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第1章 キンメダイは赤くなる
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夏休みももらえない職場とはこれ如何に。
しかしこんな好待遇のところは他にない。
岐蘇 不動産。通称KRE と聞けば、ここいらでは知らない者はいないほどの超有名企業。
そこの鎌倉支部の支部長サン(次期社長なので、俺は社長サンと呼んでいる)の元で、アスターサービスの業務に就かせてもらっている。
仕事内容は、なんでも屋。通称は家楼 。これは俺が命名した。
KREが管理している物件の客相手に、請われれば本当に何でもする。これまで解決した大きな事件は、不良グループに毎年恒例の花見をやめさせたり、塾の集団カンニングを止めさせたり、アパートで昼夜騒いでいる夫婦を仲裁したり。子持ちの主婦に大好評の、雨天限定の買い物代行なんかもある。
3月末にバイトとして働き始めてから、学校があれば放課後、学校がなくても毎日働き詰めで休みなんかなかった。学校が夏休みになろうとも、毎朝10時前には事務所に集合して、なんやかや仕事をするだけでなく、社長サン始め従業員の食事作りまで。我ながらやはり働き過ぎでは?
なので休みを申し出たとき二つ返事でOKがもらえると思っていた。
本来は夏休み開始と同時にもらいたかったが、我慢に我慢を重ねてここまで来たがもはや限界だ。
俺は、水族館に行きたい。
せっかく海辺の町に住んでいるんだし、近くに水族館もあるんだし。
すでに年パスも買った。
準備万端。
社長サンからの連絡はすべて無視。
さあ明日から、毎日水族館に通い詰めよう。
楽しみだ。
炎 ゆる真昼に陽 と揺らん
第1章 キンメダイは赤くなる
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なぜ水族館が好きかと問われれば、対象がこちらに危害を加えないからだ。
触 れないし、見るだけ。
この透明な膜を隔てて、それぞれ別の世界に生きているのがとても好ましい。
こちらも邪魔をしないから、そちらも邪魔をしないでくれと互いに表明し合っているようで。
優しい世界だ。
9時。
開館時間。
夏休みだけあって人の入りはなかなか。家族連れもカップルも多い。
おひとり様は、俺くらいか。
一歩踏み入れると、暗がりに水槽が浮かび上がる。
水族館は好きだが魚には詳しくない。
アレは食べれるのか。
ソレは大きくて。
コレは小さい。
暗さに眼が慣れ始める。
カワウソ、ペンギン、アザラシ。
ウミガメもいた。
イルカのショーまで時間があった。
クラゲを見ながら時間を過ごす。
ふよふよと定まらない。
時間が近づいたのでメインプールへ。
前のほうはすでに埋まっていた。出遅れたか。
後ろのほうに座る。
前の席は水が飛ぶ。
臨場感はないがまあいいか。
イルカも種類があるらしい。
黒いのだったり白いのだったり。
みんな賢い。
大歓声の下ショーは終わる。
お次は深海へ。
不気味だけど心地いい。
深い深い海の底。
妙に馴染み深い。
しばらく椅子に座っていた。
そろそろ行こう。
大西洋が広がっている。
外に出た。
海が見える。
12時。
3時間も経っていた。
腹が減った。
水族館周辺にはそれなりに食事施設があった。
時間帯のせいかどこも長蛇の列で。
嫌気が差して、並んでいない建物を探して歩いた。
水族館から離れること十五分。
わざと古めかしい造りのレストランが眼に入った。
ポップな色合いの外装。
テラス席で昼からアルコールをあおるおっさんたち。
店の雰囲気が、若い女性が好まなそうな気配バリバリで。
「カウンタでよければ座って」店内から声がした。
望むところだった。どぎつい色をした丸椅子に座る。
「いらっしゃい」カウンタの内側から水を出された。「見ての通り、うちはああゆうのがメインでね。ハンバーガーとかそうゆうのでよければ。はいこれ、メニューね」
店主の奥方だろうか。ラフなTシャツに腰巻のエプロン。胸部装甲がトレイで隠れていたので助かった。
「おススメゆうのありますか」
「おやまあ関西から?」奥方が訊く。
「旅行やのうて、4月から。引っ越しです」
