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出会い 4-2

部屋の隅に置いてある折り畳まれたイーゼルと、横に立てかけられたカンバスに近づく。 (へぇ……絵、描くんだなーーー。) 流石に美術の知識に乏しい速生でも、これらが何に使わられるものなのかということはすぐに見てわかった。 後ろを向けられた木の枠に布が貼られたその正面をこちら側に向ける。 (真っ白だ…これ、“カンバス”って言うんだっけ、確か……美術室にあったよなぁ) 一体、ここにこれから、どんなものを|描《えが》くつもりなんだろうか? (なんか、カッコいいなーーー。画家、とかすげえ似合う…) 夕人がこのカンバスの前に座って、筆をもつ姿をイメージした。 繊細で、美しい、どことなく憂いを感じさせるーーーそして真剣な眼差しで、筆を動かす、夕人。 その姿は、今日初めて会った速生にでも、容易に想像ができた。 横に置かれたダンボールには、夕人 画材と書かれていて……その上には、B4サイズのスケッチブックが何冊も、丁寧に置かれていた。 『パラ…….』 スケッチブックを手に取り、開く。 使い古されたもの、真新しいもの。どれも、全てのページに描き込まれている。 花や、コップ、テレビや椅子のような物のデッサン、窓から見えた景色を描いた風景画、たまに落書きのようなイラスト。 どれも全て、とても上手く描かれていたが、何故だろうーー、 (何だか、無機質というか、寂しさを感じるーー…) 『ガチャ…』 「ごめん、ほんと大したもの見つからなくて…カモミールティー飲める?……って、おい!ちょっと、何勝手に見てんだよ!」 手に持ったティーカップを慌てて下に置くと夕人は速生の手からスケッチブックを奪い取った。 「ーーー絵、上手なんだな」 「………べ、別に、下手だし。こんなの、落書きレベルだろ」 夕人は顔を真っ赤にして目を逸らす。 「いや、すげえよ。ほんと、感動した…、 けどさ、なんで、このスケッチブック、ほとんど同じ絵が多いのかなって。 風景画とか、それだけ上手ならさ……もっといろんなの描けそうなのに」 まさか自分のプライベートの物を断りもなく見られているとは思わず…恥ずかしさのあまり夕人は速生の顔を見られなかったが、そんなことは気にせず速生は尋ねた。 「………それ、全部、病院で描いたものだから。」 「え、病院…?」 観念したように話し始める夕人。 「俺、子供の時から体弱くて。“喘息”ってわかる?ここ、喉のとこ…気管支が狭くなって息が苦しくなるんだ…原因はいろいろあるらしいんだけど。 それで、しょっちゅう入院してたから。入院中、暇でさ…絵描くくらいしか、やることなくて」 「………」 「で、病室の窓から見える景色ばっか描いてたから。年何回も入院するもんだからーー、もう常連だよな。 毎回同じ景色でさ、いいかげん飽きてきたら、お見舞いでもらった花とか、コップとか、身の回りのものの絵、色々描いてた」 「そう、だったのか。大変だったんだな…」 「いや、言っとくけど中学上がってからはほとんど入院してねーからな。 喘息だって、そんなに発作出なくなったし、だから、別に……そんな哀れな目で見んなよ」 速生は、別に憐れんでるわけじゃ…と言おうと思ったが、夕人からしてみればきっと同じだ。 きっとこれまでに、何度も、こんな風に、周りから同情されたり心配されて、望んでいない贔屓や、差別を受けてきたんだろうと思った。 「でもさ……じゃあ、さっき……あの時、バス停で苦しそうになってたのは…? あれは大丈夫だったのかよ?」 速生の言葉に、はっとした。 確かに、あの時の自分の体調はおかしかったーー。 ただ、あの不調は、喘息の発作の苦しさとは明らかに違っていたのもわかる。 ここ数ヶ月前から、たまに起こっていたこの息苦しさ、胸の動悸や、パニック症状。それが起こり始めたのは、 ーーーあの事件の後からだ………。 「うん、まあ……、さっきは、ほんと助かったよ。 ーーあのさ、これ、飲める?母さんのよく飲んでるやつしか見つからなかったんだけど。ちょっとは温まるかなって……」 夕人は話を逸らして、ティーカップを速生に手渡した。 まだ温かいそのカップの中には、檸檬色に浮かんだカモミールの茶葉、ほのかに蜂蜜の香りがした。 「ーーなんでも飲むよ、せっかく夕人が淹れてくれんだから。ありがとう」 そう優しく笑って、速生はティーカップに口をつけた。 すると一階から、声が聞こえた。 「夕人ぉーー、速生くんーー! お昼の準備できたわよ、2人ともーーーー!」 「そっか、忘れてた……うどん、だっけ?」 夕人が速生の顔を見る。 「そう……香川のばあちゃんのおかげでさ、年末からず〜〜っと昼飯うどんだぜ? もう正直うどん見たくねぇわ…… 夕人!是非とも我が家のうどん消費にご協力を」 そう言ってやれやれ、と立ち上がった速生の後を、夕人はくすくすと笑いながら、2人は階段を降りて行ったーーー。

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