聞こえる。  俺があまりに返事をしないから隣にいたクウがもう一度言ってくれる。  今年の桜はどこにするか。  毎年みんなで集まって花見をする。  ここいらには桜の名所がいっぱいあるからより取り見取り。  去年はここで、一昨年はあそこだったから、とカブらないように配慮しながら。  みんなは盛り上がってるが、俺は正直どうでもいい。 「どうしたの?」クウが俺の顔をのぞき込む。「浮かない顔」  返事をする気がなかったのと、言わなくてもわかってるんだろうと想像がつくので黙っていた。 「あきちゃった?」クウが聞く。 「わかってんだろ」  しつこいからつい追い払うように言ってしまった。 「ごめん、機嫌悪い?」 「風当たってくる」  クウと、その他俺の動きに気づいた仲間が手を振った。  いつもの薄暗い空き倉庫を出て、少し歩く。  坂を上がって、見晴らしのいい丘へ。  3月ももう終わる。  桜はもうすぐ。  なのに、  なんでこんなに気分が晴れないのか。  毎日がつまらない。  面白くない。  イライラする。  物に当たってもすっきりしそうにないからやらない。  ああ、どこかに。  俺を。  脳天から痺れさせてくれるような出来事が起こらないものだろうか。      3  春休み。  友だちが塾漬けなので暇。  縁側で自作機械のメンテナンスをする。  ぽかぽかと暖かい。  弟がピアノを弾いている音が後頭部を撫でる。  心地よくてぼんやりとする。  ここはおじいさんとおばあさんの家。  二人は海外旅行でいつもいない。  放っておかれているわけではない。  俺たち兄弟は放っておいてほしいので心地いい距離感だ。  俺たちは叔父さんにお世話になった。  叔父さんは俺たちを置いてどこかへ行ってしまった。  また会えるとは思っていない。  叔父さんはきちんと最後の別れをしてくれた。  だから、わかっている。  寂しくないと言ったら嘘になるけど。  弟のピアノが止まった。 「元気ない?」弟が隣に座る。 》》ちょっと思い出しちゃってね。 「季節が季節だからね」  あの日も今日みたいに。 「会いたいね」  弟は、それが叶わないとわかって言った。 「ダーの声、聞こえる人、見つかるといいね」  叔父さんは、聞こえなかった。聞こえてほしかった。でも頑張ってくれた。  そうゆう人が、  果たしているんだろうか。      4  塾に行く理由は、希望の学校に入学するため。  そうでなければ友だちとも遊ばずに毎日毎日自分の時間をすべて捧げている甲斐がない。  あらゆるものを犠牲にしてまであの学校に入りたい理由。  憧れのあの人が通っているから。  あの人とは、2回すれ違ったことがある。  1回目は、模試の会場。  模試でパーフェクトスコアを取り続けている化け物みたいな生徒がいると噂には聞いていたが。  衆目の的になっていたのと、皆が口々にひそひそしていた内容を拾って、本人はすぐに特定できた。  彼は、あの名門中学を目指している。  2回目は、オープンキャンパス。  あの人は、あの人にそっくりな父親と一緒に歩いていた。  あの人の父親は、その大学で心理学の教授をしている。  あの人も同じ道を進むのだろうかと思った。  なぜ憧れたのか。  あの人の隣には誰もいなかったから。  隣に並びたいわけじゃない。  何を見ているのか、  追いかければ見れる気がしたから。  平たく言えばそれは、  友だちになりたいのかもしれない。  だからこの試験に不合格(おち)るわけにはいかない。      5  眼と鼻の先なんてものじゃない。ガッコとは校庭を挟んでほぼ向かい。申し分のない最高の立地。 「ええやん。一軒家」  周囲に家どころか建物が見当たらない。すぐ裏の山が私有地なのだろうか。 「山には入るなよ」支部長サンが言う。「あくまで垣根の中だけ、こっちの管轄なだけだ」 「静かでええやん。もうここでええよ。決めたわ」 「一応中を見ていけ。ほら」支部長サンが鍵を放った。 「案内してくれへんの?」 「言ったろ」  事故物件。 「せやから何があったん? 殺し?自害?大量?」 「霊感は?」 「あったら行くなん言わへんよ。そっちは?」 「さあな」支部長サンが複雑な表情をした。 「まあ、どないでもええけど」  荒れに荒れた生垣。仰々しい門扉を潜ると、横に長い平屋が迎えてくれた。  天井が低くてなんとなく閉塞感があるのは日本家屋の特権みたいなものなので全然気にならない。実家も大体そんな感じなのでむしろ馴染みがある。  外観は放置だが内装の手入れは定期的にしているのだろうか。埃やカビのにおいはまったくなかった。 「部屋は隣に三つ。広さは自分で調節できる。