「そう。いいとこだよ。とゆっても私らもね、冬には店を休むんだけどね」
海辺の店なんかみんなそんなもんだろう。
店内は大声が満ちる。テラス席だけではなかった。どこかしこで酒盛りが。
「今日は特にね、そうゆう客が揃っちまってね。居心地悪かったら申し訳ないね」
「いや、特に」
ものの5分かそこらで料理が出てきた。
皿に乗ったミニサイズのハンバーガー(3種類)と山盛りのポテト。ドリンクは色鮮やかなサイダー。
「どうぞ?」
「いただきます」
脂っぽくて食べにくいかと思ったら案外。
「美味いですね」
「だろ?」奥方が嬉しそうに笑う。そして後ろを振り返って大声を上げる。「おい、アンタ。美味いってよ」
「ありがとよ、坊主」キッチンから店主が出てきた。海賊のような大男だった。「気に入ってくれたらまた来てくれよ。寒くなるまではやってるからよ」
完食して外に出た。
相変わらず海が見える。
自宅から近い海は海水浴場だが、ここはそうではないらしい。
暑い。
実家よりはマシだがやっぱり夏だ。
そこの道を自転車ですーっと走り抜けるのは気持ちが良さそうだった。
お腹も膨れたのでまた午後も水族館に。
水族館は大満足なのだが、どうにも眼に入る。
自転車。
まあ、いいや。
明日も来よう。
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水族館二日目。
昨日は初日ではしゃぎすぎてしまった。
今日も一日入り浸るぞ。
昼はまたダイナーに行った。昨日帰り際に、ダイナーというレストラン形式なのだと奥方から聞いた。
「おや、今日も来てくれたのかい?」奥方がカウンタに案内してくれた。
実は水族館が好きで、年パスを買ったことを話した。
「そうだったのかい。そりゃいいね。そうだ。昨日とおんなじじゃつまらんだろ? おい、アンタ。また来てくれたよ」
「ありがたい。俺らにゃ子どもがいなくてな。若いのが来てくれると嬉しくって仕方がないんだ」店主が言う。「ハンバーガーじゃないもんをなんとかこしらえてみるよ。待っといてくれよ」
「あの、無理に作らはらへんでも」
「いいんだよ」奥方が歯を見せて笑う。「やらせとくれよ。張り合いができてうちらも嬉しいんだよ」
弱った。気に入られてしまった。
今日のメニューはホットドッグだった。ミニサラダ付き。
「おおきに。ありがとうございます。最低でも1週間は通うことんなると思んます」
「そうかい。それならそれ用にメニューも考えておかないとね」奥方が言う。
「楽しみにしとくからな。また明日な」店主も見送りに出てきてくれた。
店の入り口脇に自転車が止まっていた。素人目にもひと目でこだわりの自転車だとわかった。賑やかな店内に、静かに食事をする同じくらいの年の少年がいた。持ち主は彼だ。だって他にいない。
彼が外に出てくるまで待った。
「ちょっとええ?」
「え、俺?」
彼は額に大きなほくろがあり、眼力もギラギラと強い。ほくろと眼の両方に意識がいくので何故かトータルで顔の印象が残りにくい。不可思議な雰囲気のある少年だった。
「その自転車、めっちゃええな」
初対面の人間の興味を引くにはまず外観を、持ち物を褒めるところから。
「わかる?」彼が途端に気を許したような表情に砕けた。
よし。
まずは第一投。
「そうなんだよ~」彼は自らのこだわりの自転車について語ってくれた。
ここが日陰だったから耐えられた。
専門用語ばっかりで意味がわからない。
「でね?」
「もうええわ。ええて。なあ、乗ってるとこ見せてくれへん?」
「いいよ!」
彼はサドルに跨り、海辺の道をぴゅーっと駆けていった。すぐに背中が見えなくなったが、すぐに戻ってきてくれた。
「どうよ!」
「めっちゃカッコええな」
「でしょー? うわー、嬉しいな。こんなにわかってもらえるなんて!」
そろそろいいだろうか。
俺は自分の名前を名乗った。
彼は、那須蔓宵壱 というらしい。
年齢も同じだった。
「ここらへん住んでんの?」那須蔓が聞く。
暑いので水族館(日陰がある)まで行くことにした。那須蔓は自転車を押して歩いてくれた。
13時。
「4月にな、引っ越してきたん」
「へえ、そうなんだ」那須蔓が言う。
「そっちは? 近くなん? ああ、自転車で来はったんか」
「まあ、そんな感じ?」
「どっちなん」
「俺のことはいいよ。それより、よっしー」
よっしー?
「よっしーでいい? 俺のことも好きに呼んでいいからさ」
「なすかずらよいち、ゆうたな。せやなあ。よいち。ヨイッチは?」
「いいよー。俺ら友だちってことで!」
友だちか。
悪くはない。
是非友だちになった記念にヨイッチと一緒に水族館に行きたかったが、年パスの半分の金額は中坊の小遣いにはなかなか高額だったらしく。
「ごめん、ちょっと無理かも」ヨイッチの顔が曇る。
「わーった。払う。払ったるわ。それでどないや?」
「いいの? んじゃあ行くー」
ケチで通っている俺が奢るなんて、珍しい。天変地異の前触れまである。
そんなにまでして行きたかったのか。と自己分析。
ヨイッチが愛車を駐輪場に置きに行った。戻ってきたのでいざ水族館へ。
ヨイッチは水族館に来たのが初めてらしく、眼をきらきら光らせてあっちこっちと走り回っていた。アレがきれい、コレが面白いだの。同い年でもなかなか子どもだなと思った。
なかでもイルカショーが気に入ったらしく、せがまれて3回も見てしまった。
15時。
喉が渇いたので水族館内のカフェで休憩した。
「あと何回見よっか?」ヨイッチが眼を輝かせて言う。
「せやなあ」
正直そろそろお腹いっぱいだった。
「白いイルカがカッコいいよね」ヨイッチが言う。
「ちょお聞きたいんやけど」話を逸らそう。「あの自転車な。ええな」
「うん」
「自転車な」
「うん?」
「ええな」
ヨイッチが首を傾げる。「ん??」
なんだろう。
伝わってない?
「自転車ほしいってこと?」ヨイッチが訊く。
「せやのうて」
「どゆこと?」
はっきり言わなきゃ駄目か。
「自転車乗れへんの」
「乗ったらいいじゃん」ヨイッチが言う。「俺の貸すよ?」
「せやのうて」
ああ、もう。
「自転車乗る練習せんと乗れへんゆうこと」
「ええ!?」ヨイッチが吃驚して立ち上がった。
それはそうか。
馬鹿にされたに違いない。
「んじゃあ俺、手伝うよ。乗れるようになりたいってことでしょ?」ヨイッチが立ったまま言う。「そうと決まったらイルカショーはまた今度にして。行こう!!」
ヨイッチに引っ張られて水族館を出る。
意図はわからないが、ヨイッチに連れられるまま昼食を取ったダイナーに向かった。
「おや、今日は二度も来てくれたのかい?」奥方が嬉しそうに言う。
走ったので汗だくだ。
「おかみさん、ちょっとお願いがあるんだけど」ヨイッチが物怖じせずに言う。「余ってる自転車ない? 初心者用のママチャリでいいんだけど」
「なんだい?そんなことかい」奥方が言う。「あるよ。客が置いてったのでよければ。ただ、ちょいっと整備が必要かもしれないけどね」
店の裏にぼろく錆びた自転車があった。確かにこのままでは乗れそうにない。
「明日でよければあの人にやらせるよ?」奥方が店の外に出てきてくれた。
「いや、これなら俺できそうなんで」ヨイッチがタイヤを動かしながら言う。「明日やるには変わりないですけど」
「そうかい? 必要な工具とかあったら言っといてくれよ?」
ヨイッチはメモを書いて渡していた。
「ホンマにやるん?」
なんだかとんでもないことになってきた。
「やるよ。乗れたら俺と一緒にどっか遠く行こうよ」ヨイッチは本心からそう言っているようだった。
やれるかわからないが、
やるだけやってみるか。
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翌日10時。ダイナー裏に集合。
ヨイッチはすでに来ていて、すでに地面に自転車を分解して並べていた。
「昼まではかかりそうだし、水族館行ってきていいよー」ヨイッチが言う。
「手伝えることあらへん?」
「うーん、ないかな。なんも知らないっしょ?」
それはそうだ。
邪魔になるのならお言葉に甘えて水族館へ。行ったはいいものの全然集中できない。ヨイッチに全任せで自転車をいじらせているのが申し訳ないらしい。と自己分析する。
11時。
ダイナーに戻ると、自転車は組み立てが済んでいた。