奥がキッチン、というか台所だ」  支部長サンが手当たり次第襖や障子を開け放ってくれているおかげで、涼しい風が通る。  なかなか気持ちがいい。  板張りの間を抜けて縁側に出ると、その先は中庭。植林は左手から、松、松、楓、桜。花は詳しくないから省略。そこそこ大きな池にはコイもいた。小さいのでフナか。  池の向こう側に、小屋が見える。 「風呂、トイレはあっちだ。洗濯機もか」支部長サンが指をさす。「冬はちょっと不便かもな」  明らかに後付け。もともと住居用ではなかったのかもしれない。 「中からつながっとるん?」 「屋根はなかったと思うが」  台所の勝手口から出ると、地面にすのこが2枚。試しに乗ってみるまでもなく、朽ちている。丸ごと新調すれば問題ない。ただ屋根がないので、勝手口に傘を常備しておく必要があるが。 「で? ここで何があらはったんか、そろそろ」  支部長サンが縁側に腰掛ける。隣に座れと言わんばかりの視線。 「せやからなんなん? 昼間っから怖い話しよるんか」 「聞いた話なんだが」と前置きして、支部長サンが教えてくれたのは。  この屋敷はこの辺りでは知らない者がいないほどの幽霊屋敷で、肝試しに入った輩が口々に「見た」と言ったきり口を閉ざす曰くつき。  土地と屋敷の持ち主が売りに出したが、こんな噂で買い手がつくはずもなく。  そうこうしているうちに持ち主に不幸があり、噂は確信に塗り替えられた。  裏の山はここいらで一番大きな寺院の所有物だが、屋敷の存在に関して見て見ぬふりをしており、見兼ねた支部長サンとこの不動産会社が土地ごと管理を始めた。  それからは誰も立ち入らないようになり、現在に至る、と。 「寺のくせに随分罰当たりなんやな。お祓いとかしてへんの?」 「専門家を呼んだこともあったんだが」 「それがさっきゆうてたやつなん?」 「とにかく、まだ人が住めるような状況じゃないんだ」  いや、ちょっと待てよ。 「幽霊と事故物件は別モンと違うん?」 「事故の内容の詳しくは知らん。俺が生まれるよりも前の話だ」 「せやけど、噂とか」 「興味本位ならやめとけ」 「興味ゆうか、自分がこれから住むとこなんやし、知っといたほうがええ思うてな」  桜はまだ咲いていない。  蕾が開くのはもうすぐ。 「なあ、教えてくれへん?」 「知らないほうがいい」支部長サンがそっぽを向く。 「なあ、ええやん」 「よくないから言ってる」  蚊柱が近寄ってきて顔を払う。  窓の隅に蜘蛛の巣を見つけた。 「なあ」 「よくあるだろ? 軽い気持ちでそうゆうとこに出入りして、祟られたりするやつ。危険な目に遭ってほしくないんだ」 「見た目と違うて責任感強いんやな。客に対して真摯なん、好感持てるえ?」  じ、と見られる。  じ、と見返す。 「はーん。わーった。お前」  さ、と逸らされる。 「知ったかぶりしたはるな?」  がさ、と音がした。  支部長サンが機敏に立ち上がったが。  特に、なにも。 「まあ、ええわ。家電と家具買うさかい。案内してくれへん?」 「頼むからここだけはやめてくれないか」 「せやから、やめてほしいだけの理由をはっきりきっかりゆうたってほしいわ」  また、だんまり。 「それ、口下手なん? それとも客の俺にはゆえへんの?」 「客だったら言ってる。お伝え事項ってやつでな。言わなきゃいけないことになってる」 「俺は客やあらへんの?」屁理屈が過ぎて笑えてきた。 「俺のところで働くんだろ? 家賃分」 「家賃だけやのうて、生活費も稼ぎたいんやけど?」  怪訝そうな顔をされる。 「具体的にどうやって?」 「どないでも。なんでもしたるよ。ほんまに、なんでも。命くれゆう以外なら」  支部長サンはその場で特に要望を言わなかった。  出自や目的もしつこく問いただしたりもしなかった。  ただ黙って、俺がやりたいようにやらせてくれた。  ただ黙りすぎて、何を考えているのかわからないことがある。 「あ」支部長サンが急に立ち止まった。 「なんやの? 忘れもん?」 「鍵ってかけたか?」  そうでもないか。      次回予告  何でもすると言ったから。  管理している団地の掃除をさせたら。 「俺は頭脳労働向きなん。こっちで勝負させたって」と苦情を言われたので。  実家に連れてきた。 「では、わしと宝探しだ」  KRE(クレ)会長であるところの俺の祖父に呼び出され、巽恒は。 「あかん、圧倒的に不利や」  次回 第2話 『キじも泣かずば撃たれ舞』  泣くのは俺か、ジジイか、それとも。 「ちょお、命令や。どっかやって、そのチチ!!!」

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