「あれ? もういいの?」ヨイッチが俺に気づいた。「昼までいいのに」
「全任せはあかんねんな」
「そうなの? いいのに」
素人目にはほとんど完成と思ったが、ヨイッチ的にはまだ仕上がりが充分でないらしく、まだ細かい調整があるとのこと。解説付きではないので具体的に何をしているのかよくわからなかったが、ヨイッチが活き活きと自転車を整備しているのを見るのは楽しかった。
「そろそろ昼メシだよ」奥方がテラス席用テーブルを持ってきてくれた。「ここに置いとくからね。手ェ洗いたかったらここの勝手に使っとくれ」
裏の水道を案内された。
「ヨイッチ、どないする?」
「切りのいいとこまでやったらいく。先食べてていいよ」ヨイッチが手元を見ながら返事する。
今日はピザだった。ベーコンののったトマトソースと具材モリモリのシーフード。食べやすいように8等分してあったので、それぞれハーフずつもらった。マカロニごろごろのグラタンも美味しかった。
「うひー、お腹空いたー。俺の分ある?」
ヨイッチが真っ黒な手のまま来たので水道の場所を教えた。
「いただきまーす」
残りのピザはあっという間にヨイッチのお腹の中に消えた。
ちょっと物足りなさそうにしていたところに、奥方がソフトクリームを持ってきてくれた。冷たくてとても美味しかった。
「なんとかなりそうかい?」奥方が訊く。
「あともう仕上げだけっす」ヨイッチが得意そうに答える。
「おうおう、見違えたな」店主も外に出てきた。
「店はええのですか?」
「今日はみんな馴染みでね」奥方が言う。「足りなかったら勝手に持っていくさ」
それでいいのか?
地元客に好かれる所以はこの豪胆さか。
「よし、できた!!」ヨイッチがサドルをぽんと叩く。「ちょっと跨ってみて? 高さ合わせる」
爪先が付くぎりぎりの高さが目安だとか。
「いいじゃん。あとは乗るだけ!」ヨイッチが満足そうに言う。
「そう簡単にゆわへんといて」
すでにドキドキしてきた。
俺は本当に乗れるんだろうか。
「練習するなら平らなところがいいだろ」店主が言う。「舗装した道で危なくないところといったら」
「どこかあったかね?」奥方が言う。
「あ、それ、俺知ってるんで大丈夫す。んじゃあ、しばらくこれ借りますね」ヨイッチが自分の自転車のハンドルを持った。「よっしー、付いてきて」
さすが自転車でうろうろしているだけある。ダイナーからさらに水族館を背にして5分ほど歩くと臨海公園があった。サイクリングロードもあり、ジョギングをしている人や、三輪車で爆走しているお子様が通りすぎた。
林を抜けると、車のあまり止まっていない駐車場(無料)に出た。
「ここさ、止めてもどこに行けるわけでもないから不便すぎて誰も止めないわけ」ヨイッチが言う。「ここなら危なくないし平らだし、いんじゃないかって」
「わざわざ探してくれはったん?」
「割とここら辺は詳しいよ」
やはり近隣住まいか?
向こうが教えてくれない以上は踏み込めないが。
「じゃあやってみよう」と軽くヨイッチは言うが、
そう簡単に行ったら苦労はしない。
決して運動神経がないわけではないと信じたいが、どうにも思う通りに行かない。
後ろで支えてくれている間はいいが、放したのがわかるともう駄目だった。
「大丈夫? 休憩する?」ヨイッチが言う。
14時。
練習を始めたのが1時間ほど前。
自分で言うのも悲しいが、何も進歩していない。
「まずは補助輪付ける? 感覚つかめるし」ヨイッチが言う。
「クソダサイやん。嫌やわ」
人通りがほぼないのでなんとか体裁を保てているものの、これで自分より年下にこの醜態を見られたものなら、一週間は落ち込む自信がある。
社長サンは誰に練習を手伝ってもらったのだろうか。
祖父か? カネやんか?
父親でも母親でもないことは確かだろう。
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